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宇宙とその中のオレ

書いたり、発信することで自分自身にも新たな発見が芽生える。また、記録しなかったことへの後悔が無いようにするためのブログ

白い巨塔 名言集

2017年04月03日 17時25分02秒 | 批評・感想

「彼はいささか、野心が勝ちすぎる傾向がありましてな。」
「野心結構じゃないですか。最近の若いのは自分だけの世界に逃げ込んで満足しちまう奴ばかりだ。たまにはこちらが度肝を抜かれるほどの、ギラギラした野心を見せ付けて欲しいもんです。」

「産婦人科にセクハラも関ヶ原もあるかい!」

「君は、私の意見を批判するのかね?」

「医は仁術やのうて、医は算術やからな。」

「いいか、人間金が出来たら名誉が欲しなんねん。人間の究極の欲望は名誉や。名誉が出来たら金も人も自然について来るけど、金はどこまで行ってもただの金に過ぎん。」

「ほれとっとき。」
「いやしかし、こんな高価なものは・・・」
「ククッ所詮は女の股覗いて手に入れたもんや。遠慮せんでもええ。」

「理想というのは大いなる魂に宿るものですが、野心というのはちっぽけな魂にとりつくものでね。」

「自信家ほど梯子外されやすいものよ?登りつめたかったら、もっと陰険な用心深さ持たないと。」

「国立大学は公平な所です。苦労人も金持ちも一切関係ない。実力の世界です。」
「おおそうか、そりゃすまんかったな。町医者の僻みかもしれんけど、権威が横行している世界かと思ってなぁ、フフ。」

「インフォームドコンセントなんだと専門的な言葉を並べて患者に媚びを売るより、絶対に大丈夫という強い一言のほうが、患者は安心するものだ。」

「医者は神様じゃない。患者と同じ人間だ。」

「何か?つまり君は私が見落としをしたと言いたいのかね?」

「もういいよ!君の子供っぽい屁理屈を聞いてる暇は無い。」

「何故謝るんだね?君が意図したことじゃないなら、謝る必要は無い。」

「簡単に頭を下げられるとね・・・・こちらの出ようがないよ。」

「君は技術は確かだが、肝心なところで間違ってる。」

「教授だから助教授だからと立場ばかり考えているからおかしくなるんだ。正しいことも言えなくなるんだ。」

「(息子が書いた父親の似顔絵を見て)俺はこんな立派じゃないな・・・。」

「お袋も考えて贈ればいいんだ。贈り物は相手が喜ばなきゃ何にもならないからな。」

「君のお父さんによく言われてるからな。医者は趣味を持たなきゃダメだって。」

「だから・・・そんな旧態依然としたタブーに縛られてはいかんと言って・・・」
「医学部は旧態依然とした所なんだよ。正しい診断より、教授の権力の方が強大だというのが現実なんだ。」

「ただ医者というのは技術だけじゃなく、人格も優れてなくてはいかんと言ってるだけだ。」

「彼は厳しい思想家だ。君が何か言ったくらいで彼は考えを変えないよ。しかし、厳しさというのは、えてして周囲を傷つけることがあるからねぇ。そして、自分をもね。」

「あの失礼ですが先生、もうちょっと器用に動いた方がいいんじゃないですか?」

「大学じゃ話せん。」
「何故だ?」
「場合によっては、君を殴るかもしれん。」

「真実を言って飛ばされるのなら、未練はないよ。」
「正義漢ぶるのもいい加減にしろ!君は自分が正しいことをしているということに酔ってるだけだ。」

「ド田舎で真実を叫んでも誰も聞きはしないぞ。医者をやるなら、医学部の教授にならなければ意味がない。金も患者も集まる一流の国立大のな!」

「君の考えはおかしい。」
「ああ、おかしいとも!しかしおかしくなければ、平気で人の身体を裂いて、内臓を縫い合わせたりできんよ。」

「でもあの人は、偉くても偉くならなくても正しいことが出来る人だわ。偉くなりたいゴロウちゃんは、それだけで負けてるんじゃないかしら。」

「私はゴロウちゃんに教授になって欲しいわけじゃないの。成り上がっていくところを見ていたいだけ。」

「溺れたら助けてくれるのか?」
「いいえ。だって・・・どんな溺れ方するのか見てみたいもの。」

「結局君と僕はいくら話しても・・・・考え方の違いに行き着くみたいだな。」

「あなたはご自分の心の中で思っていることをあたくしに言わせ、あたくしのせいにし、ご自分の良心の呵責を少なくしようとなさってるだけですわ。でもそれであなたの気が済むなら結構です。」

「奉公が報われると思うとったらあかんがな。世の中皮肉にできてんのや。一生懸命やったのに結果が出んと、いい加減にやったことが上手くいったりすんのや。けど金だけはちゃうで。金は対価を払おうたら、大概の事は手にはいんのや。」

「ええ女の一人くらいおらなんだら、いい医者とはいえん。」

「婿養子にも冒険が必要だからな。」

「ゴロウちゃんを揺さぶるのは偉い人でもない。強い人でもない。里見先生みたいに自分を信じている人だわ。」

「(助かる見込みのない患者のためを思うなんて)安っぽい同情に振り回されるより、助かる患者を助けるんだ。」

「持つべきものはお金ね。これが、名も無き一般患者だったら死んでたかもしれない。」
「お前だって一緒だろう。同じ酒でも人を見て値段もサービスも変える。やってることは同じじゃないか。」
「そうね、あたしが扱うのはお酒で、ゴロウちゃんが扱うのは命。それだけの違いだもんね。」

「ひとつの症例に徹底的に向き合う。医学の根本姿勢だ。そして、それこそが皆が現在忘れかけてることに他ならない。」

「医学部は理不尽なことが色々起こるところなの。」
「そ、面倒くさいこともな。」

「君はおかしな男だな。強引に事を進めるかと思えば、こうやって弱みを見せる。したたかというのは、君のようなのを言うんだろうね。」

「彼は政治家にでもなったつもりか?医者の本分を忘れている。」

「気休め言わないでよ!私、知ってるのよ!ガンになった人がどういう死に方するのか!」

「私、信頼してる人に最期を看取られたいんです。」

「教授、結婚23周年だそうですなぁ。23いう数字はほんまにめでたい。ほいならどうぞ。(200万円)」

「教授選というのは、愚かな強引さより、賢い妥協だからね。」

「こんな不確かな世の中で、辛うじて伸び伸びと生きるには、新しきものより、古さに身を委ねたほうがいいと考えておるのではないでしょうか。」

「あいつ、偉くなりたいわけじゃないらしい。かといって怠けたいわけでもない。そんな奴、本当にいるのかね?嘘くさいとしか思えんな。俺は自分のためだけに生きている。誰だってそうじゃないのか。」

