前回からの続きで、チベット高原の辺境のアリ地区(人口密度世界最小)を革命根拠地にしていたSFF(チベット特殊部隊)は、後ろ盾のインドとアメリカが手を引いた(表向き)ので撤退を余儀なくされ、そこを目指して進軍していた2つの部隊も転進を迫られました。
これに対して華北平原を西に向かって進軍している長征本隊は、もう進路なんて決まらなくても一向に構わない位の「スローな革命」に突入しており、その規模は500万人にまで膨れ上がって党(ドン)は「このまま華北に居座る気じゃないか?」と心配するほどだったので、とくに問題なく迷走を続けます。
しかし小規模な長征別働隊(国際義勇軍)にとって進路は大事な問題で、革命根拠地が失われた以上、新たにそれを創り出す必要がありました。
国際義勇軍はウイグルの強制収容所を解放して千人近くまで規模を増やしましたが、戦闘経験のある人は僅かなのでそう安々と進軍を続けるコトは出来ません。
なのでリーダーのパールは長征本隊に援軍を要請し、本隊ではもうあまり兵力は必要無くなっていたので、東北軍満洲派の兵士や闇組織で生きて来た闇っ子男子など、命知らずの連中が義勇兵としてウイグルの辺境へ向かいます。
わたしはウイグルの辺境はまだ旅していませんが、モンゴルと国境を接する北西部の天山山脈あたりが遊牧に適しており景色も美しいので、そこに革命根拠地を創る目標で進路を決めます。
この革命根拠地はもちろん、ウイグル族が主体となって築かれなければならず、国際義勇軍はその手助けをするタメにモンゴルから進軍して来ました。
その活躍はネットで世界に広く伝えられたので、ウイグルの人々を助けようと国際義勇軍に加わろうと希望する人々も増え、モンゴル政府は中国革命を応援しているのでそうした人々に交通手段を提供します。
この輪には国際人権団体アムネスティや国連機関までも加わって、ウイグルに革命根拠地を創るというプランは物資の面では十分可能となります。