また私の経験からとし、ザッと職務経歴を振り返らせて貰います。
これは最近も履歴書に書いて出したのですが、その話は後に回します。
私が家業の民宿(斜里)で給料を貰うように成ったのは、18才で免許を取って送迎やツアーをこなせる様になってからで、スポーツ-インストラクター(カヌー、パラグライダー、登山)の仕事もやりました。
アルバイトは高専時代に、引っ越し、コンビニ、パチンコ、雀荘、飲み屋と一通りやり、大学時代は警備員と新聞配達員(奨学生)になりました。
それから定職に就く迄には7年ものブランクがあり、これはなかなかゴマ化すのが大変なのですが、海外を放浪しておりました。
これは私にとっては作家に成る為の修行で、日本では遊びが多すぎて本に集中できないので、海外でそれと向き合っておりました。
東京周辺で福祉系の仕事に着いたのは26才からで、知人の立ち上げた障害児ケアホームを始め、ホームヘルパー、認知症グループホーム、精神疾患者の就労支援センター、重度心身障害者施設、特養·老健·デイケアの総合施設、夜間巡回ヘルパーと一通りこなしました。
福祉の仕事に着いたのは母からの影響が大きく、彼女は作業療法師(公務員)をしていて、社会から必要とされる仕事だと勧めてくれました。
しかしこの仕事を探求していく内に、社会には余りにも健康を害した人が多いと感じる様になり、私が長期滞在した長寿の里フンザ(シャングリラ地方)の人々と比べると、日本人は根本的に健康で劣っていると考える様になりました。
それは今では、土と水のミネラルが劣っているからと答えられ、日本人は必須ミネラルが水と食糧から充分に得られていない為に、フンザの人達の様に100歳でもピンピンとは行きません。
石油化学農法は作物を大きくしますが、植物も必須ミネラルが不足して不健康になり、農薬の助けを借りないと育ちません。
これは食べる人にも引き継がれ、不健康で薬が無ければ生きられなくなります。
そんな薬漬けが善いハズはなく、きちんと必須ミネラルを満たせさえすれば、ガン、糖尿病、精神病、自己免疫中毒などの慢性疾患は確実に好転します。
ここで自己免疫疾患をあえて「中毒」としましたのは、その方がリアリティーを持てると考えたからです。
アトピー、ぜんそく、花粉症、大腸炎(コラム)などは自分の免疫細胞が暴走して起こり、これは免疫君たちがアル中やギャンブル中毒になってしまった感じです。
この疾患に対して、生体水を活性化(育成光線などで)するコトで浄化作用を高め、情報伝達を正常化して健康を取り戻す、といったアプローチも存在します。(「水~命と健康の科学」参照)
こうした土と水のミネラルを作物に橋渡しする役割は微生物が担っており、私はそれ(有効微生物群、EM)を環境や農業に活用する仕事をボランティアで5年、雇われで1年やりました。
ボランティアというのは震災後の福島で、放射能汚染を浄化する目的で行われている「EM復興支援プロジェクト」で、EM資材をタダで提供してその導入をお手伝いしました。(詳しくは本ブログの「福島シリーズ」にて)
この普及活動は海外の有機農業ボランティア(WWOOF)でも行い、今度は秩父の先の小鹿野(おがの)という所で牧場に導入したいと考えています。
ここで履歴書に話を戻しますと、小鹿野の「地域興し協力隊」にこれを送って今はその審査中です。
「協力隊」はボランティアのように自主的に仕事を作って、自由に働けます。
それで国からお給料が貰えるので実に有り難く、今年は全国で8000人を募集しているみたいです。
仕事は自由時間を奪いますが、その仕事が自由を広げてもくれ、それはお金だけではなく経験や自信、仲間との連帯感、そして感謝と生き甲斐も与えてくれます。