ゆかぴcozy旅記録

相棒cozyと世界を周る人生初のバックパック旅行記!!!

おセンチ サラエボ

2010年03月07日 | ボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行
March 07, 2010 Bosnia-Herzegovina サラエボ

朝8時発の電車でサラエボへ。
車内は地元ボスニア人の若者で賑わう。
大きな声で歌を歌い、タバコを吸ったり、お酒を飲んだり やりたい放題で楽しそう(バカっぽそう)

窓の外はいつのまにか雪景色。
木々の葉に降り積もっている雪が太陽の下でキラキラ光って銀色世界。

10時半過ぎサラエボ到着。
ザグレブ行きの夜行バスのチケットを買って、荷物を預けて街ブラへ。







約20年前、旧ユーゴスラビアの内戦でサラエボの犠牲者は約1万人を数えている。

『スナイパー(狙撃兵)通り』と呼ばれてた通りは、
戦時中動くものは全て高層ビルに潜むセルビア人狙撃兵の標的になったらしい。
子供や老人、女性も狙い撃ちされた と聞くと背中に悪寒が走る。

町の至るところでその惨劇の後が伺えた。
銃弾の痕跡が建物の壁に痛々しく残っている。



【銃弾の跡その1】



【銃弾の跡その2】



【もっとも有名なホテル『ホリデイ・イン・サラエボ』。
紛争中には最前線から300mという距離にも関わらず営業を続けた。
ジャーナリストがたむろし、砲弾の音に首をすくめながら戦況を伝えたそう。】



つい最近の、自分が生きていた同じ時代に起こった戦争。
テレビでしか情報を見聞きしていなかった他国の惨劇の跡は
こうして目の前で見るとまた違った身近な悲劇へと印象が変わる。



【お墓】








色んな意味で考えされられるサラエボ旅行となった。




【ラテン橋。1914年6月28日 ボスニアを統治していたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、
青年ボスニア党のセルビア人青年に狙撃される。これが第一次世界大戦のきっかけとなった『サラエボの銃声』。現場はこの橋のすぐ近く。】


お昼はボスニア料理の代表『チェヴァプチチ』。
炭火で焼いた肉団子をピタパンの様な薄焼きパンに挟んで食べる。
それに生たまねぎが添えられる。





お肉が程よく歯ごたえよく、ジューシーで美味しい。
肉の油の旨みがピタパンにもしみ込み相性抜群。


夜はwifiカフェでチキンステーキ。
説明できないが、ソースが美味しすぎた。

夜10時、ザブレグ行きの夜行バスへ。



ボスニア 古都モスタル

2010年03月06日 | ボスニア・ヘルツェゴヴィナ旅行
March 06, 2010 Croatia ドブロヴニク→Bosnia-Herzegovina モスタル

朝7時起床。
チェックアウトをして8時のバスに乗る。

11時ごろにモスタル到着。

例によってここでもプライベートルーム貸しの客引きあり。
お世話になることに・・・・

モスタル町ブラ。







モスタルは『スターり・モスト』という橋を中心に発展してきた。
モスタルとはボスニア語で『橋の守り人』だそう。







旧市街は石畳の道に旅行者向けのお土産屋さんがズラリと並び
とっても良い雰囲気。

こじんまりとした町で一時間もあれば時間を持て余してしまうほど。
わざわざ宿泊することはなかったかな~とちと後悔。

でも今日は幸いポカポカ陽気だったので散歩やテラス席でのカフェを楽しめた。



【お店の入り口でお昼寝。】



【めっちゃキュートなしわしわ犬><】



途中でぶらりと寄ったカフェは地球の歩き方にたまたま載っていた『シャドル・ヴァーン』というお店。
チョコレートドリンクが絶品。

そして夕方、激うまピザに出会う。
お手ごろ価格だったが、釜戸で焼いていてピザ生地&具ともに絶妙な一品。
あれれ? ここはイタリーだったかしら??
あああ。。。まさか ボスニアで出会えるとは。。。 






【怪しげなチョコ発見。サポロ?? 中身は普通のライスチョコでした。】