真の動物福祉牧場を目指して

シーク教徒の苦難

ターバンを巻いたシーク教徒は、海外にディアスポラ(難民)として1200万人も散らばっており、インド人の典型とされております。
しかしインドでは彼等は少数派で弾圧されて来て、その歴史は彼等が起こした16世紀の宗教改革(シク教)にまで遡ります。
これはイスラム教とヒンドゥー教の融和を図った改革で、両者の良い所をより純化して融合させた感じで、とても好感の持てる宗派です。
シークの人々はとてもフレンドリーで屈託がなく、人種的にはペルシャ系でクィーンのフレディー-マーキュリーはそのディアスポラの末裔です。

しかしこうした純粋で優れた理想を持つ民族は、人類の歴史では迫害と支配から逃れられませんでした。
昔はシーク王国もあって、男はほぼ皆がシン(獅子)を名乗ってクシャトリア(武家)の自覚を持ち、身分差別の無い連帯力でムガル帝国やイギリス帝国に対抗しますが、力では結局勝てずに滅びます。

イギリスの支配下にあってもシークは不服従運動を貫き、多くの迫害を被りました。(アムリットサール事件)
そしてインドの独立ではパンジャブの西半分がパキスタンに分割されてしまいます。この時はヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いに巻き込まれ1500万人もの人々が難民化し、親族ですら音信不通の南北朝鮮と同様の状態が現在でも続いております。

そんな半分にされたパンジャブですが、シークの人々は勤勉に良く働き、インドで一番の農業生産高を誇る州となって慢性的だったインドの飢饉に終止符を打ちます。
これはグリーンレボリューションと呼ばれる近代化学農法により、インドでは66年から導入されました。詳細は前に書いたので端折りますが、パンジャブは半砂漠地帯だった為に農業用水の過剰使用は塩害を早くから引き起こし、土壌生態系の破壊も早く進んで70年代初期には既に破錠の兆しが見えていました。

現実に農業が破錠して農民の自殺が記録的に増加するのは80年代からで、それは農地が塩害と腐敗菌でどうしようも無くなり、先祖伝来の大切な農地をダメにしてしまった罪悪感からシークの人々は命を断ちました。
そうした絶望感は外部への反抗としても現れてパンジャブ独立運動(60年代から続く)が激化し、80年代にはパンジャブ危機と呼ばれ死傷者とディアスポラを出し続けました。

さて、この近代農業史の汚点に光を当てる物語を書こうと思うのですが、何分この近代化学農法は今の地球の人口爆発を根本的に支えている農法であり、その為に利権の絡んだ擁護論も活発であり、読者の皆さんにはそれらの論も踏まえた上で判断して頂きたく、以下の特集にそうした概要が書かれおります。

今回は前置きとして物語は次回にします。



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