真の動物福祉牧場を目指して

サンクス・ギビング・デイ

 インドのホーリー祭はどうやら1週間くらいかけて徐々に盛り上がって行くみたいで、その週は学校などはホーリデイとなり、仕事も休みにして出稼ぎから故郷に帰って、親戚と家族の絆を強めるのが主眼の様です。

 あまり経営が芳しくないダラムサラーのアートショップを閉めて帰って来たのは、パプンさんともう一人19歳の息子アシュ君で、この一家にはもう一人娘が居て彼女は30km程離れた町に去年嫁いだばかりで、その家を訪ねるのもホーリー祭の1つの山場になるそうです。

 わたしは昨日、旅に出てから初めて服を全部洗濯し、インド人の様に伸ばしていた髭も剃ってお出掛けの支度を整えましたが、これはパプンさんが親戚のカレッジ-ガールを紹介してくれると言ってくれたからでもあります。
 しかし残念ながら昨日は予定が合わなかった様で、パプンさん曰く今週は大学(30km離れた町に在る)が休みなので女生徒は外に出掛ける口実を失い、インドでは親の目が煩いので自由に外出してデートするのは難しいとのコトです。

 それでもパプンさんはどうしてもわたしをカジュラホに縛り付けたいみたいで、それには若い女の子とくっつけるのが1番だと心得ている様です。
 これは以前に約3ヶ月間もホームステイしたカトマンドゥの家族と同じパターンで、その時も女の子と結婚させられそうになりましたが、まだ25歳だったわたしにその覚悟はありませんでした。

 でももう42歳になったわたしにとって、20歳くらいの女の子と付き合える機会はそうそう無いので、ここはパプンさんの気遣いに感謝すべきかと思います。
 しかしパプンさんがわたしを引き留めようとする理由も見えており、明らかにこのバラモン一家は没落の一途を辿っており、その兆候はもう隠せないレベルに達しているので、更に深入りするならば支援を求められる覚悟が必要です。

 この没落の原因として、パプンさんはコロナ禍の間は店のレンタル料だけ取られて収入が全く無かったコトと、数年前に家長の祖父を家で看取った時、病院に通う都合から車を購入せざるを得なくなり、医療費もかなり嵩んだせいだと語っていました。

 もう1つ、長男のゴーラル君(22歳)が外国人ツーリストとの付き合いでお金を蕩尽したコトも挙げられ、彼曰く事故にあって苦しんでいたアメリカ人からコカインやヘロインなどの高価なハードドラッグを求められ、そのアメリカ人とはブラザー付き合いをしていたので銀行から借金までしてそれに応じたそうです。

 その借金を彼は両親にちゃんと話せておらず、そのせいか畑の経営にもあまり身が入らずに、年輩の親戚から叱咤されている光景を見掛けたりしました。
 昨日は彼のバイクでカジュラホの寺院を案内して貰いましたが、彼のバラモンとしての誇りは些か空回りしている感があり、リシュケシュではグッドガイドとして名を馳せたそうですが、今では家族に隠れてタバコに依存する様になっており、お世辞にも名ガイドとは言い難かったです。

 それはバイクの整備状態からも伺え、ヘッドライトは切れていてエンジンオイルも半年ほど替えていないらしく、身の安全に関わるので1000ルピーほどを出してすぐに修理して貰いました。
 この日は朝方パプンさんからも1000ルピーを要求され、それはホーリー祭を祝うのにかかる経費2000ルピーを折半しようという申し出でしたが、その大半はどうやらバングラッシーとお酒に用いられそうです。
 
 このバングラッシーはホーリー祭には欠かせないモノらしく、パプンさんはとても美味しいアーモンドミルクのラッシーを作ってくれたのでアプリーシエイト(享受、感謝)できましたが、彼のお酒は完全に憂晴らしの破滅型で、それは家族からも非常に心配されていたので、わたしは日本ではそれで多くの大学生が命を落していると警告し、殆どのインド人はアラブ人と一緒でお酒の味わい方を全く知らないとタシナめました。

 もう一人の問題児とされるアシュ君についても語っておきますと、パプンさんとゴーラル君曰く彼には伝統文化に対する敬意が欠如しており、英語も一向に上達せず周りの貧しいインド人と同レベルに留まっていると批判されていました。
 彼はダラムサラーでも出稼ぎのインド人としか付き合っておらず、もっとチベット人や外国人ツーリストと積極的に交流しなければ店は発展しないと諭されていました。

 まあアシュ君はまだ若いので、周りに流されるのはしょうがないかと思え、責任感が強いので店を放ったらかしに出来ず、その為チベット人や外国人と付き合うヒマが無かったという彼の言い分にも一理あるかと思います。
 これについてはリシュケシュでお土産屋を開いていた母親(40歳)が優しく諭しており、インド語(方言)だったのでハッキリとは判りませんが、もっとのびのびと店はそこら辺の子供にでも留守番させて(どうせ客は1日に何人も来ない)、自由に見聞を広めなさいと言っているのは解りました。

 わたしはアシュ君に英語の歌と映画を勧め、まずはとにかくリスニングが肝心で話すのは後からついて来ると教えました。
 インド人はとかく喋りたがりで、聞く耳を持たないのでツマラナイ英語しか身に付かず、そんな周りの風潮には流されずに最高の芸術作品から学ぶ姿勢が大切だと伝えました。

 この日も夕暮れ時に畑で麦刈りをして、小作人のバラックで地元のボーイズと小銭を賭けてカードやルドーをやり、ゴーラル君の友達のバラモンの息子に100ルピーあげました。
 これがホームでは酔いの勢いから500ルピー賭けのルドー勝負となり、パプンさんに1000ルピー、お母さんに500ルピーをまた払って、この日は良きサンクス・ギビング・デイとなりました。

 

 
 

 

 
 

 
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