”OKINAWA発”ゆう兄ちゃん ちょーテキトー雑文

自動車バイク自転車健康スポーツ登山ハイキング子育て仕事恋愛旅行、徒然なるままの放言すみません。

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ご家族さま御一行 初来沖です

2015年04月04日 | Weblog

沖縄に異動して早や9ヶ月、
昨年10月3連休の家族初来沖が台風19号の襲来でふっとんで以来、
このたび春休みを利用して実現した。

9ヶ月前に私が初来沖だったように、彼女たちも今回が初来沖、
3日間でできる限りの沖縄を経験できたらと本島内ではあるが
レンタカーで連れ回したのである。

分かっていたが、強行スケジュールでゆっくりする時間がなかった
のが反省点。
次はゆっくり時間の流れを楽しめる旅にしたいね。





美ら海水族館到着

朝早すぎてまだ開いてなかったので伊江島のタッチュー背景に記念写真


名護市にあるオリオンビ-ル工場見学


万国津梁館



勝連城

城址のてっぺん

世界遺産なので


海中道路の先端 伊計島のその先っぽ



古宇利島の売店の沖縄そば


座喜味城





残波岬の灯台 200円/人也



牧志公設市場


家飲みのツマミ




首里城 守礼門


980円ステーキランチ




平和祈念公園

岐阜県の碑



本島最南端 喜屋武岬 具志川城がよく整備されていました


ご近所の豊崎ビーチ

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やっぱり自分の足で踏みたい阿蘇山 お気楽コース編

2013年05月03日 | Weblog


連休後半、
通い慣れた(?)阿蘇にやってきた。
大分に来て既に10回近くは来てるが、草千里や中岳火口(湯釜)は
見慣れてきたが、まだいわゆる阿蘇五岳の頂きを自分の足で踏んで
いない。

今回は、砂千里から中岳火口群を右から巻いて中岳(1,506m)に
登頂する喜びを味わいつつ阿蘇登山の中でもお気楽コースでお茶を
濁そうという作戦である...

できれば最高峰の高岳(1,592.3m)まで縦走して足を伸ばそうと
画策したが、子供らの体調と時間の関係で次回に見送ることとした。

ちなみに阿蘇五岳とは、周囲に世界でも有数の大型カルデラと雄大な
外輪山を持ち、中央火口丘に最高峰の高岳(1,592.3m)を始めと
する中岳(1,506m)、根子岳(1,408m)、烏帽子岳(1,337m)、
杵島岳(1,270m)などから構成される1,000m級の山が連なる山群の
総称である。




道の駅「阿蘇」から阿蘇五岳を見上げます。



これも



緑の中を走り抜ける喜び~!



こいつぁ~、多分、杵島岳!?



緑眩しい草千里は素通りで、荒涼たる中岳火口方面へ、
ぶぃ~っと走ります!



とりあえずお約束で一応、湯釜見ておきます。
連休のサービスでしょうか、
いつもより多めに噴煙上げてますって感じです。



中岳火口群の周囲は火山灰の降り積もった砂千里。



砂千里から中岳火口群を取り巻く火口壁の登山道に向かいます。
火山灰を避けてここは砂千里に木道が整備されています。





火口壁から砂千里を見下ろします。
火口群が向こうまで続きます。






中岳頂上に向かう火口壁の岩場に取り付きます。
これは小休止の図。



体力のない二人も上がってきました。



高度を上げると火口壁が荒々しく迫ります。
まるでコロラドのような(行ったことないけど、、、)





で、イキナリ頂上です。
登りきってから火口壁の断崖の道を2km弱緩やかにアップダウン
すると着いちゃいます。
それにしても凄い火山性ガスが立ち上ってきて、
私も喉が痛くて辛かったですが、子供は咳き込んでむせ返っていました。
ちょいと危険かも!









あ、一応頂上近くはこんな感じです。
アップダウンは緩やかですが、
火口側は断崖ですのでおふざけはダメですよ!



