これは名画の産地として名高いカナダ東海岸の物語で、白黒の芸術作品です。
まず題名から入りますと、これは両方ともファーストネームなので奇妙に思われます。
「ロミオとジュリエット」みたいに男女の名だけの純粋な題名は有りますが、それよりもっと純粋な結合を示す題名で、母と子の繋がり以外にそれは有り得ないかと思います。
この母は「セイント メリー ジェーン」のように明るく美しい少女なのですが、耳が聞こえず、喋れず、家に引き籠って叔母(母は産褥死)からこき使われ萎れていました。
その華をなんとか咲かそうと努力する素晴らしい医師の活躍により、べリンダは手話と読み書きを覚え、徐々にですがまばゆい華を咲かせて行きます。(叔母がそれまでの自分の酷い仕打ちに涙するほど)
しかしそんなメリー ジェーンは、喋れないのをいいことに酔った男に襲われてしまい身籠もります。
彼女の心の傷は周りの暖かい支援で癒えますが、ベリンダを身籠らせたのは医師だと決め付けられて彼は村八分になってしまいます。
ベリンダの父(牧夫)は犯人の男を突き止め、医師の無実の罪を晴らそうとしますが、男(漁夫)と突発的な決闘となり殺されてしまいます。
この漁夫は野心家で、金持ちの家の娘にプロポーズしたけれど、この娘は医院をボランティアで手伝うほど医師に心引かれており、相手にされませんでした。
その医師を貶めて金持ちの娘をゲットし、村の権力者となった漁夫は次に自分の息子も手に入ようとして、権力によりベリンダから赤ん坊を取り上げようとします。(養育不能と決め付けて)
ベリンダなどどうにでもなると侮って取り上げに行った男は、彼女の思わぬ頑強な抵抗に度を失い力でねじ伏せて、パニックになった彼女は男を撃ち殺してしまいます。
メリー ジェーンは裁判にかけられ、聞こえず喋れない彼女は周りから理解されずに審議は不利に進み、彼女を救おうと通訳を買って出た医師までが有罪になりそうになります。
しかしそれに金持ちの娘は堪えきれず、夫の非道を告発してベリンダは無罪となり、医師と結ばれてハッピーエンドとなります。
この名画を紹介しましたのは、現代の日本でも「st+ Mary-Jane」のトライアル(試練、裁判)は続いているからです。
セイント メリー ジェーンはインドのラクシュミーやサラスワティーのような聖なる女性の称号ですが、marijuanaの隠語としても用いられ、これはヒッピー達の間で最も人気の高い称号でした。
他にもTea(T)、grass(草)、Juhanna(名前)などの呼称があり、ロックやフォークでは主にこうした呼称で歌われております。
前回紹介したキンクスの「Maxwell Hillbillys」でも「Alcohol」の次に「Tea」を歌った「Hallelujah, Rosan Lee」が対照的な明るいメロディーで続いており、「Tea knows no segregation(Tは人種差別を知らない)」と歌われてます。
ローザン リーは無名の人物ですが、リーという苗字から中国系の女性であることが伺われ、彼女もMaxwellの丘の住人で、訪ねて来る人皆にタダでTeaを振る舞って、丘から人種差別を無くした功績がハレルヤと歌われております。
前回は「Maxwell Hillbillys」を解題する余裕が無かったので今回しますが、Maxwellの丘というのはロンドンには存在しないので、これはMaxにWellな(最高にイカシた)と云う意味に取れます。
Hillbillysは「貧乏な若者達」と前回訳しましたが、正確には丘を勝手に占拠して住んでる人々の事を差します。
こうしたヒルビリーズは独自のコミュニティーを作り上げ、今ではその占拠した丘は彼等のモノとして認められており、英国のイカれる若者達は勝利を収めたと言えます。
これにはローザン リーのようなst+ Mary-Janeの活躍が大いに貢献しており、メリーとジェーンは共にファーストネームですが、融合する事で聖なる名前と成りました。
日本ではこうした称号とその由来はほとんど知られておらず、marijuanaの社会的な貢献も知られておりません。
世界的にはこの貢献が認められ合法化されている中で、日本はそれを無視し続けており、これは心の本質(リクパ)が失われている状態すなわちマリクパ(無明)と言え、次回それについて詳しく述べてみます。