そう捉えると「遊び」は神聖なモノに思えて来て、古今東西の宗教も「遊び」以外の何モノでも無いと思えます。
それは英語の pray (祈り)と play (遊び)をネイティブですら混同し、語源が同じコトからも想起されます。
「想起」という言葉が出たので更にそこから想起しますと、「遊び」はみんな人の「想い」から生まれたと言えます。
それは「楽しみたい」という想いで、ともすると「戦争」なんかも楽しい人にはスゴく楽しいので、「遊び」の範疇に入るでしょう。
しかしこれは非常に汚い「遊び」で、圧倒的多数の人に物凄く「楽しくない」思いをさせて、ほんの一握りの人間だけが「ウラー(万歳)」と勝ち誇るゲームは、もう地球上では禁止するべきでしょう。
このゲームのルールを決める仕事は国連に託されており、あそこでの「評議会」は遊びとは言えないでしょう。
しかしそれでも、大人たちがもっと「遊び心」を持てたならば、世界はより一つにまとまれる様な気がします。
この「遊び心」については、昨日BS3 でやっていた「最強のふたり」が実に善く描いており、介護の現場でマリファナが有効活用出来るコトも示しておりました。
その前にやっていた「wildlife」も見事な「遊び」を紹介していて、アラスカの最果ての地で何年もキャンプしながら撮影を行った、星野道夫さんの43歳の人生を辿っていました。
彼は素晴らしい本を残したとも紹介されていたので、是非とも読みたいと思います。
私的には、こうした唯一無二の本を書くコトこそが、一番美しい「大人の遊び」だと思います。