真の動物福祉牧場を目指して

New Bible の創刊

 また「シャローム教授のコラ厶」として書きますが、今回は彼が監修と前書きで携わった本「秀祥(marvelous origin)」の紹介とします。

 この本が「新しいバイブル」と称されるは、秀祥(しゅうしゃん)が末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)によって「キリストの再臨」と認められたからで、この経緯についてはシャローム教授が「前書き」で秀祥の人生航路を紹介しているので、そこで振り返らせて貰います。
 
ーー 今年2060年は歴史のターニングポイントとして、未来の人類から特に重要な年とされるかと思います。
 そして今年は「新しいバイブル」が創刊された年としても、後の人々に記憶されるコトでしょう。

 何故なら、今起きている「中国女性革命」のオリジンは「秀祥」にあるからで、彼女に命を捧げて戦ったチベット人達の「最期の一発」のお陰で、北京の中枢部を人民は占拠するコトが出来ました。

 ここで秀祥が歩んだ人生を簡単に紹介しますと、彼女はチベットに「裸足の医者」として住み着いた孫文徳と、その地で女性トゥルク(転生活仏)と目されていたサラとの間に産まれました。

 文徳は孫文の孫に当たり医者の家系で育ち、当時(1929年)に発祥したばかりの抗生物質をチベットに広めました。
 サラはそんな文徳に弟子入りして微生物の培養法を学び、後に2人は共同で「共生微生物学」の研究を発祥させます。

 これはチベット高原が低温で乾燥しているタメ、特定の微生物を培養するのに適していたからで、そうした厳しい環境で生きて来たチベット人は、経験的に「共生微生物群」を農業と医療に活用して来ました。

 女性トゥルクはそうした「共生微生物群」を操る技に長けた娘から選ばれ、サラは特別な腸内細菌叢を獲得する修行でも頭角を現しました。
 これは詩聖ミラレパ(1052~1135)によって発祥したチベット仏教カギュ派に伝わる修行で、いら草の水煮だけを食べて唱題行を続けます。 

 秀祥も15歳で亡命したネパールのチベット寺院でこの修行を積み、サラから受け継いだ腸内細菌叢の成せる技か、彼女も唱題行を苦も無く1ヶ月以上続けてトゥルクと目される様になります。

 このトゥルクの選定には、「祈りの歌」と言える唱題の周りへの感化力も重視されて、秀祥の歌は特別な元気を周りの人々に与えました。
 そんな彼女は17歳の時にカトマンドゥのブッダナートで、後に「アメリカの良心」と評されるシンガーソングライターのジャック-ブラウンと出会い、彼からギターを教わります。

 秀祥はそれまで、サラから習ったシタールを弾きながら難民学校で子供達に歌を教えていましたが、ギターの方が簡単で自由度が高いタメ、彼女はギターで歌うようになってから作詞作曲の才能も発揮するようになります。

 そんな秀祥は19歳にして、「裸足の医者(ボランティア医)」としてネパール奥地を巡るようになります。
 これはヒマラヤを越えて亡命する時に亡くなった孫文徳の遺志を継ぐモノで、彼女は家族を護るタメに逝った父の靴を生涯履き続けました。

 秀祥は母親のサラも早くに亡くしており、それは母が亡命チベット人社会のタメに無理を重ねて働いたからでした。
 サラは全ての難民キャンプに学校と病院を作ろうとし、自らも医師として無料で治療を行いました。

 当時の亡命チベット人社会は非常に貧しかったので、食べ物は全て自給自足で賄っており、サラはそうした畑仕事にも「共生微生物群」の活用を広めて貢献します。
 これは現代の「EM農法」の走りと言え、その技術大系は秀祥が子供時代を過ごした「優樹国」で、農業指導を行った農聖サイオンから伝えられました。

 この「サイオン(蔡恩)伝説」は台湾の布農(プノン)族から沖縄にまで伝わっており、発祥地である中国の福建省にはもうその伝説は遺っていませんが、曾ての中国が世界一の農業と人口を誇れたのは農聖サイオン一族の功績と言えるでしょう。

 秀祥も27歳の時に、アメリカのホピ族の聖地ホテヴィラでこの微生物農法を普及しました。
 それは1981年の事で、当時はネバダ州のナバホ族の地で大規模にウラン鉱石の採掘が行われていました。

 そこでホピ族がウラン採掘に反対し、ホテヴィラがヒッピー達の間で「反核の聖地」とされた歴史はあまり知られていませんが、ウラン採掘を行ったナバホ族の平均寿命が50歳以下になったコトは有名です。

 彼等が早死にしたのは一概にウラン粉塵による内部被曝が原因とは言えず、元々はアパラチア山脈の狩猟民族だったのが砂漠地帯に強制移住させられたので、生活文化が失われて精神的な退廃も顕著でした。
 そんな彼等には軍隊かウラン鉱山しか仕事が無く、食事はアメリカ政府から支給される悪名高い「フードスタンプ」に頼り切りでした。

 これは子供でも糖尿病になる食事で、大人は多くが酒にも溺れ、ナバホ族は民族消滅の危機に瀕しました。
 この危機に対して、「ネイティブ部族の中から新しいキリストが誕生する」という予言を信仰しているモルモン教徒も救済に立ち上がり、砂漠でも農業が可能になるドリップ−イリゲーション(点滴灌漑)を普及しました。

 秀祥とジャックやそのヒッピー仲間達は、古くからその土地で農業を営むホピ族と、モンモン教徒とも協力して砂漠農業を発展させます。
 ここでは「光合成細菌、乳酸菌、酵母」の三位一体による共生微生物群が、塩害をプラスに転じるコトが現在では解っており、秀祥はそれをいち早く実践しました。

 こうしてナバホ族は自給自足が出来る様になり、精神的にも健康を取り戻します。
 更に秀祥は、当時では治療法の無かった肺ガンを治療するコトにも成功します。
 
 その方法は現代では主流となっている栄養療法と免疫療法によりますが、これに驚いたモルモン教徒は秀祥が放つ「ヒーリング−ライト」によって癒されたと信じ、「ネイティブのキリスト」が誕生したと発表します。  ーー
 

 
 

 

 
 
 

 

 
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