「困るんだよ。あいつの言ってることが嘘じゃなきゃ、俺は困るんだ。」

「頑張るべきか、頑張らず受け入れるべきか、患者に会うたびに考える日々です。」

「一人で崖から落ちるのが怖くて、誰かの手を掴んでしまうかもしれません。」

「私は平凡な人間だから、時々楽したくなっちゃうのよね。」

「そういう風に人の人生を笑うものじゃないよ。」

「生きるか死ぬかの戦いで、そんな綺麗事言ってられるか!」

「戦いって、どっちが優れてるか競うものじゃないのね。いかに卑怯で、いかに相手を憎めるか競うものなのね。」

「僕はこの件に関しては、聞かなかったことにさせてもらう。」

「医者にとって、慎重さは何よりも必要なんだよ。」
「僕は医者にとって決断力が何よりも必要だと思うがね。」

「判断を誤ったら、取り返しのつかないことになるんじゃないのか。」
「僕は判断を誤ることはないよ。」

「里見君、僕に意見するのはこれで最後にしてくれるかな。年が明ければ僕は教授に就任する。いち助教授の言う事にいちいち耳を傾けてられないからね。」

「そういえば、君からはまだ“おめでとう”の一言をもらっていなかったな。実は僕は、君に一番祝ってもらいたかったんだが。」
「俺は祝えないよ。悪いが、君が教授になったことを喜べる日が来るとは思えない。」

「こうして椅子があれば、座りたくなる。一生立ちっぱなしでいいって言ってる奴は、やせ我慢してるだけさ。」
「俺はただ、自分の足で歩きたいだけだ。」

「医者は治療の技術を売って、金を稼ぐ商売だ。君だって給料を貰って患者を診察している。自分だけ特別な顔するなよ!」
「君は割り切ることで医者であり続けるなら、俺は悩むという一点で、医者であり続けるのかもしれん。」

「私、惨めだなんて思ってないわ。働くと決めた以上、恥をかくのも覚悟している。」

「悪いけど私、上から下を見下ろす趣味なんてないわ。」

「あなたを見てると、人間とは底なしの欲張りに見えてきますよ。」

「だが、これだけは言わせてくれ。患者を看ようとしない財前はおかしいが、知っていて看ようとしない君もおかしいよ。」

「あれで良かったのよ。何か捨てないと、一人前の外科医にはなれないのよ、きっと。」

「惚れるのには理由はいらないが、別れるのには理由がいるだろう」

「今が最高ってことは、それ以上望めないってことでしょ?こんなに怖いことはないわ。」

「奥さん、解剖はご主人の最期の声を聞くことでもあるのです。」

「極論を言えば、君が取り返しのつかない誤診をしたとしても、遺族が納得していれば構わんのだよ。」

「医師が患者の葬式に行くなど、軽率だよ。」

「医師に私人の瞬間などないよ。君が病院で患者を看ようが、安酒屋で酒を飲もうが、医師なんだ。」

「医師として責任を果たすということは、大学を守るということなのか?」
「無論、そうだよ?」

「お前が傷つくだけだよ。」
「傷ついても構いません。」

「自信の無い人間はえてして・・・偽善者になりますからね。」

「これからどうするんですか。」
「まだ決めてない。じっくり自分に合う病院を探すつもりだ。」
「そんな病院ありませんよ。先生みたいに馬鹿な人に合う病院なんてどこにもありません。」
「そうか・・・。」

「ここにいると、きっと誰も好きになれなくなる。私自身も。だから辞めるの。」

「ヤケ酒は二流の男のやることよ。」

「本当のことを言う奴は、皆辞めていくんだな。」

「大学病院の人間は、大学病院の中でしか死ねないんだ」

「お金にならない涙は出さない主義なのに・・・」


FF10と雑誌アフタヌーンについて

2014年11月12日 08時37分42秒 | 批評・感想

ふとしたきっかけでFF10のイベントのワンシーンを見て、改めてFF10は名作だと感じた。
当時は全く気付かなかったが、FF10はキリスト教概念も盛り込んでいたのね・・・。エボンの教えや、それをかなり強く信仰するワッカなどの信者。シンという決して消滅せず、人類に災厄をもたらし恐れられる存在は、絶対者として君臨する神のごとしであり、キリスト教的価値観に近い。
そして、ユウナレスカの台詞の残酷なこと・・・・。人間にとっての宗教による救いとその欺瞞性、人間と絶対者シンの絶望的関係、そういった事実の重みをこの歳になって、非常に強烈に感じる。
当時の俺は、宗教を信じてる奴は馬鹿だと思うように、エボンの胡散臭い教えに心酔しているワッカが(根はいい奴なんだけど)アホに見えてしょうがなかった。いい大人が何言っちゃってんの?と。まさに宗教心ゼロ(この言葉には語弊があるのだが)の一般的な日本少年さながらの感想である。

こんな調子だから、当時俺は全編通して涙ひとつ流さなかったと思うんだけど、今見るとひとつのイベントシーンだけでウルウルきてしまう。あ~、なんだかPS3版FF10でも購入して、もう一度やり込みたくなってきますねぇ。

 

 

漫画雑誌アフタヌーンをかなり久々に全部読んでみた。・・・・・・・・・・・なかなか良作揃いの雑誌だと感じた。特に賞をとった新人漫画家の作品の質の高さには驚かされた。こっ、これがデビュー前の人間が描く作品かぁ!?と唸るレベルである。
前から贔屓にしている『ヴィンランド・サガ』『ヒストリエ』と星野之宣作品、『天地明察』、『月に吠えらんねえ』、『天の血脈』。後半3つはこのとき知ったものだが、かなりセンスの高い作品だと感じた。「マジで?今の日本にこんな鋭い感性持ってる漫画家がおったんか」と驚いた。いや、侮れんわ漫画業界も。しょ~もない作品ばっか見ていて、良質の作家を見落としてたわ。

