真の動物福祉牧場を目指して

信仰の社会的な意義

信仰の意義を語る上で、それが人類社会に平和をもたらして来たコトは外せないでしょう。

基本的には仏教もキリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も殺人を禁じているので、人類の大多数が真の信仰心を持てば、地球上から戦争は無くなるハズです。

しかし現状では、敬虔な仏教徒が大多数を占めるハズのミャンマーで大規模な殺し合いが続き、同じキリスト教徒のロシア人とウクライナ人が殺し合っていて、アッラーとエホバの子等も「約束の地」を巡って殺し合っています。

彼等は端から見れば、明らかに信仰が歪んでいると映りますが、殺し合う人々は多くの場合それを「神の意志に依る」と弁解します。

ここで自身の信仰を告白しますと、わたしがもし人を殺すコトを強いられたならば、なにを置いても逃げ出すかと思います。
それは日本という国ですら置いて逃げる覚悟で、国を捨てて難民になっても殺人は犯したくありません。

この「不殺生戒」は信仰の核心かと思え、仏教で最上の悟りとされる「大平等観」も他を自己と同体に観ずるので、他者を殺生するコトは無くなります。

革命軍のリーダー愛新覚羅仁も、真摯な仏教徒として不殺生戒を保持しており、戦闘では敵の手や足を射って投降させて来ました。
これは一見弱味に映りますが、兵士も人間なので殺人はためらい、射撃のタイミングが遅れるコトが多々あります。
その点で仁はためらわず射てるので、敵に遅れを取るコトはありませんでした。

仁はそうしたコトも討論会で告白し、自身の信仰のゴールは全ての他者を自分と同等に観ずる「大平等観」を持つコトだと語って締めます。


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