真の動物福祉牧場を目指して

インドでのヒッピームーヴメント

ヒッピームーヴメントは豊かになって自由を得た(恐らく地球始まって以来初めての規模での)若者達の、その豊かな社会に対する反抗運動でした。

それだけ豊かな社会が地球に誕生したのは、化石燃料をバンバン燃やしたり加工(窒素固定)して畑に撒いたりして、とにかく第一次産業がバブル的に膨れ上がり、人口もそれと共に一気に数倍に増えた事によります。

増えた人類はみんなが豊さを求めて競争し、それは植民地搾取や戦争を起こして来て、ヒッピー世代の親達はそれらに翻弄されて青春時代を過ごしました。

この親達は未だにそうした争いの世界のカルマを引き継いで社会を築いており、その子ども達はそんな親に反抗し、社会に反抗して弾き出され、新しい民主主義国家インドに流れ着きました。

当時(60、70年代)のインドはまだ非常に貧しく、ドロップアウトした若者でも先進国とのパイプ(ヒッピー仲間など)が少しでも有れば経済的にはまず困りませんでした。

中にはそんなパイプを一切捨て去って、インドのサドゥー(放浪修行僧)の真似事をする若者まで現れ、ビートルズのジョージ-ハリスンも(ジョンの死後)そんな道に進んで若者達を刺激しました。

さて、平和行進が行われると必然的にこうしたヒッピー達が集まり、私もそうした若者の1人でした。
私の世代ではもう、徴兵を逃れてインドに来たようなガチなヒッピーはイスラエル人で僅かに居るくらいで、大半は暇と豊さを持て余した好奇心旺盛な若者達であり、もうヒッピーと呼べる程の共通性や目的意識はありませんでした。

しかしヒッピームーヴメントの時代には確かにそうした共通の目的意識があって、それは戦争反対や差別反対、男女同権や子供の尊重、そして豊さの格差を生む競争からの離脱でした。

この離脱は宗教がかると解脱と呼ばれ、それは途もすると日本のオウムの様な社会問題を、アメリカ、ヨーロッパでも生んで来ました。
地に足の着いていないコミューンは貧窮して精神を病んでしまい、そんな誰もがサドゥー聖者の様に光と水だけで生きられる訳も在りません。
しかしそうした解脱を求めるヒッピー達には、それなりの真摯なモチベーションがあったと書きたく、物語ではそうした心を聞き出す役をジョンにして貰います。
彼はどの国のヒッピー達にも強い影響を与え、特に70年代から欧米の若者達に追い付いて現れて来た日本のヒッピー達から慕われます。

イギリス人のヒッピーはなかなか難しい立場に立たされた事が想像出来、実際に親達が住んでて追い払われた土地としてインドを旅した青年達も居たことでしょう。
ジョンはそんなインド育ちの親の世代で、ヒッピー達と息子、娘のように親身に接し、植民地支配のカルマと真摯に向き合う大人として尊敬を勝ち得ます。
語学の才に優れたトゥルクもヒッピー達と良く交流し、それは音楽好きという共通性もあって精神の自由を分け合います。 当時インドを旅したジョーン-バエズと共演するなんてのも書きたいのですが(熱烈なファンなので、彼女のLet it beも主題歌候補)、彼女はまだ存命なので許可が要ります。
因みにインドでのヒッピームーヴメントの影響を強く受けた作品で優れているモノとして、ジミーヘンドリクスの bold as love を挙げます。

だいぶ寄り道したので、パンジャブの危機は次回に書きます。これは前に「無理な進歩は歪みを生ずる」でも少し触れ、バンダナシヴァの「グリーンレボリューションの暴力」は最初の方で紹介しました。因みにシヴァ女史はノーベル賞に次ぐ栄誉とされる Light Livelyfoot (光の様に生きた)賞を受けております。




名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る