しかし、こうしたいい作品がある一方、大御所様、藤島康介作品のしょ~もないことといったらwいやね私、この人もこの人の作品も別に嫌いじゃないの。『逮捕しちゃうぞ』だって全巻持ってるし、『ああ、女神さま』も「こいつ、この作品と心中する気なんじゃないかな」という気持ちで温かく見守ってきた。その上で言わせてもらうけど、藤島の新作・・・しょ~もないw可愛い女の子がたくさん出現して、ドタバタしてるだけw思想性ゼロ、ただ可愛い女の子描きたいだけwふ・・・・藤島さん・・・あんた何年この仕事やってんの。テイルズの仕事とかでガッポリ金稼いで、ハングリー精神も消え、クリエイターとしての魂はもう死んだか?ただ自分のスタイル確立して、可愛い女の子描けるだけの人になっちゃったか?
ハッキリ言って、今月号のような内容の漫画をこれからも続けるようなら、こいつはこれからは「可愛い女の子描けるだけの人」という残念な評価になる。男キャラさえ、女の子と同じタッチで描いてるし、も~本当にしょ~もない。ユーリを初めて見たとき、女かと思ったぞ。
本当に才能ない人間なら、俺はハナから批判なんてしない。むしろ「頑張れ」と応援したい。才能や潜在能力や経験もあるのに露骨に手抜きをしやがる富樫のような奴、しょ~もないストーリー漫画描く藤島のような奴こそを俺は批判する。女神さまを終えて、新規に描く漫画が結局また女の子のドタバタって、そりゃないだろ!いや、女の子が多い作品でも、内容がエグければまだいいんだ。過激!残酷!読者に大人の痛みと苦味を与え、子供にはトラウマを与える、刺激の強い作品だ。あるいはドエロでもいい(むしろこっちの方がいい)。ぬけぬけと少女漫画のようにソフトで馬鹿馬鹿しい内容のモノを描くから俺はイラついてるんだ。女子高生が壁キックから宙返りして軽いパンチラが拝めるだけの漫画なんて、漫画家人生何十年もやってきた人間の描くもんじゃねぇ!お前は新人同人作家か?舐めんなオラ!

藤島よ・・・・・お前はそんな平々凡々な作品を描いて、しかもそんな作品にキャーキャーワーワー言う信者を欄外で喜ばすために漫画描いてるんか。もっと尖れ。小林よしのりや、押井守くらい尖れとは言わないが(ああいうタイプは世の中にたくさんいないほうがいい)、作家なんだから、強烈な自己主張をもっとしろ。
誰からも批判されないような、緩い作風のモノを今更作って何になる?お前の最大の武器であるその女の子たちを、ただ甘美な世界に閉じ込めておくだけでは、勿体無い。解き放て!もっと野蛮で過酷で、ロマンや希望や絶望のある世界へと。女子寮なんぞにそんなものはない!


押井守という男について

2014年09月27日 03時29分18秒 | 批評・感想

Youtubeの押井守インタビューで、「イノセンスは100年後も見られている作品」とか「100年後を見据えた作品」と評している人たちがいた。
なんということだ・・・・・・あの作品の素晴らしさ、とんでもなさを分かってる奴らがやはりいたか・・・。俺は「イノセンス」を今年の8月くらいに人生二度目の鑑賞をして、本当に電流が走るほどの衝撃を受けた。泣くべきシーンなんて全然ないのに、純粋な感動だけで涙が出そうだった。この作品を超えるアニメに、俺は生きている内に出会えるのだろうか?これが「イノセンス」に対する今の俺の率直な感想。
実際、イノセンスは人類にとって正確性の高い予言書となるだろう。そして、間違いなく機械にとっての聖典となる。


イノセンスは正直、その凄まじさを語りたくて語りたくてしょうがないのだが、半端な覚悟では語りきれない。人類と、その人類とこれから(もしかすると永遠に)共生していくであろう機械との関係、あるいは人類を完全に凌駕して独り立ちしていくかもしれない機械そのものについて、何百年も先の未来まで見据えて、あなた語りきれると思いますか?普通の人には絶対無理。「こうなるんじゃないのぉ~?」と適当に投げることしか出来ない。
どんなテーマであれ大真面目に、徹底的に、真剣に、情熱的に見つめ続け、そのテーマ自体が持つ凄み、逃げ出したくなるようなプレッシャーに怯まない精神力、こういった素質こそが天才性に繋がる。

押井守のインタビュー最後の締めが非常に良い。
読者について一言。

映画、是非見てください。・・・・ということに集約されるんですけど・・・。で~・・・・つまんなかったらすいません。ん~・・・でもつまらないってことないと思う。うん、これだけの人間が3年間努力して、ボクも命削りました。で、つまんないって言われたら、怒んないけど、多分恨みます。ボクとしてはこれで精一杯というところまでやれたと思うので、決して~劇場で見て失望しないと思います。ええもん観た、ってねそういう気分になることは、ボクは間違いないと思う。 (後略)


まぁ俺は当時、劇場で観て、全く内容が分からなかったんだけどねw「つまらん」ではなく「分からん」だったのがまだ救いだった。
でも、この歳で見直して「ええもん観た」どころじゃなく、奇跡を見た、というレベルの「とんでもねぇもん観た・・・・・・」という感想を持つほど感動したから、それで許してね、押井ちゃん。
イノセンスはこのインタビューの台詞に集約されるように、ある人間たちが命を削るほどの情念を込め、その結果生まれたひとつの奇跡である。イノセンスは作品という枠を超えている、奇跡。この作品が存在することで、もう誰も「アニメなんぞ・・・」などと言う事は出来ない。アニメは本物の芸術であることを、イノセンスが証明した。個々の作品をこき下ろすことは出来ても、アニメ全てを一括りにして貶めることも、否定することももう出来ない。それは、かつて教会権力が科学の力を否定した過ち同様の愚行なのだ。押井守はアニメ界にとって、ガリレオやコペルニクスに比肩する偉業を成し遂げた。天晴れとしか言いようがない。押井と同じような高い意識でアニメに従事しているスタッフたちもブラボーである。俺は彼らをミケランジェロの壁画制作に携わった者たちと同列に扱い、敬意を示す。

コペルニクスやミケランジェロはこれからも歴史の教科書に記述され続けるだろうが、押井守は同レベルの芸術家・革命家として教科書に記述されないかもしれない。だが、俺はあなたが何をやったのか、どれだけ凄いのかをよく分かっているぞ。あなたが今後、誰からも評価されない人となったとしても、俺はその偉業をこれからも人に訴えかけ続けるぞ。


唯一尊敬できるエロ漫画家

2013年05月31日 04時25分40秒 | 批評・感想

その名はゴージャス宝田。
画力とかエロさに関して言えば・・・・すなわち技術力については、それはそれで別に尊敬できる人がいるけど、哲学を持っている作家として、この人は本当に凄いと思う。
いつも少女ばかり描いているからロリコンだと思っていたし、ロリコンものだと個人的に実用性もやや厳しいので、今まで「エロ漫画」としての評価はさほど高くなかった。
しかし、エロはさておき・・・という調子でストーリーを見てみると、この人の漫画は他のエロ漫画とは一線を画すもの凄いパワーがあることに気づく。一言で言うと、何故か少女がやたらパワフルである。

