「青き時代」という詩句は中島みゆきの歌などでよく使われていますが、文芸で挙げるならば村上龍の「限りなく透明なブルー」が有名です。
龍は専ら現代を描いた作家で、この時代の日本を最も広く制覇した作家と言えますが、彼の描いた現代はすでに過去へと移り変わっている観もあります。
それはともかくとして、10000年前の古代シャンシュン王国の誕生物語に入らせて貰います。
聖山カイラスの麓に辿り着いた10000人の遠征軍が、そこでヤクの群れと出会い共生して危急の飢餓から逃れられた所まで語りました。 それは牛乳が得られたコトと、たまたま寿命で亡くなるヤクが数頭いて、その死により10000の兵は命を経(つな)ぎます。
ヤクの毛と皮は温かい衣服にもなり、それは体調を崩して弱っていた兵士を寒さから守ります。 しかし短い夏はすぐに長い冬へと移り変わるので、一刻も早く家を建てる必要があります。
1万の兵は岩を砕いて基礎を築き、その上に日干しレンガで大きな家を建てます。 それにはどうしても支柱の木が必要で、これは4000mの高原では川沿いに僅かに生える、とても貴重な命でした。
食糧もヤクにばかり頼っては居れず、大麦の種を蒔いて若葉を収穫します。 実を収穫するのは来年に蒔く分だけにし、食用ではタンパク質量で5倍となる若葉だけを収穫します。 しかしそれでも1万人が冬を越すには限界がありました...
マイナス40℃にまで気温が下がる冬のカロリー不足は、睡眠中の体温が保てないコトによる凍死をもたらします。 これはシベリアに抑留された日本人の死因トップであり、私の田舎の北海道斜里に遠征した津軽藩士達も、これにより7割が最初の冬を越せませんでした。
トゥルクの遠征軍では冬場の大半を瞑想して過ごすコトにより、エネルギー消費を抑えて生き延びようとします。 しかし兵達には若者が多く、その「青さ争い」故に活動してしまい命を落とす者も続出しました。 そうして亡くなる兵士の割合は3割が妥当なところかと思い、冬を越した兵達の死生観は特別なモノとなります。