真の動物福祉牧場を目指して

子供について

 このタイトルはモンテーニュ「随想録」には無く、そもそもこんな大きなタイトルの本も無いようです。
 私は大きなタイトルを付けるのが好きで「森羅万象の意味」なんてのも書きましたが、大雑把に書けるのはブログならではの「自由さ」と言えるでしょう。


 さて、「子供について」語るにはまず、「子供」を定義する必要があります。 それには反義語を設定するのが近道で、「大人」がやはり適当な気がします。
 つまり「子供」とは「大人」じゃない人のコトで、その境界線も定義する必要があります。

 しかしこれは一筋縄では行かず、「経済的に自立している」とか「社会に貢献している」などが挙げられますが、自立も貢献も主観的なモノであまり客観的とは言えません。
 それは定年退職後の「大人」で経済性が無く、社会貢献もしていなければ「子供」なのか? と問えばそんなコトはないからです。

 では生物学的に定義してみますと、一般的に繁殖能力を獲得した生物は「大人」とされます。
 これは人間では特異的に遅いのですが、それでも十数才で「性」は成熟します。 なのでこの十代前半は「青年」と呼ばれ、子供と大人の中間と認識されます。

 この「青年」はいつの世でも理想化される傾向があり、それは「大人」の社会があまり上手く機能していない時代に顕著です。
 上手く行かないのは「大人」が「子供」の純粋な心を失ったからとされ、「青年」はその架け橋として活躍を期待されます。

 一方、社会が上手く行っている時代では「大人」が理想化され、大人に成りきれない「永遠の青年」などは「アダルトチルドレン」と見下されます。
 日本も十数年前まではそんな風潮があったかと思いますが、今では「大人」はそんなに賛美されず、むしろ「子供」に還るコトの方が賛美されている気がします。
 
 それには社会経済の翳りと「高齢化」が影響していると思われ、未来の世代に負債を残してしまいそうな世界情勢が、「子供」への期待感をより助長していると言えます。

 果たして今の「大人」は「子供」に対して成すべきコトを教えられているのか? これは前回の「安心と信頼」にも通じるコトで、子供が本当に大人を信頼できる社会を築かなければなりません。

 長くなったので今回は「子供について」の定義までとし、引き続きこの大きなテーマについて語って行きます。
 
 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「農業」カテゴリーもっと見る