登場してくる男がすごい最低だったり、女の子がすごくピュアだったりするせいで、話が濃密になり、エロ漫画にありがちの展開である“適当にヤルことだけヤって、はいおしまい”という感じがない。ロリであるとかどうとか関係なく、ストーリーの終わりには不思議な高揚感と満足感、濃密ストーリー故の疲労感があり、そのせいでエロシーンも性欲抜きにして楽しめてしまうのだ。
これは認めざるを得ない。
エロ、おかず目的として満足させるのがエロ漫画であって、その満足が得られないものはエロ漫画として失格である、と長らく思っていたが、その点だけで評価するならば明らかにゴージャス漫画は落第エロ漫画である。しかし、この漫画はエロを抜きにしても満足できる漫画である。エロ漫画としては(自分にとっては)使えなくても、漫画としては十分な満足感がある。よって、これは自分にとってはひとつの芸術として認められるのである。

俺はゴージャスのインタビューを見て、色々と驚いた。少女を漫画に使っている理由、鬼畜漫画を今書けない理由などを知って、そこに一人の芸術家として苦悩している人間像を見てとった。
彼は尾田栄一郎の名を漫画に登場させ「大物」と呼んでいたが、ハッキリ言って、俺は彼の漫画から大物ぶりを全く感じない。つまり天才の匂いを感じない。ワンピースは確かにエンターテイメントとして、少年漫画としてそれなりに面白い。涙を誘うエピソードもある。しかし、俺は火の鳥やドラえもん、ドラゴンボール、ゴージャス漫画で感じたような「衝撃」までは感じない。
ストーリーから、あるいはキャラクターの生き様から受ける衝撃の度合いがその漫画の価値を決定する。その点を踏まえていうと、尾田は商業的な成功者ではあるが、漫画家、芸術家としては大物ではない。ゴージャスの方が上である。
尾田は死やエロ、その他過激な表現を作品に露骨な形で取り入れようとしない。少年誌だから・・・というのは言い訳にならない。もう十分に儲けたはずなんだから、本当にワンピース以上のものを描きたいなら、さっさと少年ジャンプを辞めて、別紙に移って何でもアリのエグエグ漫画を描く事だってできる。だが、それをしようとしない。規制が強い少年漫画でも今のまま描き続ければ金が入るからなのか、ワンピース以上の表現で漫画を描こうとなんて思ってないのか・・・・それは分からないが、とにかくそんな人間が手塚や藤子不二雄の境地に行けるワケがない。

作家の商業的な成功など一読者から見れば何の関係もない。ついでにいうと作品自体とも関係ない。
読者に衝撃を与え、あるいは満足を与える・・・・そうした芸術的効用のみが作品の質を決める。ゴージャスが生きている間に彼が報われるかどうか分からない。だけど、俺はそんな彼を応援する。


どういうわけか

2013年04月26日 14時34分59秒 | 批評・感想

完全放置状態のこんなブログに1年と半年ぶりくらいにコメントがつきました。それも、批判的な指摘で大変ありがたいものです。
で、コメント返そうとしたんですが・・・・コメント機能が上手く使えない・・・仕様が変わったのか、自分がブログの編集さえも分からなくなってしまったのかわからないが、とにかくコメントをつけることが出来ない。
それで、仕方ないので記事を書く事にしました。

いや~問題の記事ですが・・・・・酷いですね、かなり適当な文だと思います。言い訳させてもらうと、これは確信犯的に「自分だけ意味分かればいいや」といった態度で強引に話をしています。
当時、自分は文章というものを書くにあたって、他人にも分かりやすい表現や内容にするべきなのか、そんなものなど考えず、表現や手順などおかまいなしに自分の中にある悶々とした気持ちをストレートにぶつけてしまえばいいのか、どうすればいいのか分かりませんでした。今も分かってないんですが・・・。
色々悩んだ挙句、商売目的でもないし、アクセス稼ぎをするわけでもないのに、他人の目を気にする文章を書くのも変な気がするな、と思い、挑戦的な試みをした・・・・という形になりました。多くの日記はそういう調子と勢いで作られていると思います。

自分は自分なりの文章を書くとき常常思うんですが、文章を作成する行為とは狂気や激情に身を委ねないと進行しえないものだと思っています。理性はあくまで感情や行動など何かに対する自制、反省として機能するのであって、元々存在しないものに対して理性を用いることはできないであろうと、そう考えます。先立つ何かに対する理性であると・・・。
その意味で、自分は自分の作り出す文章に対して理性的に振る舞えず、かなり読みづらいものを作り上げてしまいました。

しかしこれも、今やいい失敗であるし、いい教訓であろうと思います。


ちょっと映画について。
「あの子を探して」いい映画ですね~。後半はウルウルきてしまいましたわ。ある先生に「授業で使えるよ」と言われたので借りて観たんですが・・・・とても満足いく内容でした。
で、ブルーレイレコーダーに録画してDVDに焼こうと思ったのだが・・・・・ロックがかかっているのか、うまく撮れませんでした。仕方ないので、使うときはヤフオクかアマゾンあたりで買うとします。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と「注文の多い料理店」のアニメを購入しました。前者は少年時代に観た・・・・正直トラウマ映画ともいえるもの。観ていて吸い込まれるような魔力を感じる作品でした。少なくとも当時は。
後者は・・・なんだかたくさんの映画賞をとっているみたいだけど、それだけの価値があるとは思えなかった。元ネタが宮沢賢治だから、それで高評価がついてるんじゃないか?と思える。
まさにこれから猟師たちが食べられてしまう、というシーンの迫力がイマイチ過ぎること、そこまでに至る過程の緊張もなんだか物足りなかったかな。絵はとても個性的で面白いものではあったけど・・・。