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霧島えびの高原から韓国(からくに)岳に登るのだ

2013年04月29日 | Weblog

連休前半!
さすがに中学生ともなると付き合いが悪い、そりゃ中学生はいろいろあるからね。
それでもオヤジは予定の合間を縫って付き合せるのです。
いつまでこんな感じで行けるのかな。


行きたくて、憧れて、待ち焦がれた山域、霧島連山のうち最高峰の韓国岳には
えびの高原からのアプローチなのだ。

霧島錦江湾国立公園のえびの高原、
九州南部に連なる霧島山系の韓国岳、蝦野岳、白鳥山、甑岳に囲まれた盆地状の高原。

霧島といえば霊峰高千穂の峰(1,574m)が有名であるが、
アプローチしやすい最高峰の韓国岳(標高1,700m)から登りたい。

それにしても多くの火山、火口湖が連なる景観は圧巻だ。
写真ではその迫力を十分伝えられないのは残念!

今度来れるのはいつのことか、
九州を離れたらもう来れないのか、一抹の寂寥感が旅の余韻だ。



えびの高原の駐車場からこれから登る韓国岳を望む。爆裂火口がむき出しの異形だ。



アプローチはこんな感じ、緩やかに登山口へ向かいます。



近づくにつれ山体が大きく迫ってきます。



途中、硫黄のかつての採掘地であり、この辺の温泉の源にもなっている
硫黄山を左にスルーして登ります。



火山然とした荒々しい登山道を1時間半。



火口を見下ろす火口壁にたどり着きます。
雨が降ると池になるそうです。


ギザギザの火口壁の一番高いところが山頂(1700m)。



山頂に到着!
更に奥には霊峰高千穂の峰のトンガリ帽子、
その手前の白煙を上げる摺り鉢は新燃岳、
新燃岳はいまだ登山規制中のエリアです。



ちょいとアップ、高千穂の峰、カッコイイ!



いくつもある火口湖のうち最大の大浪池、直径630mを巡るコースもある。



さすがに吹き曝しでは風が強い。



順番待ちで記念撮影、
連休のせいか周りは撮影待ちのギャラリーで凄いことに。



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クリスマス初日、ちょいと早いけど・・・

2012年12月22日 | Weblog




今年はクリスマスケーキを二つ買ったので、二回分、楽しむのだ。
いつものポテサラ・クリスマスツリーも健在!











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売れ残り、否、さにあらず「郡上めいほう 鶏ちゃんの里」が唯一陳列されていたのさ!

2012年12月16日 | Weblog




 ウィルス性下痢嘔吐症からの病み上がりの日曜日、

ジャスコをふらふら徘徊していると、中島さんが
以前、紹介されていた「めいほう鶏ちゃん風ランチパック」
があるではないか。


 九州大分で、ご当地ランチパックの岐阜の味
「郡上めいほう 鶏ちゃんの里」が唯一陳列されていたのは、
凄いことなのか、それとも単に売れ残っていたのか、、、?!




 それはともかく、
甘辛味噌ベースのタレで炒めた鶏肉フィリングは、
鳥唐揚げやとり天文化を育む大分県民にも受け入れられると思うのだが。


 お正月明けにでも大分の方に是非ご賞味いただきたい!
今年も会社の物産展には持ち込むつもり、、、忘れなければ。


------
ランチパック、食べてみて、

レンジにて20秒温めて食すが、流石にホンモノの味には及ばず。
甘さよりも味噌辛味がも少し欲しい。

やはり甘辛ゴロゴロ鶏肉に白米だよなあ。
こうなると、行くしかねぇ〜!正月まで待っとれよお!



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もくもく温泉卵天国、小松地獄でほくほく温泉卵

2012年12月09日 | Weblog



週末、
阿蘇から九重に移動する道すがら、
小松地獄に立ち寄った。

目的は自分で作る温泉卵!
阿蘇のスーパーで夜食用に馬刺しやら鶏肉を買ったついでに、
鶏卵1パックを温泉卵用に持って小松地獄に立ち寄る。

ちゃんとソレ用の棒付きのザルが主だった噴気孔に置いてあり、
観光客がめいめいに卵をチョー熱いと思われる温泉に浸している。

9分が半熟の目処らしい。
しっかり時間を守ったら綺麗な半熟卵が出来上がりました。


◆小松地獄
標高1,100メートルの大自然の中に吹き上がる蒸気と噴出する不気味な熱泥。
岩肌にこびり付いた噴出物の色合いは、地獄のような雰囲気を醸し出しています。
周辺には九重九湯のひとつ筋湯温泉郷や八丁原地熱発電所などがあります。
筋湯温泉の各旅館では、小松地獄の噴気を利用して鶏一羽を丸ごと蒸す名物料理
「極楽温鶏」が味わえます(要予約)。
九重町ホームページ




