の授業で、凄くいい話を聞いた。
まさか、この授業で人間の恋愛戦略の話が聞けるとは。恋愛を考える上でとても役立つもので、是非とも恋愛論の話の中に組み込みたい内容だった。こんな重要な考察を見逃していたとは、俺もまだまだ勉強が足らんな・・・。
あなたはタイムマシンに乗って、これから先の人生で出会う女性全てを知ったとする。
つまり、運命を全て知るとする。そして、未来を見てきた後、現代へと戻ってくる。しかしこの時、あなたの(未来を見てきた)記憶は失われている。
さて、記憶喪失のあなたが人生最高の女性と結婚するために、とるべき最良の戦術とは?
(ここでは、出会って何人目の女性にプロポーズ攻勢を仕掛けるべきか?という問題になっている)
「結婚問題」または「お見合い問題」として有名なこの問いは、“数学的”な最適戦略も判明しているらしい。
ふ~ん、それは面白いね、と言いたいところだが・・・・プッ!自分個人の運命と、数学的最適戦略は本質的には関係ありつつも、関係ない(<強調するとすればコッチ)。
数学的な答えは常に一定。しかし、自分の運命の最適解と、隣の誰かさんの運命の最適解が一致することはまず無い。3人一緒となれば、更に稀になる。でも、数学的最適解は常に一緒。これが、根本的な問題。
「教育実習、どうだった?」と聞くと、経験者は決まって「楽しかった♪」と答える。
俺も、確かにそう答えて差し支えないのではあるが・・・・それ以上に「辛かった」というのが本音。色んな点で“砕かれた”。
学校は「教育」を行う場ではなく、「学校教育」を行う場であるらしいということ。
生徒の成績上げてナンボ。進学率上げてナンボ、という企業論理みたいな事から完全に自由にはなれないようであること。
「教育者に一番向いているのは、普通の人だよ」なんて、先生自身が言っている事。
挙げればキリが無いが、中でも一番ショックだったのが、教育の場での一番の問題が、外部から散々非難されてるようなポイントではなく、全く別の所にあったという点。そして、その問題は教師以前の社会的、人間的(生物的)問題であるが故に、どうにもならないということ。
・・・・別にこれらの事は学校組織に限った事ではない。問題は「そこ」にあるというよりも、それ以上に社会、文化、通念、人間的な問題(正確にいうなら、生命体としての避けられない事情)の方が重要かつ厄介過ぎて手に負えないように感じる。よっぽど特殊な仕事でもない限り、これらの項目はどんなコミュニティにも侵入し、跋扈し、影響を与える。それも、人間の妨害や警戒も受けずにアッサリと。自動的に溜まる埃みたいなもので、これは本当にどうしようもない。
社会、文化、通念、人間に問題があると分かりました!と分かったところで、一体個人になにが出来るのだろう?何も出来はしない・・・が、出来ることはある。今の俺は、その僅かな可能性の松明を消されないように意地でも死守することが、変な話だけどこの世でしぶとく生きようという生き甲斐になっている。こういう変な方向性を持っているから、最近、何をしても辛いと感じたり、逆に楽しい、素晴らしいと感じるのだと思う。・・・・・なんだか、不治の病を抱えた病人みたいだな、コレ。まぁ、「社会的、人間的な悩み」それ自体が不治の病っぽいが。