一人暮らしの台所事情

2018年4月からストレスによる耳鳴り(頭鳴り)を発症。13年間の降圧剤の服用を止めます。

ようやくまともな丸パンが出来た!

2019年06月21日 | パン

体力、気力がなくても、パンは作れる
りんご、人参、長芋、あと植物ミネラルといったものも入っている
(全て絞りカスや皮である。)
もう、サプリはこりごりなのだが、食事に混ぜて摂ることも出来るので便利
気長に消費するしかない

あと、ひとつは休止か退会を考えている(半年ももたなかった)
成分(ミネラル)としての考え方はやめた。健康にはさほど関係ないとわかったから
その為、クレジットカードの再発行もしているので、その連絡もしなければならない

ところがネットでは、毎月1日から15日までしか変更できない
そこで電話連絡となり、来週そうそう、休止という形で止めようと思っている
だいぶ迷っていたのだが、やはり私の病気はミネラルとは無縁のようだった

これでまた自分の体で試したので、もう悩むことはない
健康と成分は関係ない。(ある程度は効果はあるが、成分で病気は治らない)
ここまで来るのに2年です…頭悪すぎ~

どんなに、栄養素や成分のことを語っても、体が治らなければ意味がない
この世の中、全てがそれらで成り立っている
けれど現状はどうでしょうか?


きのうテレビのニュースを観て、びっくりしましたよ
県内の肝炎患者に送った申請書類の氏名記入例に「青森 肝炎」と記載
被保険者氏名欄に「青森 肝臓」と記載(いずれも記入例の文書)
本当におバカです。「青森肝炎」という病名があるのかと一瞬思ったほどです
こういうことに対し、違和感を感じないということに、恐ろしさを感じます






愛犬、珍しく、自分のお手手を舐め舐め

普段は私の手を舐め舐め、股間の舐め舐めは治まりました
今はデトックス真っ最中。すんごいことになっています
その度にハラハラします。クッシング症候群のお薬のせいかもしれません
止めて2年経過しますが、何か残っているのでは?と思います

愛犬は自分の手を舐める代わりに、私の手を舐めます
それが終わると安心します


息子は、といえば、アルミホイル(アルミ箔)としゃもじがまた見つかりません
バイクの荷物に入れたのかもしれない
本当に借りるとも貰うともなんにも言いません
普段使っているものを持っていかれると、本当に困ってしまう

でも、明日雨なんだよな…
前準備は素晴らしいです。なんとも言えない行動に、私は理解不能です
借りても返してくれるわけではありません
たまに、部屋の隅に転がっていることもあります
用なしの道具は、無残にも捨てられたりします
物に対し、心がないんでしょうね。もったいないとか…
だから簡単に捨てられる。(物にも意識はあるんです)

例えば、車もそうですね。やたらと車をぶつける人もいる
車を大事にしていないと思いますよ(あ、私もだわ)

息子に関しては、生まれつきそうだったのかもしれません
中学生の頃からその行動が際立っていました
気功師に「自閉症」と言われた時は、まだ彼が小学生の頃

今では自閉症にもいろんな病名があります
それは人間が考え出したもので、どれが正しいのかよくわからない状態
病名ではなく、個性である、生まれつきのもの、とあります
わざわざ病院に行き、病名をつけてもらい、そして薬を与える

そんな親御さんがかなりいるそうです
普通ではないから、ということらしいです
私もかつては、何を考えているのか、と言われた子でした
(息子からも私は変な母親と思われているようです。)

普通と違うから、みんなと同じような子に育てよう
だから、病院の薬は不可欠?おかしくありません?
また、子供により、他の人には視えない、感じないことが分かる子もいるそうです
それさえも、病気としてとらえます

親は確かにうろたえます。けれど、人はみな違うのです
人の血液も違います。それを全ての人が同じ基準値でおさまるようにする
これ自体がおかしなことです。赤ちゃんからお年寄りまで同じであるように…

本当にバカらしいことです
ちょっと鬱っぽい、気持ちが落ち込んでるだけで病院へ行き、
それだけで鬱症状として捉えられます

医師は病気のことも薬のこともよくわかっていません
だから、ほいほいと睡眠薬でもなんでも処方するのです
それだけで体調が悪化します
行かないほうがずっと体にいいと思います

現に今、更年期障害に苦しんでいる人がいます
ホルモン補充療法でさらに体調が悪化する人もいます
これは不自然な行為だからです。何もしなければ落ち着いていきます

気持ちが揺れているため、心も体も不安定になります
自律神経失調症と区別はつかないので、なんともいえませんが
私の場合は、耳鳴りと睡眠障害が残るだけとなりました

これがなかなか治らないんですね
気長に治すしかないと考えています
それにしても、トラブルは耐えません
そのうち、そのトラブルにも慣れてきて、結構心も強くなっています

その為の試練なのかもしれません
体験というものは、人を強くしますし、学ぶことも出来ます
そこにあるのは、人の手助けでもなく、全ては自分の中から生まれてきます

自分の後始末は自分でするしかない
それを人に任せるのではなんの意味もない
あんたが悪い、私は悪くない、では、何も得るものはありません
全ては自分から。学ぶことは楽しいです

今ある出来事に、何かの意味があるともないともいえます
そこにあるのは、ただ、自分を見つめるだけ
それから行動に移る。間違っても間違っていなくてもいい

生きているんだから、失敗は当然
ただ、後悔のないように、しっかりと生きたい
健康の為にできることは、意外にも何もしないことが大切
ということは、日々の暮らしが大切であること
病院に自分の体を預けても、何もいいことはない

多少血圧高くたって、ちゃんと生命力のある食べ物を摂っていたら
結構しぶとく生きられるかも、と思っている
ここ、結構大事ですよ。何気に書いているけど…





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