FF13のPVらしきものを見て、「どうも、これは名作なんじゃないか?」という期待を今持っている。
http://www.nicovideo.jp/watch/nm9284370
ほんの数分の映像だけど、作品を通じて、色んなメッセージを感じ取れる。それも、(当然というべきか)思春期の少年向けのものが多い。
ぶっちゃけ、少年少女に教師がコレ言っても良いんじゃね?と思うような台詞が幾つかある。勿論、それなりのアレンジを加えてだが。台詞やキャラにクサさを感じる人もいるだろうが(実際クサイがw)、伝えたい根本部分は結構重要な性質を持っている。・・・まぁ、それは哲学書とか読んでないと見抜けないかもしれないw・・・と、言うのも、4年位前の俺だったら間違いなくスルーしていただろうから。
「くさい」と「バカ」は便利な言葉。話し合いも思考も結論も全てが一挙に完結する。便利過ぎて、どんなアホでもこの言葉を使用する。
見た目に惑わされちゃ駄目ですよ。“別の何か”に置き換えて見てみると、色々新たな発見があると思う。俺も二度見て、「おや?」と感じたクチなので。
というか・・・・ある偉大な学者が看破したことだけど、小説や映画などの全ての作品は、聖書やギリシャ神話など、太古から伝わるストーリーの焼き直しに過ぎないんだよね・・・。源氏物語、万葉集、論語、ことわざ、ドフトエフスキー、カント、孫子、シェイクスピア、ヒューマニズム、アニミズム、何でもいい、どんな奇抜で斬新な話にも、その源流が実はとっくの昔に存在している。不二子不二夫や、手塚治虫が、ハイクオリティなモノを生み出せたのも、そういう所に精通していたからだと思う(勝手な推測だが)。
思春期の少年向けと言ったが・・・・実際にはもっと上の層の年代にも必要なメッセージであるかもしれない。俺の漠然としたイメージでは・・・思春期から成年までの時期の象徴的な特徴として、自己犠牲観念が皆無、自分の利益だけに貪欲な身勝手さ、などがあると思っている(それ自体が悪いわけではなく、人間の成長過程で必要ではあるが)。で、今の成年以降の“大人たち”がそういう点を克服しているかというと・・・・まぁ、判断は各々の基準に任せるが。
俺が期待したいのは、大人として自覚のある人のそういう示唆的要素に対する気付きであり、少年少女に対する新たな息吹としての役割だ。多分、製作者もそう期待していると思うが・・・。
しかし・・・メッセージというのは、ある程度の知力が伴っていないと、何も感じ取れない。赤ん坊には論語よりも、笑顔と抱擁と愛情溢れる単純な動作、言葉に限る。いや、限られてしまうといった方がより正しいのかもしれない。
難しい言葉で構成された谷崎潤一郎の小説よりも、漫画やライトノベルなどの方が、理解しやすく、また若者にも大人気だ。何故か?今、その答えの一端を述べた。
俺が教育者を目指す中で思うのは・・・教師と生徒の間の、この点のバランスのブレが問題であるように感じる。論語それ自体に威力はあるが、赤ん坊にはクソの役にも立たない。タバコを吸っている中学生にも役に立たない。・・・そこで、論語をこねくり回して、何だか耳心地のよいフレーズに直して聞かせてやる必要がある。面倒な話だが、コレが知的ギャップのある者同士で必要な作業であり、大切なこと。
で、巷に溢れている啓蒙本などの多くは、これをやっているだけに過ぎない。でも、俺はその点を批判する気はサラサラない。面白くて、理解できれば全てはオールオッケェ!なのだ。これでいいのだ。
FF13などのストーリーに力を入れているゲームでは、分かりやすさやとっつきやすさ、といった点において、大きな貢献を果たしている。それを、過去のストーリーの焼き直しというか、ゲームという媒体を生かしてダイナミックに表現している、というかは、その人次第。ゲームはすべからくくだらないと思っている人もいるし、逆に素晴らしいと思っている人もいる。聖書や神話を狂信的なまでに崇拝していて、他のものがくだらなく思える人もいるだろうし、またそういう事を一切知らずに得意気に語る人もいる・・・つまり、どんな人であれ、どうとでも言える。我々は知ることによって言う事も出来るし、知らないが故に言う事も出来る。人との意見の相違の多くは、その点に根ざしている事が多い。
・・・以上、シリーズで戦闘が一番面白いのはFF12だと思っている、変人の戯言でした。