「はげの湯」を育む涌蓋山を眺める場所にある。




いきなり地元住民専用の蒸し場を示す看板。
すっごい湯気が渦巻いていた。


そっちには近づけません。。。


その先を進むと「ほど良い」地獄の風景が




遊歩道も整備されている












泥湯に浸かって、いい感じの半熟になりました。
食べるのに一生懸命で、卵の半熟具合の写真撮り忘れました。。。


場所は「筋湯温泉」の案内板を頼りに行くと便利です。
八丁原地熱発電所にほぼ隣接しています。




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冬の薄化粧の九重へ、たまにはお宿泊まり

2012年12月01日 | Weblog


基本的に週末車中泊な我が家も年に2回くらいは宿に泊まることがある。
人気の九重の宿は半年前からじゃないと予約できない。
景色とコストパフォーマンスで早くも大分に来て三回目なのだ。

九重連山も冬の薄化粧。
キーンと冷えた外気に熱っつい温泉がいい!
















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別府 「とよ常」の特上天丼680円!

2012年11月27日 | Weblog



先日、別府に行ったときに昼食で入ったお店。
人気店と聞いていたので、11時の開店に合わせて入店、
今回も一番乗り!

その後立て続けにお客が来店、
30分もしないうちに満席だ。
早く来て良かった!



場所はホテルの1階、
看板は出ているが最初気づかずに行き過ぎたくらい控えめな構え。


客待合から店内を眺める。
座卓が10卓程度、カウンター数席、そんなに広くはない。


待合にはふかふかクッション、
早くも後続のお客が来店、順番に案内されます。




特上天丼を4つ注文、
一番乗りだけに10分足らずで出てきた。
特大の海老が2匹、
4種類の野菜がついて680円、
タレもほどよく白米に絡んでおり、一気に平らげた。
赤だしも九州へ来て初めてだ、甘い出汁に慣れた舌にはちょいとしょっぱいけど旨い。
満足感の高い定食だ。


<場所は>
この辺、ホテルの1階、
駐車場は近くに20台ほどあります。
〒874-0920 大分県別府市北浜2-13-11




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別府 鉄輪(かんなわ)歩き

2012年11月22日 | Weblog


ゆけむり、
それは、ふる里のようで人の気持ちを暖かくさせる

「21世紀に残したい日本の風景百選」の2位にも選ばれている風景、
湯の町、別府を一望する場所。



◆別府温泉

・鉄輪付近の源泉別府温泉(べっぷおんせん)は、大分県別府市(旧国豊後国
速見郡)中心部の温泉街の名称。
または、源泉数、湧出量ともに日本一を誇る温泉都市別府の市内各地に数百
ある温泉の総称で、別府八湯(べっぷはっとう)とも呼ばれる。

◇概要
泉都とも呼ばれる別府市には、鶴見岳(1,375m)と約4km北にある伽藍岳
(または硫黄山、1,045m)の二つの火山の東側に多数の温泉が湧き出ている。
また、奇観を呈する自然湧出の源泉を観光名所化した別府地獄めぐりなど観光
スポットも充実しており、毎年1,000万人を超える観光客が訪れる。
豊かな温泉資源は観光や、市民生活だけでなく、古くは明礬の生産から、
地熱発電、医療、花き栽培、養魚業、最近では温泉泥美容まで、様々な産業に
幅広く利用されている。

◇別府八湯
・別府市内には、おのおの泉質や雰囲気を異にした温泉が数百あるが、それら
は歴史の異なる8箇所の温泉郷を中心に分布しており、これらを総称して別府八湯
と呼んでいる。
・別府八湯では、毎年4月のはじめに別府八湯の豊かな温泉の恵みに感謝して別府
八湯温泉まつりが開催されている。また、2001年から開催されている別府八湯温泉
泊覧会(オンパク)や、別府八湯の選び抜かれた温泉施設から88湯に入浴し、
温泉名人の認定を目指す別府八湯温泉道という体験型イベントがある。

