真の動物福祉牧場を目指して

平和行進について

インド哲学では人生は4つのステージに分けられるとし、それは学生期、家長期、林住期、そして遊行期です。
ブッダはこの伝統に従い、人生の最後は遊行の旅に明け暮れ、その旅の途上で亡くなります。
平和行進はそんなブッダの遊行をフォローする修行で、日本でこれを修行の柱に据えているお寺は日本山妙法寺だけです。

私が最初に参加した平和行進は、前述した聖地ルンビニのお上人さんが企画したものでした。それは15年前で、ネパールの王様が暗殺されて共産主義革命が起こるかもと危惧されてた時期で、山岳地帯の共産ゲリラが政府軍によって鎮圧されて間もない頃に、その戦闘があった山岳地帯を1月程行進しました。
そこは道路も電気も通ってないエリアで、なんの根回しもなく3人で太鼓を撃って歩き始めた行進でしたが、野宿したのは最初の日だけで、後はお上人さんのお徳から(ネパール語が達者)ずっとフォロアーが付いて宿(学校、お寺、民泊)を手配してくれました。
そこはヒマラヤの麓で、緯度では熱帯に当たるパパイヤと蓮華の多い美しい土地で、人々は大昔と変わらない暮らしながら幸せに生活していて、お坊さんが行進して来た事を平和が戻った印しとして喜んでくれました。
一部の若者は都会に出て苦労し、生活の格差に不満を抱いておりましたが、都会の豊かさなんて憧れる程の物じゃない、と言った説法をして、お坊さんの言う事なので向こうも良く聴いてくれました。

この後私は、旅の途上で平和行進があると聞くと出来るだけ参加する様になり、インド、アメリカ、ヨーロッパ、日本で行進に加わりました。
東日本大震災が起こった時も、アメリカ横断の平和行進(ネイティブアメリカンの伝統 5ヶ月間 私は二回目)に参加しており、原発事故の影響から各地で核施設に反対する行進が起こり、そちらにも参加しました。(アメリカは被爆大国で、ハドソン川の魚は食べられません)

日本でも原発反対の平和行進はしばしば行われており、私は大震災の前年に、東京から太平洋沿いに大間までの行進に参加し、これは反文明的なノリで荷物の運搬に手押し車を使う、昔のインドの平和行進の様ないい行進でした。

インドの平和行進では、ガンジーの「塩の行進」や、その後継者達による「ブーダーン(土地の寄進運動)」が有名で、大人数の行進だったのできっと牛車が運搬に使われた事でしょう。(両方とも日本山の上人と信徒が参加してます)
いつか日本の平和行進でも牛車を使えると良いかと思え、より周囲に自然との共生や伝統への回帰をアピールできるかと思います。

こうして私は、二十代の後半を平和行進
に明け暮れて (合間に東京で介護の仕事をし)、東日本大震災の後は自然とボランティア活動に没頭する様になりました。
次回は私が参加した、「EM復興支援プロジェクト」について書かせて頂きます。

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