真の動物福祉牧場を目指して

被爆訴訟はいつまで続くのか

この裁判はずっと続いていて、最近ようやく自主避難者に賠償金が支払われ始めました。
実は私も一時この被爆集団訴訟に関わった事があり、ストロンチウムの内部被爆を訴えるべきだとメーリングリストで強く主張したものです。

それと云うのも私は国か東電の当初言っていた、ストロンチウムの拡散は全く心配ない、というのを信じて、殆ど誰も食べなかった果物(福島は果物王国です)を勿体ないと食べまくってしまい、二年後あたりにようやくストロンチウムはずっと広範囲に拡散され続けていた事が判明して、ちょっとどうしてくれんのーと頭にきてたからです。

しかし私の場合は個人的な賠償などよりも、キチンとストロンチウム汚染を認めてその対策を行う事を強く訴えたもので、自分でも近所のよく食べる柿、林檎、梨、梅、ブルーベリー、桑の木などに毎日EMをかけて廻っていて、果物の放射能の量を他と比べて半分くらいに抑えて食べていたので、それを東電さんにも手伝って欲しかったのです。

因みに東電の職員さんとは、津波被災地と強制避難地区の片付けを行うボランティア活動でしばしば一緒に働き、職員さんは東電から派遣されて来てたのでボランティア仲間とは成れませんでしたが、それなりに親しくはなっていました。

私はチェルノブイリの子供たちの内部被爆の深刻さを知っていたので、福島の放射能レベルでストロンチウムが無いのであれば、たとえ基準値の100ベクレル程のブルーベリー(最も移行し易い)でもガンガン食べてました。それは飯館村のブルーベリー畑でEMの試験を行った時のもので、かなり大量に撒いたので二年目から100ベクレル以下となり、一応出荷できる値でとても美味しかったので棄てられずに、全部食べてしまいました。

そんな事をしてたので、当然内部被爆の値は誰よりも高く、それを評価されて東京で内部被爆の治療を掲げたクリニックから、被験体になってくれとオファーが来た程です。(通うの面倒なので受けなかった)

しかしこうした私事のみで、裁判の闘いにずっと参加し続ける事は出来ず、一家や仕事場を壊された人達のノリには着いて行けませんでした。
それに私は高専生(都立航空高専)の頃、毎日のように渋谷と原宿の中間にある東京電力のPR館(電力館)に通って勉強させて貰ってた事があり、東電を訴える気にはなれませんでした。
電力館は今でもあり、もう一昔前のように「プルサーマル発電でエネルギー自給が出来る」なんて夢のような話しを、マスコットキャラの電子ちゃんが元気良く解説してくれるブースなどは無くなってる事でしょう。
昔は毎週土曜日に最上階のシアターにて、著名な研究者を招いての講演会が一般向けに開かれていて、そのビデオライブラリーを放課後によく観に行ってました。当たりハズレは結構ありましたが、学校の授業より10倍は面白くて為になり、東電さんには感謝しております。

そんなこんなで、私にとってはもう思い出話なのですが、今も裁判を闘い続けている方々を何とか応援したいとは思っております。


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