難民学校では「生きてく力」を養うコトが何よりも重視されるので、異国の地に適応する為の語学は、農業の次に重要とされます。
ネパールは多民族国家で言語が沢山あるので、共通語としてインドと同じく英語が採用されましたが、人々の英語能力は決して高いとは言えず、日常会話がなんとか出来る程度です。
サラは難民の子供達が世界のどこに行っても生きて行ける様に、英語教育には特に力を入れて、まずは自分がそれをマスターするコトから始めます。
それにはネイティブの師匠がどうしても必要で、アメリカ人とイギリス人のヒッピーをボランティアとして大切にします。
彼等が永く難民キャンプに留まってくれるよう、その存在を持ち上げる必要性があり、そうした人を敬う風習をチベット社会は持っていました。
特に16歳の秀祥が率先してヒッピー達を敬って、子供たちはそれに習います。
英語の他に日本語とフランス語も課目にし、バイリンガルな子供たちを育てます。
ヒッピーのボランティア先生と子供たちは「師弟の絆」を結び、それは子供たちに成人してから日本やフランスに行く目標を与えました。
ここで少し日本の教育について触れますと、この「目標」を子供たちに与えるという重要なポイントが、必ずしも上手く行っていない気がします。
もう「いい大学行っていい会社に入れば幸せ」と言った目標は求心力を失っている気がし、「多様性を尊重する」としながらまだ画一的な教育しか出来ていない感があります。
この硬直した日本の学校に対するアンチテーゼとして「トゥルクの学校」を描き、それは薄っぺらいペーパーワークではなく、人と自然が主役でその力と可能性を追究するモノとします。