◆熊本城
・通称 千葉城(出田氏)、隈本城(鹿子木氏、菊池氏、城氏、佐々氏、加藤氏半国期)、銀杏城
・城郭構造 梯郭式平山城
・天守構造 連結式望楼型3重6階地下1階(非現存・1600年築)
・外観復元(RC造 1960年再)
・築城主 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
・築城年 1469年–1487年頃
・主な改修者 加藤清正
・主な城主 加藤氏、細川氏
・廃城年 1874年
・遺構 現存櫓・門・塀、石垣、堀
・指定文化財 国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1
・再建造物 外観復元:大小天守・平櫓・馬具櫓
・木造復元:西大手門・数奇屋丸二階広間・南大手門・西出丸戌亥櫓・未申櫓・元太鼓櫓・
飯田丸五階櫓・本丸御殿大広間
・熊本城(くまもとじょう)は、熊本県熊本市にあった城である。
別名、銀杏城(ぎんなんじょう)。
◇概要
・熊本市植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に
築かれた平山城。
現在の熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
・中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正
がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、
「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが
詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。
・細川氏の居城となった後もさかんに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物
が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や
改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を
焼失した。現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。
・石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、1889年(明治22年)の熊本地震で石垣の
一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡を
とどめ、城跡は特別史跡に指定されている。
・昭和時代中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要
な建物を木構造で復元する事業が行われている。
・サクラの名所としても知られており、日本さくら名所100選に選定されている。
---- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ----
なんだかんだで島原半島に二日間滞在し、
さあどうしようかぁ、、と思案していたら、
半島から熊本に渡るフェリーの時刻表が目に付いた。
「行っちゃう?!」
「行っちゃおうか!」
ってな感じで熊本行き決定、雲仙地獄からフェリーターミナルまで下り、
1時間弱の船旅を楽しんで熊本県に上陸した。
陸路で回るより多少は時間を節約できたはず。
熊本といえばまず熊本城と決めていたので、
温泉&車中泊の翌日、まっすぐ熊本城の駐車場にこれまた1番乗りで滑り込んだ。
再建と思うが立派な櫓門、
だと思っていたら再建された本丸御殿と後で知る。
誰もいない天守の前でダースベーダーのようなお兄ーサンと記念撮影。
やたら「ワシは」「ワシは」とえらそーに言っていたが気にせず、
家族写真のシャッターも押してもらう。
最初は人もまばらだったので写真を取り捲る!
「でっけー!!」というのが第一印象。
大小天守は西南戦争で焼失して今は立派な鉄筋RC!
なんか耳が気になる。
本丸御殿は見ごたえあり、
再建とはいえ歴史考証もしっかりしてあり満足感高し!
宇土櫓、
重要文化財で内部を一般公開。
天守並みの構造と大きさを誇りながら天守とは別にこの規模の櫓が明治まで5棟存在したという。
お昼になったので一旦、繁華街に繰り出します。
よさげなラーメン屋にご入店!
コテコテの大盛り!!
熊本ラーメンを後先考えずガッツリ行きました!
アーケード街を城に戻ると、
なんかマックの周りにおまーりさんと人だかりが出来ていました。
後で聞くとこの日のローカルニュースネタでした。
別料金ですが、屋内型の歴史体験ミュージアムもあります。
子供らにはここが一番楽しかったかな!
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・通称 千葉城(出田氏)、隈本城(鹿子木氏、菊池氏、城氏、佐々氏、加藤氏半国期)、銀杏城
・城郭構造 梯郭式平山城
・天守構造 連結式望楼型3重6階地下1階(非現存・1600年築)
・外観復元(RC造 1960年再)
・築城主 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
・築城年 1469年–1487年頃
・主な改修者 加藤清正
・主な城主 加藤氏、細川氏
・廃城年 1874年
・遺構 現存櫓・門・塀、石垣、堀
・指定文化財 国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1
・再建造物 外観復元:大小天守・平櫓・馬具櫓
・木造復元:西大手門・数奇屋丸二階広間・南大手門・西出丸戌亥櫓・未申櫓・元太鼓櫓・
飯田丸五階櫓・本丸御殿大広間
・熊本城(くまもとじょう)は、熊本県熊本市にあった城である。
別名、銀杏城(ぎんなんじょう)。
◇概要
・熊本市植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に
築かれた平山城。
現在の熊本市本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。
・中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正
がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、
「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが
詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある。
・細川氏の居城となった後もさかんに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物
が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や
改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を
焼失した。現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る。
・石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、1889年(明治22年)の熊本地震で石垣の
一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡を
とどめ、城跡は特別史跡に指定されている。
・昭和時代中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要
な建物を木構造で復元する事業が行われている。
・サクラの名所としても知られており、日本さくら名所100選に選定されている。
---- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ----
なんだかんだで島原半島に二日間滞在し、
さあどうしようかぁ、、と思案していたら、
半島から熊本に渡るフェリーの時刻表が目に付いた。
「行っちゃう?!」
「行っちゃおうか!」
ってな感じで熊本行き決定、雲仙地獄からフェリーターミナルまで下り、
1時間弱の船旅を楽しんで熊本県に上陸した。
陸路で回るより多少は時間を節約できたはず。
熊本といえばまず熊本城と決めていたので、
温泉&車中泊の翌日、まっすぐ熊本城の駐車場にこれまた1番乗りで滑り込んだ。
再建と思うが立派な櫓門、
だと思っていたら再建された本丸御殿と後で知る。
誰もいない天守の前でダースベーダーのようなお兄ーサンと記念撮影。
やたら「ワシは」「ワシは」とえらそーに言っていたが気にせず、
家族写真のシャッターも押してもらう。
最初は人もまばらだったので写真を取り捲る!
「でっけー!!」というのが第一印象。
大小天守は西南戦争で焼失して今は立派な鉄筋RC!
なんか耳が気になる。
本丸御殿は見ごたえあり、
再建とはいえ歴史考証もしっかりしてあり満足感高し!
宇土櫓、
重要文化財で内部を一般公開。
天守並みの構造と大きさを誇りながら天守とは別にこの規模の櫓が明治まで5棟存在したという。
お昼になったので一旦、繁華街に繰り出します。
よさげなラーメン屋にご入店!
コテコテの大盛り!!
熊本ラーメンを後先考えずガッツリ行きました!
アーケード街を城に戻ると、
なんかマックの周りにおまーりさんと人だかりが出来ていました。
後で聞くとこの日のローカルニュースネタでした。
別料金ですが、屋内型の歴史体験ミュージアムもあります。
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