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真の動物福祉牧場を目指して

使徒ジャック-ブラウン No.2

 わたしが思うに、アメリカのヒッピー世代を代表するアーティストはジャクソン-ブラウンで、とてもシブい歌声とギターで「癒やし系」の歌を聴かせてくれます。

 「癒やし系」と言えば現代では、ハワイのジャック-ジョンソンが代表的かと思うので、彼の歌も「ヒーリング・ライト」でフィーチャーしようと思っています。

 物語の「使徒ジャック-ブラウン」はこの2人のアーティストをかけ合わせたイメージで、彼の回想録は1980年に秀祥と一緒に田舎からニューヨークに出て来て、デビューを目指すところからの続きになります。  −−

−− 私は田舎者なので、都会に少し恐怖心を抱いており、実際に当時のニューヨークのハーレムは、世界最低レベルの治安でした。
 そんなハーレムに隣接するセントラルパークも治安が悪いコトで有名で、お金を持たない私達はそこで野宿するしかないため、とても1人で出て来る勇気は持てませんでした。

 しかし実際には「案ずるより産むが易し」で、秀祥の護衛である「聖戦士ミト」が太鼓を打って大声で祈りながらセントラルパークを一周すると、もう悪事を働こうとする者は公園には居なくなりました。

 ミトはハーレムの方まで「平和行進」をしたので、そこの住民は一体なに事かと見に出て来ましたが、古風なチベット戦士の出で立ちをした巨漢が祈り歩いている様は彼等を驚かせました。

 初めは戸惑っていた住民も、その殆どはアフリカ系で太鼓の音には馴染みがあり、ミトはそうとう日焼けしていたので肌の色も馴染めて、その内に子供たちが面白がって手拍子を合わせて彼の後をついて歩く様に成りました。
 
 ミトは道行く人みんなに、丁寧にお辞儀しながら祈りのマントラを唱えたので、その平和を願う気持ちは通じて、子供たちに続き老人たちも一緒に歩く様になり、ハーレムは明るく平和な街となります。

 ミトは多くの観衆を、セントラルパークの私達の処に引き連れて戻って来たので、秀祥は彼等に自分達は平和を願うチベット難民であると伝え、音楽コンサートを毎晩開くコトも伝えます。

 アフリカ系の人々は音楽好きなので毎晩大勢集まり、みんなノリが良く自由にコンサートに参加してくれて、私と秀祥のギター-ドゥオの演奏を多いに盛り上げてくれました。
 
 その時はちょうど夏場だったので、セントラルパークには多くの人が夜中涼みに出て来て、コンサートはお祭りの様な賑わいを見せる様に成って行きます。
 すっかり平和になったセントラルパークは市民の憩いの場となり、私達はあらゆる人種の人々から感謝されて、警察からも大いに感謝されました。

 私達がニューヨークに滞在して一月が経つ頃には、毎朝の平和行進は100人近くもの規模になり、歩く範囲も広がって色んな人々と一緒に平和を願って歩けました。

 夜のコンサートもどんどん観客が増えて行き、私と秀祥は精一杯のギターと歌でその声援に答えました。
 この時の秀祥は本当に輝いており、師である私よりも多くの観衆を引き付けていました。
 そんな彼女のお陰で、レコード会社と契約を結ぶコトも出来て、私は念願だったミュージシャンについに成れました。

 私はこの恩を生涯忘れず、ニューヨークを平和な街に変えた秀祥の活躍は、「奇跡」と呼ぶに相応しいモノだと思っております。  −−

 ジャックの回想録は次回へ続きます。

 




 
 
 
 
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