近頃のアニメや同人に対して(控えめに)物申す

2010年08月20日 15時55分02秒 | 批評・感想

アニメ『けいおん!!』の2期1話を見て驚いた。勿論、悪い意味で。どう悪いかということを、クリエイティブ概念からじっくりとお説教してもいいんだが、単に『けいおん!!』を呪うブログになりそうなのでやめた。まぁ、一応ちゃんと批評するために1期から全部見るつもりではあるけど。ちなみに俺はハルヒもクソアニメだと思っている人です。
『ガンダム』については、最近衝撃の事実を知った。あの作品がどういう意味で革新的だったのかが、富野監督のインタビューでようやく分かった。なんというか・・・・当時はアニメ産業の黎明期だという根本的な時代背景を考慮しなくてはいけなかった。アレは、何が新しかったかって、「(ロボットもの)アニメにストーリーがあること」が新しかった!こういうレベル。毎週悪役が主役に倒されていくだけの(子供が理解しやすい配慮に基づいてはいるのだが)、そういう単純構造からの脱却をはかったものだった。なるほど、確かにそれは新しい。そして、それ自体は今じゃ全然新しくない。
最近のアニメを見ていると・・・どうもまた、アニメの黎明期に戻りつつあるように感じる。ストーリーやメッセージ性なんてあってなきが如し・・・。キャラクターのインパクトばかりが先行し、作品構成のための重要素材というよりは、まるでアイドルかモデルのような変な付加価値が付いている。
アニメ作品にとって、ストーリーを評価されることと、キャラクターを評価されることは、作品人気という点では同じかもしれないが、実際は異なるものだ。商業主義的には多分後者の方がオイシイし、やりやすい。もう一度ストーリーを練り直す必要無く、キャラクターの微調整(例えばコスプレさせるとか)や、適当なストーリーで再出品することも思いのままだから。今のアニメは、商業主義的なオイシさのため・・・すなわちキャラクター人気を盛り上げるためのキャラクタープロモーションビデオに成り果てているようにさえ見える。『けいおん!!』にしろハルヒのライブにしろ、ストーリー的な意味や重要さがあまり感じられず、キャラクター価値向上のための何か、に見える。大体、アニメの中でキャラクターが演奏するってどういうこと?そもそも演奏って何?音楽って何?と、いうようなことを突き詰めていくと・・・・実は面白い面が見えてくるのだ。現実のアイドルがステージで歌を歌うことの意義と効果を考えてみよう。ヒントはそこにある。
アニメにしろゲームしろ、人によって求めるものが違うところがある。俺はアニメに対しては他の芸術作品同様、芸術としての評価や、表現内容、その技術、作り手の思想性を興味深く見ているが、そんなもんどうでもいいです、と思っているアニメ視聴者も多いと思う、例えば小~中学生とか。別にそれはそれでいいんだけど、そういうハマり方をしている人に作品の価値なんて分かるわけ無いと思う。単に自分が好きなものに対して「これは素晴らしいものだ」と言うことは誰にでも出来る。好きとか嫌いという概念を放り出した価値構築を目指さなければ、その人にとっての芸術の基準は永遠に「好きか、嫌いか」のみとなる。
個人的な好みと、作品としての価値判断は別物であるのだが、人間は自分の脳味噌以外を使用して考えることができないため、結果として両者は同値化する。それ故、「好み」と「価値判断」の境界が極めてあやふやになり、いつの間にか混合体となる。“いつの間にか”と言いつつも、実際は“初めから”と言ったほうが正しいのだろうが。人間の個人的な好みは、そういったことから、人生上、軽視できない重要要素だといえる。「好みとは関係なく、自分は正しく判断できる」なんて、自信タップリに構えている人ほど、端から見て面白いほど自分の世界観に没入している。自分の好みに関係なく正しく物事を判断できるという事を強情に言い張りたいのなら、まずは価値判断のためにめいっぱい自分の好きなものを徹底否定するべきだ。「冷静な価値判断」には「好み」の登場は必要ない。でも、一般的な人間は好みによる支配的思考に抗えない。ゴキブリや嫌いな食べ物を、そういう思考に基づいて価値判断しているように。嫌いな食べ物を否定するときの人の反応は、まるで「この世からこんな食べ物消滅してもいいよ」と言わんばかりの勢いだ。



「従軍慰安婦」とか「韓国併合」という言葉を突きつけられて、右翼と左翼の人それぞれが全く違う解釈や受け取り方をするのと同様に、同じ本、同じ作品、同じ授業を見たり聞いたりしても、人によって全く違う結果が導かれる。そうなるともはや、“同じ経験は同じ経験値を得られる”なんていう、RPGゲーム的な発想は根本的な欠陥があるといえる。
この変なズレは、ここ数年、特に感じる。人はコレを「人それぞれ」とか「好みの違い」とか簡単な理屈で納得しているようだが、それだと客観性なんてものは、ただの誤魔化しに過ぎなくなってしまう。「人それぞれ」や「好みの違い」といった基準が「客観性」と相容れられるはずがない。
 “人間の経験値”は恐らく実際上の行為とは無関係にカウントされている。無論、筋トレをしたら筋肉が付き、数学を勉強すれば数学が理解できるようになる、といった一定の傾向性はあるものの、その効能についての正体は未解決のままだった。しかし、ここのところ、どうもその正体が見えつつある。身も蓋も無い事を言ってしまうと、その人の“全て”が、経験から得られる効能に関係する。“全て”とは文字通り“全て”であり、逆に言ってしまうと無関係なものを挙げることができない、ということだ。学歴、体力、家族構成、自信、期待、疑心、身分、価値観、体型、技術熟練度、好み、情報量、運動神経、耐久力、倫理観、こだわり、趣味、性格、記憶力、特技、思想、労働条件、継続期間、問題意識、援助の量と質、体調、誇りとしているもの、責任感、他人との交際スタイル、時間の使い方、休養の取り方、金銭感覚、尊敬対象、住宅事情、年齢、性別、国籍、気候条件、容姿、周囲の人間の影響力、情熱、寛容度、興味対象の広さと領域、使用言語、チャレンジ精神・・・・・・挙げればキリがないが、何を挙げようと、「その人の経験的効能に無関係である」と言えるものはない。それ故に、人間を測るのは難しく、よく見誤る。あるいは、結果から帰納的に結論付ける、なんていう安易な方法に頼り、ますます迷走する。



『けいおん!!』1期10話まで見ました・・・・。最初の評価を更に変えなければいけないほど、酷いアニメだった・・・。ど~しようもねぇな、コレ。大体、誰に何を訴えているのかもよく分からない。フツーの女子高生のフツーの部活動と日常を延々描いているだけ・・・。まるで、のほほんとした日々がず~っと続けばいいなぁ・・・なんていう現代日本人の典型的安定志向を象徴しているかのようだ。
サブカル系を得意としているウチの大学教授が「けいおん!!はクソアニメですね」と言い切ったことに、今心の底から共感する。利用価値といったら、せいぜいエロ同人のオカズとして使える程度だ。優れた作品は同人化すると質の劣化や滑稽さが目に見えて分かるが、そうじゃない作品は、主客が逆転する。そもそも同人市場なんていうものが、作品人気のバロメーターに大きく関与していることが、非常におかしい。オリジナルで十分な満足が得られれば、同人なんてものはいらない。
同人界では創作物の素となる原料をこうした変テコで未完成品みたいなところから仕入れるから、クリエイターとしての質にケチがつく。クリエイティブな仕事をするための良い素材が他にもあちこちにゴロゴロ転がっているのに、誰もそれに見向きをしない。消費者と同じ目線で、知名度やその時々の流行で何かをやっても、作品に魂は乗り移らない。単にそこに技術があるだけに過ぎない。
まぁクリエイターのくせに、一方で熱心な消費者を演じているようじゃ、感性やインスピレーションが鈍って、まともな仕事なんて出来るわけないと思うけどね、俺の経験上。日本のクリエイターは、創造主と創造物の関係性をもうちょっと真剣に考えるべきだ。


