真の動物福祉牧場を目指して

インドに話しを戻させて頂きます

始めはここで、浦上マリヤと呼ばれたお清の物語につなぐ予定でしたが、この物語のテーマである「親」を大事にする上から、話しをインドの「宇宙一邪悪な街カルカッタ」に戻させて貰います。

ここがこんな汚名を付けられたら理由は多々あり、当時の大英インド帝国の首都は、多くの農民を餓死に至らしめた綿の輸出拠点で、その搾取した綿で英国は富を築き上げて(インドの伝統的な繊維産業は死滅)この街を造ったという点と、阿片と奴隷の貿易拠点だった点が挙げられます。
そんな街のスラムでジョンとガネシヤは親友となります。
それは二人の母親が親交を結んだ事により、まずはガネシヤの母ラクシュミーの物語から致します。

彼女はバラモン階級の娘でカルカッタ大学まで行き、そこでイギリスの野蛮な政策に抗議する熱心な闘士となります。
この運動は百年以上前から続いており、ラクシュミーは己の親族の階級(イギリスと結託してた)にも刃を向ける事となり、家から追い出されて貧しき人々と一緒にスラムで暮らします。
ガネシヤの父親は流浪の反英闘士で、共に闘いますが英国から指名手配され、ヒマラヤに逃げて消息不明となってます。

ジョンの母親はメアリーとし、彼女はイーストロンドン(スラム街)出身で兵隊の夫とインドに来て、その夫はジョンがまだ小さい頃に戦死します。
当時はメアリーのような未亡人がとても多い時代で、彼女達は支え合ってウーマンリブ運動が活発となり、それは男達の野蛮な植民地支配に対決する活動すら起こさせました。(彼女達も支配者ですが)
その一環としてメアリーは、カルカッタのスラムの生活向上を目的とした活動に取り組み、そこでラクシュミーと出会います。
二人は英語でコミュニケーションが出来、お互いに協力しあう事でスラムに流れ込んで来る飢えて絶望した農民を助けます。この二人を観て助けて、ジョンとガネシヤは育ち、特別な親友となりますが、子ども達の世界の話しはここでは割愛します。
でもこの物語はアニメ映画の脚本として書こうと思っているので、子どもの視点は大事にするつもりで、スラムのパンク少年団の活躍なども描く予定です。
アニメはそんなにリアリティに拘る必要がなく、理想主義的な感情に訴える物語としてふさわしいと思います。

話しはトゥルクがヒマラヤから救いをもたらしに降りて来るパートに飛びます。
これは後に待ち受けている非常にハードな展開(原爆)に太刀打ち出来るように大金星を上げる必要が求められ、それはラクシュミーとメアリーに対する最高の親孝行として描こうと考えてます。
まずガネシヤはヒマラヤで父を探し出して連れ帰ります。その親父の価値はまだ図りかねますが、ラクシュミーにとっては大きな励みとなります。
トゥルクとラクシュミーは直ぐに意気投合して協力し合い、一時はガネシヤがトゥルクと結ばれるかに思われます。
ジョンもトゥルクの心を射止めようと頑張り、イギリス支配の不正を訴えるジャーナリストとして、社交界にも打って出て活躍します。メアリーはそんなジョンを全力で応援して、親子の絆の強さが何よりの親孝行となります。

カルカッタの上流階級への倫理的な説得には慎語とトゥルクが当たり、天臣は農民の自治運動に協力します。彼は名門武医(気功)の家系の子で、若い頃は非常に血気盛んでしたが、この頃はすでにチベット医学を学んで本物の医者となり、たびたび衝突しそうになる農民と官憲の間に立って平和の道を拓きます。

なによりも二人の母親にとって有り難かった事は、トゥルク達の活躍によって良心的なイギリス人とインドの貧しき人々が共感の輪で結ばれた事であり、それは大英インド帝国が土台から崩壊する兆しとして、誰の目にも明らかに映るようになりました。

こうしてトゥルク一行は植民地支配からの解放の旅をミャンマー、ベトナム、フィリピンと続け、支持者を集めながら長崎へと凱旋します。
次回はようやく、長崎クリスチャンの歴史とお清の物語(小説的には冒頭に当たる)に入れそうです。
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