こんな季節でもアイスが旨い。
何故か?大学と電車の中の暖房が強すぎるからだ。あれ、暑過ぎ。何とかしてくれ。電車乗って汗かくとかまいっちんぐ。
しかし、コンビニ入っても、だ~れもアイスコーナーなんぞ見向きもしないな。アイスメーカーは大丈夫なんかね?「冬の間は20%引き」とかそういうことやれば、売り上げもいくらか変わりそうな気がするんだが・・・・ま、いらん心配かな。
ここ数年のアイスはひじょ~に美味しいね。小学生の頃と比べて、バリエーションや味もかなり向上したように思う。けど食いすぎは禁物。アメリカのアイスメーカーの社長さんは毎日アイスの試食をし、また試食自体も大好きだったもんだから、それが原因で早死にしている。毎日アイスはさすがにヤバイだろ・・・・。
水曜日は大学は休み。マッタリ休日を過ごしたいところだが、課題が出まくってるので少しでも消化しておく・・・予定だったが結局遊んだ。
メディア論の授業が滅茶苦茶勉強になってヤヴァイ。先生は髭を生やした50過ぎのおっさんで、後ろ髪がすだれのように長く(金田一少年より長い)、いつも何箇所もつぎはぎがしてあるジーパンに、髑髏マークのTシャツといういでたちで現れ、(寒くなってきてからは、マトリックスのコートみたいなものを羽織るようになった)教卓のイスを使わず、何故か学生側の最前列の机の上にドカーンと豪快に座り、講義を行う変人。
「メディアとは何か」という問いかけに先生はこう答える「五感で感じ取れるもの全て」。つまり広告塔やラジオ、ニュース、新聞、インターネットなどにとどまらず、机だろうが、食い物だろうが、人だろうが、動物だろうが、全て五感を通して感じとれるからメディア。メディアに対して、ここまでぶっ飛んだ定義づけを行う人は未だかつて見た事がない。けど、それは俺がメディアに対して意識的に学ぼうともせず、関連本も全然読んでこなかったからであって、メディア研究の専門家の間では比較的広く認知されているようだ。
京都大の佐藤卓巳教授も、「メディアとは広告媒体のことである」とした上で「消費社会では全てのモノ、コト、ヒトが広告(情報発信)の媒体となる」と述べ、社会におけるあらゆるものがメディアといえることを示唆している。
一見すると、ベッドや鉛筆などは、ただそこに存在しているだけで、企業の宣伝活動が伴わなければメディアとしての性質を帯びないように思える。しかしながら、よくよく考えてみると、自分が感じ取れるものは音であれ、モノであれ、自身に対して何らかの影響を与えている。それは広義の意味では宣伝ととれそうである。たとえそこに、宣伝する“人”がいなくても、宣伝という意図がなくても・・・。
佐藤卓巳の著書「メディア社会」は、メディア論の授業の課題図書として提示された本だが、新鮮で面白い見解、仮説がたくさん見受けられ、勉強になる。
例えば、(引用の引用になるが)ニーチェの言う、「最後の人間」、すなわち民主主義社会の市民とは、快適な自己保存に満足しており、他者への優越願望を欠いている。こうした価値相対主義のもとでは、人々を自己犠牲にかりたてる気概は失われ、創造的な生き方は困難になる。
という主張・・・・民主主義社会の市民の行き着く先を見事に予言しているものに思える。
また、こんなのもある。
近代化や進歩は子供が読み書き能力を獲得して大人になる成長プロセスとも重ねられた。だからこそ、識字教育は必然的に進歩的と見なされ、読書こそが精神的成長の糧として評価されてきた。
しかし、映画、ラジオに始まる電子メディアの発展は、こうした大人の優位、成長の神話を情報環境から掘り崩していった。たいした習熟を必要としない。子供向けと大人向けにはっきり区別されていた書籍や雑誌と異なって、番組や映画の内容に多少の配慮はあっても大人も子供も同じラジオ受信機や映画館を利用する。大人と子供の境界はハード面で消滅し、その影響はやがてソフト面にも及んでくる。
ハード面とは映画、TV、本といったものを指し、ソフト面は、例えば本でいえば絵本、小説、エロ本、雑誌、といったものを指す。