◆鉄輪温泉
鉄輪(かんなわ)温泉は、別府市街と明礬温泉との中間にあり、いまだに
湯治の雰囲気を残す温泉街。貸間旅館が建ち並び随所から湯けむりの立ち
上る鉄輪温泉の景観は、別府の湯けむり・温泉地景観として国の重要文化的
景観に選定されている。湯治客は貸間旅館にある温泉の蒸気を利用した装置
「地獄釜」で自炊しながら長逗留する。温泉の蒸気は部屋の暖房にも使われ
ている。周辺に多様な地獄が存在することから分かるように、泉質も単純泉、
食塩泉、炭酸鉄泉など多彩である。岩風呂・砂湯・瀧湯・露天風呂など、
さまざまな温泉が楽しめる外湯のひょうたん温泉を代表に、大小多数の温泉
施設や、食材の持ち込みも可能で手軽に地獄釜を利用できる地獄蒸し工房も
ある。別府地獄めぐりの中心に位置し、周辺には海地獄、鬼石坊主地獄、
山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄などの観光施設や、大衆演劇の芝居
小屋ヤングセンター、別府秘宝館などの娯楽施設も存在する。鉄輪地獄地帯
公園の付近には日本で最初の地熱発電に用いられた泉源跡があり、また、野菜・
花きの温泉熱利用による栽培、育種の研究が行われている花き研究所がある。

開湯伝説によれば、鎌倉時代広大な地獄地帯であったこの地を一遍が火男火売
神社の祭神の導きで最初に整備したとされ、今でも一遍が開いたとされる
蒸し湯跡(別府市営温泉「鉄輪むし湯」の向かい)がある。毎年9月には鉄輪
温泉湯あみ祭りが開催され、蒸し湯のそばの温泉山永福寺では、上人像を渋の湯
などで洗い清める「湯あみ法要」が行われる。温泉街の山手の坂を登った先には
温泉神社がある。

---- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ----




旧富士見旅館のギャラリーを見学。
「別府混浴温泉世界」というアートイベントの巡回コースです(有料です)。



旅館というよりは田舎家といった趣


これ、
オブジェ、
ゲージツです!




二階は洋風の画廊ちっくな仕上がり

<旧富士屋旅館 ギャラリー>





ぷらぷら温泉街を歩くと秋の味覚が、

手が届きそうでしたが止めました。。。


鉄輪ではおなじみ、足虫、、、じゃなくて足蒸し!



これ、
地獄蒸し!
野菜や肉を蒸し釜にぶち込んであっと言う間に蒸し物の出来上がり。
温泉の恵みです、一家に一台欲しい!



町のいたるところにある源泉。
湧くわ湧くわ、
昔の人が地獄に例えたのもよく分る、
こんなんが田んぼから湧いてたらコワイでしょ!






遠景はこんな感じ、
投句箱があったので子供たちは一句ずつ、

おおぎやま つるみだけに がらんだけ

秋の空 湯煙たなびく ・・・忘れた。。。


<ゆけむり展望台>
このあたり、




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別府にあまたの湯を注ぐ活火山 伽藍岳に登った記

2012年11月19日 | Weblog




10月某日、
別府市の裏山にあたる伽藍岳に登った。
この日は天気も中途半端で曇りがちだったので近場で手を打ったというところだ。

この伽藍岳、別名硫黄山とも言い、今も噴煙を盛んに上げる活火山。
別府にとうとうと湧く温泉はこの山の火山活動の影響を受けているらしい。




駐車スペースはこんな感じ、
塚原温泉の手前に10台ほどのスペースあり。


左手の舗装路は塚原温泉行き、
右手の登山口に入ります。


<伽藍岳への登山口>
最短で登るならここ!塚原温泉の手前のスペースに停めるべし。





硫黄の噴煙がガレ場から上がっています。
登山道の途中にもいくつか噴出口があった。


伽藍岳の「伽藍」を巻くように登ると見晴らしの良い場所に出る。


その先、
小さな道標の先は、、、


刈り払いもされてない薮漕ぎ状態、
身長の低い子供には辛い。


それでもどうにかこうにか頂上を踏む。
もと来た道を引き返します。


藪漕ぎを抜けてはーればれ!


変な岩、まんなかでバキッて割れてる!




伽藍岳の噴煙を上げる「伽藍」を背景に下る



ちなみにこれ途中の広場から頂上方面。


広場で昼食をとったんですが、
自分でも忘れていた私の誕生日へのサプライズ!
まさか、ケーキとプレゼントを仕込んでいたとは。。。

記憶に残るバースデイ山行でしたよ(嬉涙)!



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別府堀田温泉 白糸の滝温泉 久しぶりの硫黄泉!

2012年11月18日 | Weblog


晴れた日の別府!

