それは「二極対立」で、「善と悪との対決」が物語の原理と言えます。
いや、それなしでも物語は成立する。と提唱した作品はかなり稀で、例えば村上龍の「限りなく透明なブルー」はそんな挑戦的な作品です。
これは一切悪者の登場しない物語で、主人公も正義ではなくむしろ退廃を体現しています。
それは即ちヘロイン(阿片)中毒なのですが、物語当時の沖縄では米兵の間でもヘロイン中毒が問題となっており、ベトナム戦争で精神を病んでヘロインに逃避する米兵達と、主人公はブラザーフット(兄弟愛)を結びます。(「だいじょうぶマイフレンド」でも)
村上龍の特色はこうした「兄弟愛」で、「全ての男は消耗品である」や「オールド テロリスト」等、「兄弟」達にエールを送る作品を多く描いております。
「兄弟」という題名ではノーベル文学賞を受けた余華の作品を以前紹介しましたが、中国でもアメリカと同じ程度に「ブラザー」という言葉は特別な意味合いを持っています。
それは血縁を超えた結束で、アメリカでは黒人やヒッピー達がこの「ブラザー」を好んで用いましたが、中国での「義兄弟」はより重大な意味を持ち、「生まれた時は違えばども死ぬ時は同じ」と云ったノリです。
翻って日本では、こうした「兄弟愛」は薄れて来てしまった観があります。
それは「Lacklove(愛の欠乏)」と言っても差し支えないレベルかと私には思え、そんな現状を変革したい志は村上龍と共通し持っております。
前置きが長くなりましたが物語の「時」に入り、1977年のチベット絶滅収容所に話を移します。
既に共産主義のイデオロギー(理想)は敗れ去って毛沢東も死に、改革開放時代を迎えようとしていた中国でしたが、辺境(優樹)では未だに「断種政策」が継続され、完遂されようとしておりました。
ここでは明確に、「兄弟愛」または「愛の欠乏」という「二極対立」が描け、私は凡庸な作家なのでこのプリンシパルに則った物語を描こうと思っております。
最後に Brotherhood を歌った曲を1つだけ紹介します。 それは前にも挙げた「One」で、これはジョニー-キャッシュとボノ(U2)の共作です。 この2人は義兄弟の契りを結び、数々のシブい名曲を世に残しました。