こんなにも暖かい悲しみを経験するのは、初めてだ。
心がじんわり麻痺していくような。
涙で前が見えなくなるんだけど、痛くない。
苦しいとか辛いとかじゃなくて、優しい。
まだリアルじゃないんだけど、
ゆっくりと、でも確実に、その悲しみは存在してる。
じいちゃんが、あの世へ旅に出たのは4日前。
4連休をもらって、じいちゃんの所にお見舞いに行った。
4日目。
デジカメを車に忘れたんやけど、なんだか写真が撮りたくて、車まで取りに行った。
病室でみんなで写真を撮って、じゃあまた来るねってじいちゃんに言って別れた。
大阪に帰る車中、お母さんの携帯が鳴った。
「信じられへんやろうけど、今、じいちゃんが亡くなった。」
じいちゃんは、驚くほど勤勉で几帳面で口うるさい。
だからすぐにばあちゃんと喧嘩になる。
ばあちゃんの言う事はだいたいが正論で、じいちゃんはいつも言いくるめられる。
じいちゃんの愚痴をよく聞いた。
ばあちゃんは、愚痴を言うじいちゃんの後ろで笑ってた。
なんてことない、盆と正月になると見れる当たり前の風景。
大型連休は田舎で過ごす。
それも当たり前だった。
学生の頃は、行ったら1週間近く泊まるので、それを嫌だと感じる事もあった。
友達と遊びたい。ってね。
でも今は違う。
命に限りがあるのを知ってる。
だから、少しでも一緒にいないと。
じいちゃんとばあちゃんの偉大さ。
それは、もぅ計り知れない。
じいちゃんは海軍兵だった。
戦艦伊勢に乗っていて、その話を大人になってから聞いた。
想像を絶する厳しさ。
ただ、不謹慎かもしれないけど戦争の話は切なくも面白かった。
体験した人から直接聞くのは、学校の教科書よりも、よっぽどためになった。
だから、もっともっと聞きたかったのに。
じいちゃんの体調が悪くなって入院したのは、今年始め。
お年寄りって、入院すると余計に弱るんやね。
じいちゃんは、みるみる痩せていった。
私の事が、日によっては判らなくなってた。
病院に入院してるのに、家に居ると思い込んでいた。
でも、農協や郵便局の手続きの事に関しては毎日言っていた。
それは自分にしかわからない事だから。
ばあちゃん1人には任せれなかったんだろう。
「あっちの部屋は電気消したか?」
「兄ちゃん(私の)はいつくるんや?」
「綾ちゃんの車はどこに置いたんや?」
「オマリーの小屋はどこに置いたんや?」
「おばあちゃんのマッサージしたらなあかんのや」
「おばあちゃんの白髪染めたらなあかんのや」
「局の事はおじいちゃんしかわからんで、はよう行ってこな」
「綾ちゃん、疲れとるとこ悪りぃけど、暗うなる前に行ってこうか」
歩くことも出来ない。
ご飯も食べれない。
そんな状態やのに、最後の最後まで、おばあちゃんと子どもと孫の心配ばかりしてた。
口下手で、誤解されやすいじいちゃんは、誰よりも優しかった。
大阪に帰る日になると、ばあちゃんの目を盗んでは、ゴツゴツの手でお小遣いを渡してくれた。
遠慮したら、怒られた。
そんなじいちゃんは、もう、おらんのやなぁ。
昔、肺がんになって、肺を1つとった。
そのせいもあって、入院中呼吸困難で何度も何度も危篤になった。
その度に復活。
今回も、復活してくれると思ったんに。
じいちゃんは、みんなにゆっくり心の準備をさせてくれたんや。
金曜の夜に無くなったから、ほとんどの親族が会社を休まなくて良かった。
お通夜とお葬式は、驚くほど天気が良かった。
完璧すぎる、不死鳥伝説の終焉。
これは、言い継がれるよ(^^)
じいちゃん。
ありがとう。
最後に握ったじいちゃんの手の温もりは、忘れへんよ。
ほんまにほんまにありがとう。
