こうした価値を忘れないコトが、中国共産党の洗脳に抗う重要なポイントであり、チベットの若者達はそれを取り戻そうと努力しております。
この物語も全て主人公(著者)の主観で語られており、そうした「自伝」は小説よりも迫真性があります。
著者はトゥルク(転生活仏)候補に上がった程の僧侶で、その文章は非常に抑制の効いた名文と言えます。
彼が被った迫害は、常人ならば果てしもない憎しみに埋もれてしまう程のモノなのですが、それを抑制する「強さ」が彼の心には在り、それがこの本を世界的な名著としています。
そこで彼は、真実を曲げなかった為に手枷と足枷を掛けられ、それは食事も排泄も1人で出来ない拷問でした。
7ヶ月もずっと後ろ手に縛られた手は麻痺し、解かれた後も半年間は使い物になりませんでした。
しかしそうした「見せしめ」のお陰で、彼は多くの僧侶達が消された(173221人と記録される)密林地帯の「絶滅収容所」への移送を免れ、生き長らえて15年の刑期を全うします。
こうした犠牲者の死因は殆どが餓死であり、収容所の外でもその数は342970人と記録されています。
これほど大規模な飢饉はチベットではかつて無く、中共による民族浄化だとチベット人達は受け取りました。
しかしこれは、中国本土でも3000万人超の餓死者を出した「大躍進政策」のせいであり、チベット人にはソビエトがかつての支援の返済を穀物で徴収したせいだと説明しましたが、この言い訳は真実ではなく面子も立たないので今はもう使われません。
この本で語られる事柄はあたかも「闇の左手」や「1984年」などの異世界の様で、そんな世界が現実に存在したコトに驚かされます。
そこでは、夜通し動いていないと凍死してしまう「寒地獄」も描かれ、トゥルクはそれを星々との交信のチャンスと受け取ります。
ちょっと物語的な美化は入りますが、拷問する側の中国人にも彼は慈悲の心を示しており、そこには「再教育」を逆転させる気概すら感じられ、その勝ち目の無い戦いにトゥルクは望み続けます。
こうした「自己犠牲」はチベット人の伝統になってしまっており、抗議の自殺者数(焼身が多い)は一万人にとどく勢いで増え続けております。
それを美化するつもりは毛頭ありませんが、戦い続ける姿勢には共鳴いたします。