PSPソフトのリメイク版について

2010年02月22日 02時12分12秒 | 批評・感想

いくつか触ってみた感想を・・・・。
基本的に、PS版のPSP移植はそこまで問題ないようだけど(それでもオリジナルより何故かロードに手こずるなどのちょっとしたマイナス点があるが)、PS2からPSPへの移植はあまりよろしくないようだ。グラフィックの劣化が著しく、PS2版の滑らかな動きが損なわれている。
マグナカルタをPSP版でやり込もうかと思ったが、その点がどうにも馴染めない。まぁ比較の問題なんだろうね、これは。オリジナルのデキを知っているから、それより悪くなっている点があると、気になってしまうというか・・・。
買ったソフトはスターオーシャン1、スターオーシャン2、ジルオール、マグナカルタ、と移植モノばかりで、ジルオールとSO1はオリジナルをやったことがないので比較しようがないが、スターオーシャン2とマグナカルタはいくつか気になる点が・・・。

スターオーシャン2は死ぬほどやり込んだので、ちょっとした差異にも敏感になる。それでも、「これはこれでアリかな」と許容できる点も多かったし、また純粋な改善点も多かったので、総合的にはなかなか満足いくデキといえた。

<欠点・人によってはマイナスとなりうる点>
ミカエル・ハニエルコンビなど、オリジナルで無法を誇ったキャラの弱体化
何周もすると、オリジナルのあのマゾ仕様難易度が病みつきになってくるところだが、PSP版でマイルド調整に。あっちぃ~の使用頻度が激減。
オリジナルだとこんな調子↓で景気良く打ってくるが・・・・PSP版だとユニバースモードでも1~2回くらいしか打ってこなかった。ちと物足りないところだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm320688

バトル開始時のロードが長い
キャラ読み込みが遅いざんす。このせいで、戦闘が始まるのが少し遅れる。

オリジナルとキャラ絵が全然違う
完全にアニメ調の絵になっとる。まぁすぐ慣れる。っていうか、久しぶり過ぎて、元の絵を忘れてたせいであんま気にならなかった。

音楽バグの削除。
キャラ変更が自由に出来なくなった。改造という抜け道があるが・・・。

アイテムクリエーションの演出変更
細工のときも執筆のときも調理のときも全て同じ演出になってしまった。正直、これはちょっと味気ない。あのトンテンカンの音が良い感じだったのに・・・。

読み込み遅れが目立つ
フィールドでも読み込みが遅く、バーニィやサイナードで移動中、マップがまだ完成していないということが多発。数秒その場で待機してマップの完成を待たなくてはいけない。これは現実に引き戻される感が激しく、興ざめだ・・・。

3段攻撃追加
オリジナルでは攻撃モーションが1つしかなかったが、ファイナルファイトみたいに連打するごとに攻撃が3段まで変化するようになった。これにより通常攻撃最強クラスのアシュトンが弱体化してしまい、やや不評を買っている。まぁこれはこれで、PSP用の新たな戦略が生まれるので、悪い事ばかりでもないと思うが・・・。

レイドアタックやサラウンドアタックを受けると気絶する仕様に
アクションRPGにおいて、パーティを露骨に不利にするためのものかな。最初は「はぁ!?」と驚くのだが、すぐ慣れる。一応「ピヨノン」を付ければ気絶無しで戦えるし。

呪紋の干渉システムの削除、属性の数減少、ボイスコレクションの仕様変更など、他色々変わっている。

<改善点・良い点など>
新キャラ、ウェルチの追加
仲間のバリエーションが広がった!これはありがたい。っていうかSO1でも出たし、完全にFFのシドのポジションとして定着しとるな・・・コイツ・・・。

キャンセルのスキル削除に伴い、普通に通常攻撃>必殺技の繋ぎが出来るように
バトル系のスキルが一部改善されてる。強打もスキルではなく、レバー操作で発動させる仕様に変更。また魔法系のスキルが増えていて、魔法キャラがやや強化されたっぽい。

イベント時もキャラに声がつくように
うざったいなら飛ばす事も可能なので、どうでもいい人にも、こういうのを楽しみたい人にも親切な設計。顔イラストもグッと増え、セリーヌの親父やミラージュの顔も見えるように。

魔法キャラにも、前衛キャラ同様、LRボタンに魔法がセットできるようになった。
いちいちメニューを開いて魔法を選択するという煩わしい作業を払拭し、L&Rの1ボタンでお手軽に魔法発動!これは非常に便利。魔法を遠慮なく使いまくれるぜ。演出の長さは相変わらずだが。

プライベートアクションがいくつか追加された。
エルネストとかPAが少なかったキャラが少し優遇されている。あと、ウェルチの登場により、ウェルチ関連のものも。


全体的にマイルド傾向にあり、そこがマニアにとってはマイナス評価にも繋がるところだが・・・・ユニバースモードで相変わらず楽しめるし、PSP版の良さもたくさんある。まぁPS版を散々やり込んで、少しトラウマ気味になった人の意見かな・・・コレは。
トライエースの作品は廃人仕様に作りすぎなんだよ。あんなのをガチにやり込もうなんて、ネットゲーに手を染めるくらい馬鹿げている・・・ってことが当時は分かんなかったんだよ。俺も愚かだったから。
ベストパラメーターにするためには、クロードがレベル1上がるごとに平均で192回ロードしなきゃいけないんだぜ?馬鹿げてるだろ?・・・・ってことに、さっき計算して気付いたくらいだしな。しかも、それを当時やってたわけだしな。
断言してもいいけど「スターオーシャン2をやり込め」とか言う奴は、“ゲームを真面目にやる事”に病的にとりつかれている馬鹿か、やり込み自体をやったことないくせに気楽に言っているだけの野次馬、のどちらか。
FF11をやり込んだ奴が「FF11やり込め」とは普通言わない。それと同じ事。やり込んだ人間の末路を知ってるヤツが、人にやり込めとか言うのは、道連れを作りたいだけのひねくれ者か、狂信者以外にありえない。
どちらにせよ、一般化して、こう一言でまとめることが出来る。「ただの馬鹿」。いや、自ら馬鹿なことをやって、人にそれを勧めるくらいだから、大馬鹿の部類かもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。どんな馬鹿にも目が覚める「チャンス」だけは常に与えられている。
 