ゆっくり、休んでな。
心がじんわり麻痺していくような。
涙で前が見えなくなるんだけど、痛くない。
苦しいとか辛いとかじゃなくて、優しい。
まだリアルじゃないんだけど、
ゆっくりと、でも確実に、その悲しみは存在してる。
じいちゃんが、あの世へ旅に出たのは4日前。
4連休をもらって、じいちゃんの所にお見舞いに行った。
4日目。
デジカメを車に忘れたんやけど、なんだか写真が撮りたくて、車まで取りに行った。
病室でみんなで写真を撮って、じゃあまた来るねってじいちゃんに言って別れた。
大阪に帰る車中、お母さんの携帯が鳴った。
「信じられへんやろうけど、今、じいちゃんが亡くなった。」
じいちゃんは、驚くほど勤勉で几帳面で口うるさい。
だからすぐにばあちゃんと喧嘩になる。
ばあちゃんの言う事はだいたいが正論で、じいちゃんはいつも言いくるめられる。
じいちゃんの愚痴をよく聞いた。
ばあちゃんは、愚痴を言うじいちゃんの後ろで笑ってた。
なんてことない、盆と正月になると見れる当たり前の風景。
大型連休は田舎で過ごす。
それも当たり前だった。
学生の頃は、行ったら1週間近く泊まるので、それを嫌だと感じる事もあった。
友達と遊びたい。ってね。
でも今は違う。
命に限りがあるのを知ってる。
だから、少しでも一緒にいないと。
じいちゃんとばあちゃんの偉大さ。
それは、もぅ計り知れない。
じいちゃんは海軍兵だった。
戦艦伊勢に乗っていて、その話を大人になってから聞いた。
想像を絶する厳しさ。
ただ、不謹慎かもしれないけど戦争の話は切なくも面白かった。
体験した人から直接聞くのは、学校の教科書よりも、よっぽどためになった。
だから、もっともっと聞きたかったのに。
じいちゃんの体調が悪くなって入院したのは、今年始め。
お年寄りって、入院すると余計に弱るんやね。
じいちゃんは、みるみる痩せていった。
私の事が、日によっては判らなくなってた。
病院に入院してるのに、家に居ると思い込んでいた。
でも、農協や郵便局の手続きの事に関しては毎日言っていた。
それは自分にしかわからない事だから。
ばあちゃん1人には任せれなかったんだろう。
「あっちの部屋は電気消したか?」
「兄ちゃん(私の)はいつくるんや?」
「綾ちゃんの車はどこに置いたんや?」
「オマリーの小屋はどこに置いたんや?」
「おばあちゃんのマッサージしたらなあかんのや」
「おばあちゃんの白髪染めたらなあかんのや」
「局の事はおじいちゃんしかわからんで、はよう行ってこな」
「綾ちゃん、疲れとるとこ悪りぃけど、暗うなる前に行ってこうか」
歩くことも出来ない。
ご飯も食べれない。
そんな状態やのに、最後の最後まで、おばあちゃんと子どもと孫の心配ばかりしてた。
口下手で、誤解されやすいじいちゃんは、誰よりも優しかった。
大阪に帰る日になると、ばあちゃんの目を盗んでは、ゴツゴツの手でお小遣いを渡してくれた。
遠慮したら、怒られた。
そんなじいちゃんは、もう、おらんのやなぁ。
昔、肺がんになって、肺を1つとった。
そのせいもあって、入院中呼吸困難で何度も何度も危篤になった。
その度に復活。
今回も、復活してくれると思ったんに。
じいちゃんは、みんなにゆっくり心の準備をさせてくれたんや。
金曜の夜に無くなったから、ほとんどの親族が会社を休まなくて良かった。
お通夜とお葬式は、驚くほど天気が良かった。
完璧すぎる、不死鳥伝説の終焉。
これは、言い継がれるよ(^^)
じいちゃん。
ありがとう。
最後に握ったじいちゃんの手の温もりは、忘れへんよ。
ほんまにほんまにありがとう。
ゆっくり、休んでな。