真の動物福祉牧場を目指して

人生の 最期を飾る ホームラン 打てる小説 描いて行きたし

さて、いよいよSYNの物語はクライマックスに近づいて来ました。最後にはっきりとSYNの光がsinの闇を凌駕する結末を描こうと思います。

長崎クリスチャンが最も光を放った時代の生き証人である慎語の最期でそれを描くのですが、まだまだ勉強不足でそれを書く自信が持てておりません。
人生の最期をホームランで飾る小説は、未だかつて誰が上手く描けたでしょうか? どなたか一推しの作品があったら是非とも教えて下さい。

ハードボイルドや戦争モノならばたいてい主人公の死で物語が閉じますが、それはどうしても他者による望まない死であり、とうていホームランとは呼べません。

私が知っている天寿を全うしたヒーローを描いた長編物語は、小説では思い浮かばず漫画の「アカギ、天(福本伸行)」くらいで、あとはトルストイの寓話的な短編「二老人」も一応挙げられます。

それ程、長い人生を最期まで描くのは難しいと言え、映画では「タイタニック」もそれに挑んでおりますが、それは若き日のノスタルジーがメインでそれがやはり限界(映画の限界ではなく現代モノの限界)かと思います。

私は老人介護の仕事もして来たので人生の最期(晩年)はたくさん観ましたが、現代の老人に最期のホームランを打つチャンスはなかなか見つけてあげられず、現代モノを描くモチベーションはまだ得られておりません。

歴史ロマンならばその点、大変な時代を乗り越えた事と、現代に希望のバトンを託すという面で、ホームランが打ちやすいかと思います。
因みに次の物語(「サイオンの伝説」)では、五人の主人公に最期のホームランを華々しく打ってもらう積もりです。

前置きが長くなりましたが、ラダックの冬に入ります。
仏舎利塔の建立について書き足しますと、以前「高地農業の可能性」で載せた「光の塔」をせっかくなのでフィーチャーしたいと思い、精神的な面だけでなく電気という物質面でもラダックの村に恩恵を齎せたらステキだと思います。

東洋哲学ではこの精神と物質の二元論は用いられず、それは一つのモノであるともっぱら主張されてます。
それでは慎語の精神はどの様に物質面に影響を及ぼすかがテーマになり、それはこれまで度々触れてきた生体水への物質波動(全ての分子、原子は波動を出してる)の影響力として描こうと思います。

最期には完全なブレサリアン(不食の人)と成っていた慎語の肉体は、特別な波動を放ち人々を癒やして来ましたが、その波動は死後も残り決して肉体を腐敗させませんでした (これは即身成仏と呼ばれる)。

慎語の肉はチベットの伝統に従って大鷲に供されますが、骨は仏舎利として重宝されて多くの人々に分け与えられます。 それを飲む人々(クリスチャン)もいれば、塔に奉る人々(仏教徒)も居り、はたまた川に流す人々(ヒンドゥー)や大地に還す人々(イスラーム)もいて、慎語の祈りの波動は様々な方面で水の生体波動(LF)を高めて行きます。

元と衛善は、それぞれ広島と長崎に慎語の骨を持ち帰って仏舎利塔に奉ります。
その仏舎利塔には毎日大勢のお太鼓と南無妙法蓮華経の声が響き、その波動は慎語の祈りとも共鳴して、はるか天竺まで響いて行きます。

コメント一覧

鈴木くん
全然面白くありません。
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