マグナカルタはPSP版で色々と改良されてはいるのだが・・・・いかんせん、先に述べたようにグラフィックの劣化が著しいのが気にかかる。PS2のゲームをPSレベルに落としたくらい露骨に酷くなっている。まぁ「プレイステーションポータブル」という名前の通りということなのか・・・。
戦闘の謎エフェクトが短くなったような気がしたので、実際に検証してみた。・・・・・・確かに短くなっているのだが・・・オリジナルの方も別にそこまで気になるレベルじゃないような気がする。やり過ぎたせいで、俺の感覚が狂ってきたか?マグナカルタを4周もしたやつは、そうはおるまいw
移動のストレスが減り、攻撃エフェクトの短縮、ロード時間の減少、その他戦闘システムの改善が施されており、全体的にプラス面が目立つが、グラフィックがFF10からFF9に落ちたように見えてしまうのが、本当に残念なところ。カクカクしている上に、戦闘フィールドが見づらいぜ、コレ。PS2ゲームのPSP移植は、あまりよろしいデキじゃないねぇ・・・。


プレイしたことのあるリメイク作品ばっか買うのも面白みがないのだが、昔やり込んだ作品を久々にやり直してみたくなる感覚にも襲われる。FFTも、またこってりやりたくなるゲームだ。
でもあれ、成長操作するとキャラが強くなりすぎて、しかもその強さを発揮させる相手もいないので、終盤は虚しさだけが残るゲームになるのが残念なところ。レギュラーメンバーがギニュー特戦隊みたいな強さになるのだが、骨のある相手が地球上のどこにもいないので、暇でしょうがない、といった感じ。ジョブポイント稼ぎをしながら、延々ジョブを変えつつ育てている間は楽しいんだけれども。
低レベルやり込みとか、適当な強さになったらサッサとやめてしまう人向けなのかねぇ。


単純な話として・・・・
スーパーファミコンからPSPへの移植:◎
PSからPSPへの移植:○
PS2からPSPへの移植:△or×
といった風になってしまうのか?リメイク作品は、少し気をつけた方がいいかもしれない。SO2も、買った後に「オリジナルの方が良かった」という声を聞いたくらいなので。
PSP移植は、何から何までパワーアップしてるに決まってる、と決め付けていた感があったかな。
よくよく考えると、今までプレイしたことがあるリメイク作品ってPS2版DQ5しかない気がする・・・・。あの一本に俺のリメイクのイメージ全てが向けられてしまったかな。PS2版DQ5は、本当に良いデキだったし。携帯ゲーム機だと、逆に制約も幾つかあるということを考慮してなかったな。
やっぱ家庭用機の方が安定感があっていいな。格ゲーを携帯ゲームでやるような不自由さを、RPGでも感じる。PSPがTV出力できるようになった、ということで買ってみたものの、TV出力できりゃ~いいってもんじゃない、ということを今回学んだ。いい勉強になったわ。


『BAKUMAN』批判

2010年01月31日 00時12分00秒 | 批評・感想

以前、『BAKUMAN』を批評したときは、ちょっと褒め過ぎたかもしれない。今度はうってかわって、批判してみよう。

『BAKUMAN』で、人気ある漫画に共通しているモノとして高木は「刀」を挙げていたが、残念ながら目の付け所が全然浅い。「ウメハラが強い理由が分かった。昇龍拳当て過ぎ」と言っているくらい浅い。
計算に頼りすぎている人間の悲しい性(さが)だな。ま、中学生じゃ、所詮その程度よの~ガハハハハ。漫画の「決まり」、「お約束事」、「法則」それら全ては、漫画の中に詰まってると思っている。残念!漫画は漫画から生まれたわけでもなければ、無から生まれたわけでもない。
漫画には漫画固有の母がいて、彼女以外は漫画を生み出す種を持ち合わせてない、と考えるのはナンセンスだ。そう考えるのなら、クリエイティブな領域全体の母を追究していった方が効果的だ。
我々人間一人一人も、あらゆる男女と偶然の可能性の中で生まれた。その無限大の可能性を舐めてはいけない。人間の頭で意図的に枠を限定すると、理解はしやすくなるだろうが、可能性はその分減る。
計算とは、高度で合理的な答えを導き出す作業ではない。勿論、そういう面もあるが、それは人間社会の都合に沿った理屈だ。
広義の意味では、計算とは、“人間の頭では到底理解困難な事柄を、何とか理解出来るように簡略化すること”と言い直したほうが正しい。つまり、あからさまに言うと、「人間が認識できる全てのものを、人間レベルの質に落とす行為」。
我々は宇宙を“そのまま”理解することが出来ないので、わざわざ共通理解のための単語を作り、数学を使い、そうしたプロセスを経た上で考え始める。宇宙の粒どもが考え出したこのアイディアは、俺個人から見ると偉大な発想ではあるが、宇宙から見ると歯茎のカスが1fm(フェムメートル=10の−15乗 m )増えたくらいどうでもいい。
自覚すべき重要な事として・・・・我々は、母なる自然から出された論述問題に、まだ満点を取ることが出来ていない。その事を素直に認め、謙虚に受け入れなければいけない。洗練されたクリエイティブな発想は、その問題に対する挑戦過程の中で生まれる。俺が「高木は間違い。答えはコレ♪」なんて気軽に答えるアドバイスの中から生まれるのでは無い。


ネタを人からパクると質が劣化するのも、多分コレが原因だ。単純な数学の論理に従うのなら、パクりは「改良」という進化を遂げててもいいはずじゃないか?
何故、そうならないか?今、そうならない理由のひとつを述べた。“論述問題をカンニングしても、質は下がる”。穴埋め問題や、選択問題とはわけが違う。形式は一見そう見えるけど。
高木君は、論述問題を穴埋め問題と勘違いし、「刀」という一語で答えてしまった。完全な×(バツ)ではないが、部分点としてはちょっとしかもらえない量だろう、これは・・・・。俺からの評価は、そういう感じになる。


映画批評

2010年01月29日 17時59分39秒 | 批評・感想

最近は映画をようけ見てます。
この歳になると、理解力がついてきたおかげで「何コレ??????意味不明・・・」という、つまらない感想で終わる映画が殆ど無くなってきたのが幸い。どんな作品でも、何かしらの発見がある。見た中からいくつか適当にチョイスして感想でも書いてみます。

