真の動物福祉牧場を目指して

紅衛兵達のコンプレックス

これまで、演壇から語る曹希聖の回想を辿って来ましたが、ここで聴衆の学生達について描写したいと思います。

まず、75年の文革末期には重慶大学だけで幾つもの紅衛兵組織が出来て反目し合っており、銃まで出回り死傷者が続出しておりました。

その紅衛兵になれたのは紅五類と呼ばれる、労農(プロレタリアート)の親から産まれた子供たちで、彼等はエリートとして革命の先頭に立ちました。

一方、黒五類に入れられた子供たちは悲惨な学校生活を送り、この頃にはもうちょっとでも裕福な家は黒に入れられて略奪され、子供たちはそれを恐れて家との縁を切りました。

これは、子供は親を選べない事からくる温情的な政策とされましたが、現実には子供が親のブルジョア傾向を告発して自分がプロ側に立つ事を証明し、それにより社会的に抹殺されてしまった親とはもう一緒に住めなくなりました。(親が自殺することも多かった)

こうした子供たちは学校で暮らすようになり、特例として紅衛兵に成れました。
これで友達から差別されるというコンプレックスは解消されましたが、親や兄弟から殺されかねないほど憎まれる事はスティグマ(心の傷)として残り、ほぼ確実に精神を病みました。

文革期における紅衛兵達の常軌を逸した暴力は大人達を驚かせ、そのモンスターを作ってしまった学校と社会を真剣に総括しようとした時代もありました。(改革解放時代、今は発禁の「或る紅衛兵の告白」が出版された)

そこでは「疎外教育」という言葉がキーワードとなり、当時は資本主義国だけでなくソ連とも反目していたので、海外の文化はほぼ全て疎外していました。

中国の伝統文化もことごとく疎外され、儒教や仏教などの毛沢東思想以外の思想体系は全て黒(反動)とされました。

メディアの娯楽や恋愛までも疎外され、これは性別すらも疎外する教育となり子供たちを中性と見なしました。
当時の中国は学校が社会の中心で(今でも)、社会全体が学校の様に生真面目な校則に縛られており、農村では夫婦すらも別々にされて軍隊式の禁欲生活が強要されました。

こうしたムチャな学校社会では、十代後半になった子供たちは必ず何らかの性的なコンプレックスを持ち、これはフロイドのエディプス コンプレックス(父母への性的コンプレックス)なんか目じゃない程に深刻なモノでした。
近年でも北朝鮮では自慰行為が見つかっただけで刑罰を受けるみたいですが、そうしたレベルまで徹底的に抑圧された性は、革命と暴力にはけ口を求めました。

さて、希聖はこんなよじれた紅衛兵達に吊し上げられて自己批判を始めますが、その告白から彼が本物の革命家であり、毛沢東の右腕と呼ばれた曹希聖でる事が確認されると、紅衛兵達は驚いて対処の仕方を決めかねます。

総括は日がすっかり暮れても終わらず、夜は危険なので大学生達は引き揚げて行って翌日に持ち越されます。
希聖と行善には見張りが付き演壇で夜を明かし、行善は希聖の総括を祝福します。

翌朝早くから、噂を聞いた人々が重慶中から集まり出し、それは重慶大学で最も大きなスタジアムが一杯になる程で、全市の学校から紅衛兵組織が詰めかけました。




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