人間の成長の証は、ある種、大人用のハードへ移行し、それを理解し、扱えることにあったのかもしれない。ここでは識字率に関連して読書の重要性を説いているが、これは俺の経験でいえば見事に合致する内容だ。俺も20歳くらいまでは本なんてぜ~んぜん読まなかった。メディアとしての本は全く活用せず、利用するものといえば、TV、映画、ゲーム、音楽、漫画といった小学生でも楽に扱えるものばかり。こういったものにドップリ浸かった人間は、ハードが変わっても、それに類似したソフトしか利用しなくなる。この著者はディズニー映画などもその象徴といえるものだとしているが、となれば、本でいえばケータイ小説とか、ラノベなんかがそれに当たるのだろうか。ハードが変化してもソフト面で共通し、なおかつそれが“ただただ楽”なものとしていいとこ取りしている限り、人それ自体のスキルアップはなかなか難しいのかもしれない。なかなか面白い意見だと思う。
・・・・とまぁメディア論の授業は色々とタメになってるんすよ。
ここで大学の好きな授業トップ5を紹介
1位
記号処理
エクセルの扱い方を学ぶ授業。今のところスイスイ理解できて、学生が俺を含めて2人しかおらず、とってもリラックスして授業を受けれるのでコイツが1位かな。授業の時間も本来90分なんだけど、先生が飛ばしまくりのせいで60分で終わる。これも有り難い。ハッキリ言って90分も集中力もたんよね・・・。
毎週課題が出るので、人によってはお荷物授業。また、順を追ってステップアップしていくため、一度でも休むとついていくのがキツくなると思う。そのせいか、当初3人いたが、一人脱落した。コンピューター好きじゃないと、あんまり馴染めないかもな・・・。
2位
メディア論
先生の精神年齢が若いせいで、話が理解しやすい。いや、俺の年齢が高いせいかな?上記のように色々考えさせられる話が多く、ストレスを殆ど感じない。この授業の前には心が軽くなる。・・・・そう感じてるのは俺くらいらしく、出席とらないせいか、学生数はどんどん少なくなっている。授業中の入退室も結構目立つ。
3位
教職課題
毎週、誰かが教育をテーマにした発表をし、それに対して皆で意見を言い合う授業。(今週の発表で何故かサブプライムローンのテーマが出てきたのが気になる・・・wもしかして教育とサブプライムローンの関連性を論じる気か?と思ったが最後まで教育のきょの字も出てこなかった)発表者の発表を聞いて、意見言ったら、いつの間にか90分経っている。体感的には20分くらいしか受けている気がしない。半端なく楽です。楽な授業ランキング作ったらダントツの1位。先生がまたぶっ飛んでいるのだが、俺の好きな方向性へとぶっ飛んでいるので何も問題ない。
「俺さ~学校の授業は朝6時から始めるべきだと思うんだよね。5時に起きるだろ?で、6時から授業始めるのよ。んで昼にはもう帰る。昼からは遊ぶなり勉強なり各々好きにやる、こうした方がいいと思うんだ。皆、そう思わない?関口君どうよ?」「いいですね、それ」
4位
自然地理学、倫理学概論
同順位でこの2つ。毎回、授業の半分が教材ビデオ鑑賞に当てられるので、そのせいで気合入れずとも集中力を最後まで保てる。しかも教材ビデオの内容が毎度毎度おもすれ~!そんじょそこらのバラエティ番組より面白い。つ~か、去年倫理学の授業取って、今年も教職用の倫理学概論とらにゃならんのがなんとも・・・。まぁ面白いからいいけど。
自然地理学では火山や水(湖、川、氷山など)、地質など様々なものを学ぶ。日常において、比較的軽視しがちな分野なんだけど、それ故に自然からのしっぺ返しで、多くの自然災害を世界中が受けていることを痛感する。メキシコシティは、いるだけで1日タバコ2箱吸うのと同等の健康被害を受ける、世界一空気が汚い場所なんだと。とてもじゃないが、俺は住めんな。それでもメキシコシティは人口2千万の、世界一人口の多い都市。
こんな感じ。
今日はタイトルが適当すぎた。