「ハピネス」

現代人の日常における精神的な苦悩を描いた作品。多く(全て?)の登場人物がアンハッピーになっていく、暗い話のはずなのに、ギャグ満載なので作品としての雰囲気はやや明るめ。こういうのをブラックコメディーっていうのか?
100個くらい色々と考えさせられる映画。ただし、見た後の気分は、人によっては最悪、あるいは最高。
最高にノリノリのときに見るべきなのか、物凄く落ち込んでいるときに見るべきなのか、それすらも分からない。爆笑させてもらったのに、見た後変に気持ちがムカムカしてくる。
人間の暗部を卑しく大胆に見せているため、基本的に中学生お断り(SEXシーンもあるし)。高校生は、見ても・・・・・いいのかなぁ?俺は自分が物凄くお馬鹿な高校生だったから、自分基準だとよく分かんないや。

 

「アポカリプト」

古代マヤ文明を舞台にした映画。ある映画批評家が最大の賛辞を送っていたので、見てみた。
いや~凄かった。確かに凄い、凄いんだけど・・・・グロも結構多かったのが残念。それさえなければ教材映像として使えるくらい、示唆に富んだ作品だった。応急手当てに蟻を使ってたのが、印象的。昔の人の知恵は凄い。


アポカリプト名言集

恐怖は病だ 魂の中に入り込む
お前の心の平安を すでにむしばみ始めている
心に恐怖を宿す男にお前を育てた覚えはない


男はひとり腰をおろした 深い悲しみに暮れながら
動物たちが集まってきて言った
「そんなに悲しい顔は見たくない。言ってくれ、何でも望みをかなえよう」と
男は言った「遠くまで見える目が欲しい」 ハゲワシは言った「俺の目をやる」
男は言った「強くなりたい。もっと、うんと強く」 するとジャガーが男に言った
「俺のように強くしてやる」と 男は言った「大地の神秘を知りたい」
ヘビは答えた「私が教えてやろう」と 男の望みは続いた 全ての望みがかなうと、男は去った
フクロウが動物たちに言った「男は多くの知恵と能力を身につけた。わしは急に怖くなってきたよ」
鹿が言った「男の望みはかなった。悲しみは消える」 フクロウは言った「それは違う。男には穴が開いている。深い深い底なしの穴(目)が。それが男を悲しませ求めさせる。男の望みは果てしなく続き、ついに大地は言うだろう。もう与えるものはない」と
 


「魔法にかけられて」

あわただしい日常に疲れた人にオススメ。名作。ピュアな気持ちで鑑賞しましょう。その方が、映画全体をよく理解できるし堪能できる。
恋愛モノとしての価値を評価するなら、「タイタニック」よりコッチ。日本の女性たちは、日本のドラマなんぞ見ずに、こういうのを見れば良いと思う。下半身を安売りするような恋愛は、遅かれ早かれ結局頭の方もそれに追随する。いや、もしかしたら順序が逆なのかもしれないが。
ディズニーは小学生の頃よく見ていたものの、その後は「所詮子供向けの作品だよな・・・」と馬鹿にして、まっっっっったく見てなかった。が、これを見て見る目が変わった。

やるじゃねえか!ディズニー!

これからはディズニー作品もいっとくか・・・・・。

 

「13ウォーリアーズ」

俺の好きな映画俳優TOP5、アントニオ・バンデラスが出演している映画。
当時(1999年)、それ目当てで見た時の感想:「とんでもねぇクソ映画だなコレ」
この前見た時の評価:「確か前見たときはクソ映画という記憶が・・・・・・・アレ・・・・・面白い・・・・・」

映画のワンシーン、ワンシーンそれぞれの意味や意図が理解できるようになったのが大きいのかも。昔は派手な戦闘シーンが無いと、どういう映画かすらもよく分からなかったようだ。
「ゴジラ」も小学生のときはゴジラが暴れているシーンと、自衛隊がゴジラに弾打ち込んでいるシーン以外は、全く理解出来なかった。
11年前は「13ウォーリアーズ」の味わい深さが理解出来ない程度の頭だったのねwという事が判明して良かった。


『レインメーカー』

2010年01月11日 17時39分43秒 | 批評・感想

過去に書いた、映画レインメーカーの感想でも載せる。
裁判員制度導入直前の時期、近所の図書館で上映会があったので見てきた。原告側と被告側の、陪審員をどう味方に付けるかというせめぎ合いが、ひとつのキーポイントになっていた映画だったので、その事と日本の裁判員制度とを絡めたのだと思う。
いつものように、適当に書き殴って、途中で終わってるような感想文だった。当時の事も思い出しながら、色々加筆。


図書館で無料上映会をやるというので、見に行ってきた。こういう催しものはガンガン利用しないとね♪
30人くらい入れる場所だったが、来てたのは4~5人程度。ありゃ~。まぁでもゆったりスペースが確保できるし、ギュウギュウの状態で見るよりはいいかな。後ろの人なんて前の席に人がいないことをいいことに足をドーンと前に投げ出して見てたし。
これは様々な点で意義深い作品だった。単なる正義屋をきどった新米弁護士の奮闘記・・・ようは「ブラックジャックによろしく」の弁護士版、みたいに侮っていたが、それは大きな間違いだった。
登場人物一人一人に作品の中でのキャラクター的役割の他に、社会に向けたメッセージ性も入っている。一見、ただの悪役、ただの脇役のような人にも、演目以上の意味がちゃんと込められているのだ。こういった台本、構成、配慮には舌を巻いた。
ところどころに散りばめられている皮肉なんかもまた面白い。


弁護士と娼婦の違いは?

娼婦は客が死ねばさすがに諦める


ブーッ!!!!面白い上に、知性を感じるジョークを言えるところが凄い!w
ストーリーは王道的ではあるものの、二転三転し、意外な結末を迎える。そしてエンディング直前に語られる台詞ひとつひとつもまた深い。ここに書くとネタバレになるので書かないけど。

この映画で得た、面白いアイディアがあった。
(作品中の)映画館の中で、主人公と待ち合わせしていた女がイチャつくシーンがあるんだが、その映画館内でもまた少女と怪しいオッサンが建物内でいけない遊びをしているシーンが上映されてるんだよね。
つまり、“映画と、映画の中の映画で同時にエロいことが行われている状態”。この相乗効果は凄かった!なんつ~か、カレーライスのような、お互いがお互いを引き立てる相性の良さを映像で体感した気分だった。
自分もまた館内にいるから、館内にいながら、映画館内での情事を見つつ、更に映画内のエッチな映画を見るという(なんだかややこしい文法の問題みたいだが)、シチュエーション効果も利いたのかな?
食べ物なんかでは、割と当たり前の手法である「相乗効果」だが、視覚効果でも効き目アリってのが盲点だった。案外単純なことに気付かないもんだな、と。映像による洗脳、絵や漫画の見せ方なんかにも関係ありそうだ。