真の動物福祉牧場を目指して

アデ(女戦士)の教え

「アデ」を女戦士としたのは意訳で、前に図書館で読んだ「女戦士アデ」から取りました。
アデの正確な意味は忘れてしまい、ネットでも出て来なかったので、些か無責任ですが「アデ=女戦士」として話を進めさせて貰います。

チベット人の女戦士はすでにケチャとターシャを登場させましたが、現実(史実)では当然もっと多くの女戦士が誕生しました。
それは故郷の伝統と尊厳を守る戦いで、男達が全滅した後は漢族男性と無理やり結婚させられるコトに反抗して戦いました。

この辺の経緯は前にも少し触れ、漢族男性達がそこを「地上の楽園」と形容したコトも紹介しました... 彼等にとってチベット人は家畜同然で、その女性を「漢化」するコトは「文明化」の大義名分を持ち、好き勝手に女性を弄びました。

こうして「文明化」された土地を旅して特に感じたのは、「漢民族の閉塞感」でした。
私が最初に東チベット(外国人旅行禁止)を旅したのは20年前で、漢族のお偉いさんの車が通る道の両脇にチベット人達が整列させられ、敬意を表させられているのを目撃しました... 封建時代にタイムスリップしたかのようでした。

その後検問所をいくつも迂回して越え、ヒッチハイクと歩きで半月程かけてラサまで辿り着きましたが、途中で「元」が尽きて「円」が両替できず、文無しの野宿旅に成りました。
そもそも東チベットで宿に泊まると公安に捕まるので、野宿旅は覚悟の上なのですが、中国にはどんな小さな村にもネットカフェがあり、そこは150円程でオールナイトできて、二十歳の僕はネットゲームにハマってたので(アメリカ製の宇宙戦争モノ)、一晩などアッというまに越せました。

しかし「文無し」となると寒空の下で夜を明かすしかなく、当時は夏でしたが夜は氷点下になる標高3500mの高原国で、けっこう苦労したのを覚えています。
それは蝋燭一本で夜を明かす修行で、体育座りしコートでスッポリ全身を包んで、膝の下の蝋燭で暖を取りながら本を読む、という行でした。
ウッカリ居眠りしてコートに穴を開けたりし、食べ物にも不自由して物乞いまで身を落としましたが、チベット人の長距離トラックに運賃後払いで載せて貰えて、苦境を脱せられました。

このトラックは主に「ヒト」を積み荷にしてて、20人程が荷台に詰め込まれてその内3人は座るスペースが無いので最後部に立たされました。
たまたまこのモグリの激安バスに2人漢族男性が乗ってて、私もどう観てもチベット人じゃなかったので(話せばもっと明瞭)、3人で立たされました。

このトラックバスは5日間の行程を行き、そうとうな悪路の為に跳ねまくって、漢族男性の1人はホロの金具に頭をぶつけて血を流してました。
最初はこの2人と仲良くなって、漢族にとって日本人はチベット人よりずっと親しみ易い様で、とても親切に宿と食事と酒までオゴってくれました。(夜道は危ないので走らない)

その内に私が日本人だと知れ渡ると、揺れの少ない前の方に座らされました。
この時は尼さん達が10人程グループで移動しており、引率する長老(男)の高僧も居てデンと座ってました。
そうした人達と寝食を共にし、トラックの荷台で固まって暖を取り寝ました。
残念ながら漢族のように筆談が通じず、中国一年生だったので言葉もまったく通じませんでしたが、「仏教の優しさ」みたいなモノに触れられました。

話しをチベットでの「漢民族の閉塞感」に戻します。
それは当然、遥か何千、何万年もの伝統を築いて来たチベット文明を破壊して来たからで、人類の「遥かなる道のり」を否定して建てた「新しい文明」など、「One too many morning」(また1つの多すぎる朝、 ボブ-ディランの歌)に過ぎない観があります。

因みにこの初期ディランのマイナーだった曲は、アムネスティ(世界人権機構)へのチャリティー アルバム「Chime of Freedom」のトップナンバーとして、ジョニー-キャッシュが歌っております。
この四枚組みのトリビュート アルバムは、ディランを全体的に知る上で最高のアルバムであると共に、欧米の現代アーティスト達の実力を知る上でも最善かと思います。
その中で個人的に一番ピンと来たのはエルビス-コステロの「License to Kill」で、彼の名アルバム「All this useless beauty」に経(つな)げてくれました。

話しを「女戦士アデ」に戻しますと、この本では当然、漢族男性によるチベット女性への暴行が記されており、アデ自身もその被害者でした。
一方私の描くアデは100歳で、その歳でなお強靭な肉体と精神を維持している超人的なオババです。
チベットにはこうした超老人が多く居り、それにはヨーガを高原風にアレンジした「チベット体操」が大きく寄与していると観られ、仏教による精神的な安定も一役買ってると思われます。

チベット文明はネイティブ-アメリカンのそれ程ではありませんが、女系社会の要素が強く、社会の根幹を握る仕事は女達が担って来ました。
男達はみんな寺に入れられて育ち、それから自分の好きな道を勝手に歩いて行きますが、女達は家に残って農業、牧畜、縫製、建築、教育、介護、医療などの仕事を受け持ち、実質的に村を創り上げて来ました。

なので長老アデは実質的に村のドンであり、彼女に寺のドン(男)と対等の権威を持たせるコトで、チベット社会は「Sexの戦い」(映画のタイト)を治めて来たと言えます。
そんなアデが、自分の死に場所を絶滅収容所に求めて行き、そこで「女性の愛」という題のクラスを開設する所まで物語りました。

その内容を今回話そうと思ったのですが、それはどうしても長くなるので、「120の妙なる法」でいつか「教育」をテーマに10本シリーズとして書こうかと思います。

地球上で一番過酷と言っていい環境で、数万年も続く文明を逞しく育て上げてきた女系社会のドンが、新米の漢族の「坊や」どもに「教え」を説くのですが、その通訳はもちろん行善が努めます。
全国(チェングオ)の命令でこのクラスは人民解放軍兵士の必修科目とされ、「祥」章の目玉と言っていい名クラスにしたいと思います。



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