ぷらぷら歩いてしっとり汗をかいた頃、
堀田温泉エリアにある人気の白糸の滝温泉に行ってみた。

久しぶりの硫黄泉だ!
新鮮な温泉らしいいい香りがする!

いかにも民家の離れを改造したような手作り感満載の素朴な作り、
50分1,000円という別府の家族風呂にしてはリーズナブルな設定もよろし。



その名の通り白糸の滝が裏山から流れ落ちる場所にある。


通りから堀田温泉に進み手作りの案内板に沿って棚田を登って行くと、
これまた手作り感のある看板が目印。


思い切り民家の車庫のようなところが入口受付。
ここに2台駐車可。
少し登って家の裏に回ると4台停めるスペースあり。


湯船は3つ、1、2、3。
2時前だったので選び放題、2の湯船に1,000円払って入場!
石造りの湯船が古墳の石棺みたいで落ち着くわぁ。


白濁したお湯、
六一〇ハップのようないい香りが鼻をつく。
これぞ温泉!


熱っついお湯がドバドバ出てくる。
それを湧き水で調整する作り。
いい湯加減に調整しつつ、掛け流しを楽しむ!!


窓の向こうは別府湾!
湯けむりでボヤけちゃいました。


<行き方>
堀田温泉から手作りの看板に沿って進めば着きます。





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ハゲノ湯温泉と鯛生金山

2012年09月09日 | Weblog


道の駅「鯛生金山」
東洋のスイス、エコの中津江、これいかに?!



◆少し涼しくなったので今年初めての小国町のハゲノ湯温泉。
いつ​ものように温泉に入っている間に食材を蒸しまくって休憩所で家族宴会。

◆そのまま帰るにもなんなので車中泊ついでに10年前にカメルーン旋風の
吹いた中津江に。
鯛生金山の跡地を見て明治から昭​和の近代産業の栄枯盛衰を感じたのであった。



温泉利用者向け蒸しガマ

<wikipedia>
はげの湯温泉(はげのゆおんせん)は、熊本県阿蘇郡小国​町にある温泉。
九重連山のひとつである標高760mの涌蓋山(わいたさん)西麓の、のどかな
高原状の山地にあり、岳の湯温泉、地獄谷温泉、山川温泉、麻生釣温泉、
鈴ヶ谷温泉とともにわいた温泉郷を構成している。






半熟にしようかと思ったが6分で完熟状態











中津江と言えばカメルーンということで


黄金の茶室ではありません


エムボマ!



砂金採り体験
お土産つき!!


30分間無心に砂を洗う欲似とりつかれたこども





<Wikipedia>
鯛生金山は明治時代に発見された金鉱山で、昭和初期の全​盛期には、鉱山町が形成された。昭和47年に資源枯渇の​ため閉山された後、旧坑道の一部が地底博物館として道の​駅として整備されている。




大型の巻き上げ機






標高500mから0mまで掘り下げられた網の目のような​坑道








地底湖


坑内は年間を通じて14度Cになっており強冷のエアコン​の部屋にいる感じ。




金の鯛
今はレプリカですが、かつては盗難に遭うまで本物が置か​れていたそうです。



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蝶ヶ岳~常念岳縦走。。。できず、下山

2012年08月16日 | Weblog

蝶ヶ岳から常念岳へと続く縦走路
槍穂高を梓川を隔てた向こうに望む天空漫歩道

-----------

夏休み、
帰省のついで、というか、こっちがメインか、
離れて思い出す北アルプスへの憧憬がそうさせるのだろう、
槍穂高が生で見たくなった。

そんなわけで、
思いがけず晴れた初日、調子に乗って蝶ヶ岳を目指すが、
ザックの重いこと重いこと。

結局、テント泊したものの夜半からの暴風雨であえなく撤退、
翌朝にはホウホウの体で下山の人となりました。

いつかはまた来たい、せめて足腰の立つ間に!!



三股の駐車場はピーカン、
「え、予報外れた?!」
うれしい誤算、どっひゃー!


登高欲を駆り立てます。


ほどなく登山口に到着、
北アの山岳警備隊のおじさんに登山届けを提出。


ここが蝶ヶ岳と常念岳への登山道を分ける「三股」
意気揚々と蝶ヶ岳方面へ!


