ゆきの日記

儚い日常を、ゆきの目線でお届けします。

温かい悲しさ

2007年04月17日 | Weblog
こんなにも暖かい悲しみを経験するのは、初めてだ。

心がじんわり麻痺していくような。
涙で前が見えなくなるんだけど、痛くない。
苦しいとか辛いとかじゃなくて、優しい。

まだリアルじゃないんだけど、
ゆっくりと、でも確実に、その悲しみは存在してる。


じいちゃんが、あの世へ旅に出たのは4日前。


4連休をもらって、じいちゃんの所にお見舞いに行った。

4日目。
デジカメを車に忘れたんやけど、なんだか写真が撮りたくて、車まで取りに行った。
病室でみんなで写真を撮って、じゃあまた来るねってじいちゃんに言って別れた。

大阪に帰る車中、お母さんの携帯が鳴った。

「信じられへんやろうけど、今、じいちゃんが亡くなった。」



じいちゃんは、驚くほど勤勉で几帳面で口うるさい。
だからすぐにばあちゃんと喧嘩になる。
ばあちゃんの言う事はだいたいが正論で、じいちゃんはいつも言いくるめられる。

じいちゃんの愚痴をよく聞いた。
ばあちゃんは、愚痴を言うじいちゃんの後ろで笑ってた。

なんてことない、盆と正月になると見れる当たり前の風景。

大型連休は田舎で過ごす。
それも当たり前だった。
学生の頃は、行ったら1週間近く泊まるので、それを嫌だと感じる事もあった。
友達と遊びたい。ってね。

でも今は違う。
命に限りがあるのを知ってる。
だから、少しでも一緒にいないと。

じいちゃんとばあちゃんの偉大さ。
それは、もぅ計り知れない。

じいちゃんは海軍兵だった。
戦艦伊勢に乗っていて、その話を大人になってから聞いた。
想像を絶する厳しさ。

ただ、不謹慎かもしれないけど戦争の話は切なくも面白かった。
体験した人から直接聞くのは、学校の教科書よりも、よっぽどためになった。
だから、もっともっと聞きたかったのに。


じいちゃんの体調が悪くなって入院したのは、今年始め。

お年寄りって、入院すると余計に弱るんやね。
じいちゃんは、みるみる痩せていった。
私の事が、日によっては判らなくなってた。
病院に入院してるのに、家に居ると思い込んでいた。

でも、農協や郵便局の手続きの事に関しては毎日言っていた。
それは自分にしかわからない事だから。
ばあちゃん1人には任せれなかったんだろう。

「あっちの部屋は電気消したか?」
「兄ちゃん(私の)はいつくるんや?」
「綾ちゃんの車はどこに置いたんや?」
「オマリーの小屋はどこに置いたんや?」
「おばあちゃんのマッサージしたらなあかんのや」
「おばあちゃんの白髪染めたらなあかんのや」
「局の事はおじいちゃんしかわからんで、はよう行ってこな」
「綾ちゃん、疲れとるとこ悪りぃけど、暗うなる前に行ってこうか」

歩くことも出来ない。
ご飯も食べれない。
そんな状態やのに、最後の最後まで、おばあちゃんと子どもと孫の心配ばかりしてた。
口下手で、誤解されやすいじいちゃんは、誰よりも優しかった。

大阪に帰る日になると、ばあちゃんの目を盗んでは、ゴツゴツの手でお小遣いを渡してくれた。
遠慮したら、怒られた。

そんなじいちゃんは、もう、おらんのやなぁ。

昔、肺がんになって、肺を1つとった。
そのせいもあって、入院中呼吸困難で何度も何度も危篤になった。
その度に復活。
今回も、復活してくれると思ったんに。

じいちゃんは、みんなにゆっくり心の準備をさせてくれたんや。
金曜の夜に無くなったから、ほとんどの親族が会社を休まなくて良かった。
お通夜とお葬式は、驚くほど天気が良かった。

完璧すぎる、不死鳥伝説の終焉。

これは、言い継がれるよ(^^)



じいちゃん。

ありがとう。

最後に握ったじいちゃんの手の温もりは、忘れへんよ。

ほんまにほんまにありがとう。


ゆっくり、休んでな。