力水の水場、
すでに4リットル担いでいるが、
暑いもんだから、
ここでたらふく胃袋に補給。





「まめうち平」という開けた場所。
この時点で既にバテ気味でした。

久しぶりのテント装備で背筋が悲鳴を上げています。
だましだまし、歩いては休み歩いては休み、次から次へと
後続の登山者をかわしていきます。
ふへ~。。。。


そんなこんなで、
喘ぎ喘ぎ登ること7時間近く、
コースタイムは5時間半ですから相当な遅れ、
やっとこさ頂上直下あたりの潅木帯まで出ました。


到着!
何はともあれテントの受付を済ませて、
500円のポカリの500mlを一気飲みしてから、
穂高槍の望める梓川を見下ろす稜線に腰を下ろす。

遥か眼下に梓川が蛇行しているのを見るに付け、
この2600mを超える高度を実感。


蝶ヶ岳ヒュッテ


槍ヶ岳、目の前!


テント場


行きたかった常念岳へと続く稜線。
この時点ではいい天気でした。


行きてぇ~!!


蝶ヶ岳山頂から常念


夕日にシルエットが浮かぶ槍穂高連峰


その晩は星の降るような空だったが、
夜半から吹き始めた突風が雨を絡ませ、
天候の回復の見込みはなさそうだ。

日の出とともに下山を決心し、
雨の中、三股目指して下山。

途中で有名なゴジラ石に出くわしマジビビる。
薄暗い樹林帯の単独行には心臓に悪いよ~

それにしても常念岳への縦走は叶わなかったが、
無事帰れてよかった。
また来るぞ、という思いを胸に安曇野を後にした。
チャン、チャン


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そろそろ潮の変わり目かもなんて考えつつ・・・

2012年08月01日 | Weblog


我が心の山

気がつけば夏ですね、気がついてると思いますが、、、失礼しました。

7月に入ってから梅雨とは言っても何だか凄い雨が降りまして、
ニュースの通り、九州北部には未だに豪雨の爪あとが深く残っています。

それが終わったかなぁ・・と思ったら、
今度は、計画停電を心配するほどの真夏日の連続、、、
夜、クーラー効きすぎて眠りが浅いのかちょっと疲れ気味のようにも思えます。




最近、ブログの更新を滞らせてまして、
一部の方からお叱りも受けているところなんですが、
ご存知のとおり近頃はFacebookという便利な道具がはやってまして、
ご他聞に漏れず私も始めたら面白い!
・・ということで一日のうち結構な時間をこれに
費やすようになってしまいました。



梅雨の豪雨の間隙を縫って九重に出かけてみました。まだ雲多かったです。
↓↓







それだから、というわけじゃないんですが、
情報発信(という程の内容も無くて恥ずかしいのですが)をFacebookと
このブログにどう切り分けるのか、少し考えてみたくなったんです。

 ・
 ・
 ・
 ・
というわけで、
試行錯誤しつつこのブログの活かし方も考えて行きたいと思いますので、
これまでのご無礼をお詫びしつつ、見守り頂ければと思います。




なお、Facebookにていわゆる「友達登録」などをご希望される方は、
まずはこちらにご一報いただければ幸いです。
↓↓




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今は青い空と海を見下ろす「富岡城址」

2012年06月02日 | Weblog
◆富岡城

・通称 臥龍城
・城郭構造 梯郭式平山城
・天守構造 なし
・築城主 寺沢広高
・築城年 1605年
・主な城主 寺沢氏、山崎氏、戸田氏
・廃城年 1670年
・遺構 石垣、堀切
・再建造物 石垣・櫓・門・塀

◇富岡城(とみおかじょう)は、肥後国天草郡(熊本県天草郡苓北町富岡)
にあった城。

◇概要
・富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の
丘陵上にある梯郭式の平山城である。城の南には堀の役割を果たした袋池が
あり、東部には砂嘴に囲まれた巴湾が天然の土塁となって海からの外敵を
防衛する役割を果たしていた。また、陸からの攻撃は砂州のみしかない。
極めて攻撃し難い天然の要害を形成していた。
・平成6年(1994年)より城の発掘・復元が計画され、国立国会図書館にある
『肥前甘艸富岡城図』をもとに丘陵上の本丸に復元作業が行われた。平成17年
(2005年)3月復元作業が終了し石垣や櫓が復元された。本丸の櫓は展示施設
「富岡ビジターセンター」となり、天草の歴史・文化・自然などが紹介されて
いる。

◇沿革
・慶長5年(1600年)天草郡を含む肥後北部を領していた小西行長は、関ヶ原
の戦いにおいて西軍方に参陣し敗れた。このため所領は没収され、翌年の
慶長6年(1601年)東軍に参陣し功績のあった唐津城主・寺沢広高は天草郡
4万2千石を与えられた。広高は肥前唐津から離れたこの地を治めるために、
慶長7年(1602年)から慶長10年(1605年)にかけて富岡城を築き城代を置いた。
・寛永14年(1637年)10月28日(新暦12月14日)、藩による重税とキリシタン
迫害に堪りかねていた天草の領民は、数日前に代官を殺害した島原の領民に呼応、
共に天草四郎を盟主として蜂起し、島原・天草一揆が始まった。富岡城代の
三宅籐兵衛は1,500人の唐津藩兵を率いて、本渡に出向き一揆軍との戦闘が
繰り広げられた。しかし数に勝る一揆軍により11月14日(新暦12月30日)
に三宅籐兵衛は討ち死にした。11月19日(新暦1638年1月4日)、一揆軍は
富岡に迫り城下町と城を攻撃した。戦死した城代に代わり原田伊予が指揮を
執り、猛攻によく耐え11月25日(新暦1638年1月10日)には一揆軍を撤退させた。
一揆軍は海を渡り原城に立て籠もる島原の一揆軍と合流し、天草での戦闘は
終了した。寛永15年(1638年)2月28日(新暦4月12日)、原城に立て籠もった
一揆は鎮圧された。しかし、一揆の勃発を許した堅高(唐津藩2代藩主)は
天草郡を没収された。なお、堅高は正保4年(1647年)に自害し寺沢氏は
無嗣断絶となっている。
・この年、天草郡4万2千石は山崎家治に与えられ、備中国成羽城より入城し
富岡藩が成立した。家治は入封すると早速、城の改修に着手した。百間塘と
呼ばれる土手道を整備し、袋池を構えて内堀の代わりとした。また、大手門を
造営した。寛永18年(1641年)城の改修が終了したが、この年に家治は讃岐国
丸亀城に転出となった。
・寛永18年以後は寛文4年(1664年)まで天領となった。初代代官として
鈴木重成が承応2年(1653年)まで務めた。重成は天草郡の石高4万2千石は
過分であり半減すべきであると訴え江戸で切腹した。重成の後は子の重祐が
継いだが13歳と年少であった為、明暦元年(1655年)甥の重辰が天領代官を
継ぎ寛文4年まで務めた。
・寛文4年、三河国田原城より戸田忠昌が2万1千石で入城し再び富岡藩が立藩
した。忠昌は城の維持管理が領民への負担を強いていることに疑問を感じて
いた。このため寛文10年(1670年)忠昌は遂に三の丸に藩庁を残し、本丸・
二の丸を破却し廃城とした。これは「戸田の破城」と呼ばれ、良策として
後世に評価された。廃城となった後は三の丸が陣屋(富岡陣屋)として残った。
・破城の翌年の寛文11年(1671年)忠昌は「天草は永久に天領であるべき地」
と主張し認められた。忠昌は奏者番兼寺社奉行となった当日に関東へ転封
となり、以後、富岡城三の丸は明治維新まで天領代官所(天草代官所)
として機能した。
・明治元年(1868年)には天草県となり、代官所は県庁となったが間もなく
長崎府に編入され、廃藩置県の時の明治4年(1871年)には八代県に編入、
さらに白川県、熊本県に編入された。遺構として鈴木家の墓所がある端林寺
には代官所正門が移築現存している。

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天草から島原の乱につながる一連の暗い歴史の舞台であるはずだが、
この連休初日ってぇやつはカンカンに照り付けてくれて忌まわしい陰惨な史実を
400年前の彼方に追いやってくれるようだ。

ツブラジイの花だろう、黄色い花が山に金粉が降り注いだように飾っている。
金華山を思い出す。




本丸跡にはビジターセンターがある。



島原に渡る海を見晴らす。




島原の乱の初期の石垣遺構は後世の為政者によって
新しい石垣の内側に押し込められたという。



二の丸跡には鈴木重成らの銅像が立つ。




本丸跡の城郭風のビジターセンター。
ちょっとした休憩室もあってお弁当を広げることも可能。





いい天気です!
二の丸の広場の芝生にシートを広げてスーパーで買ったお弁当を食べました。






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