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車中泊で鹿児島 - 知覧特攻平和記念館 -

2012年01月22日 | Weblog

◆知覧特攻平和会館

・専門分野: 旧陸軍特別攻撃隊隊員の遺品や関係資料を展示し、当時の記録
 を後世に伝える
・事業主体: 鹿児島県南九州市知覧町
・開館: 1985年
・所在地: 〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡17881

◇知覧特攻平和会館(ちらんとっこうへいわかいかん)は鹿児島県南九州市
 知覧町にある、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に編成された大日本帝国陸軍
 の特別攻撃隊に関する資料を展示する施設。

◇展示内容
・写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されて
いる。その展示されている遺影、遺品のほとんどは、知覧特攻平和会館初代館長
板津忠正(元特攻隊員)が集めたものである。
・戦闘機
「四式戦闘機「疾風」I型甲」 - 実物。
  世界で唯一原型を留めた良好な状態で現存する機体。
  フィリピンの戦いにおいて、アメリカ軍に鹵獲された経歴を持つ第一線から
  の里帰り機。
「三式戦闘機「飛燕」II型改」 - 実物。世界で唯一原型を留めた良好な状態で
  現存する機体。元陸軍航空審査部所属機で、終戦直後にアメリカ軍に接収
  され日本航空協会に譲渡された機体。日本航空協会所有の貸与機。
「一式戦闘機「隼」III型甲」 - 復元複製機。映画『俺は、君のためにこそ
  死ににいく』の撮影に使用され、映画配給元の東映より知覧町へ譲渡された
  実寸大精巧レプリカ。
「零式艦上戦闘機五二型丙」 - 実物。損傷が激しく機体前部と主翼及び主脚のみ
  現存の状態。薩摩川内市の甑島沖約500m、水深約35mに沈んでいたものを
  引き上げ修復したもの。

◇跡地
・太平洋戦争中に太刀洗陸軍飛行学校知覧分校として設立。大戦末期に、知覧
 分校から知覧特攻基地に名称変更。 ここから多くの特攻隊員が出撃し、戦死
 している。

---- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ----



PV 「B'z - 永遠の翼」


「俺は、君のためにこそ死にいく」

太平洋戦争末期。圧倒的劣勢の日本軍は、爆弾を積んだ戦闘機で敵艦に体当たりする
“特別攻撃隊”を編成。特攻隊基地のある鹿児島・知覧にその女性はいた。
“特攻の母”として慕われた実在の女性・鳥濱トメ。
本作は、製作総指揮を務めた石原慎太郎自らが彼女から聞いた真実を基に企画、脚本
を書き上げた意欲作。
そして物語を彩る主題歌「永遠の翼」&タイトルイメージソングを担当したのは
B'zの2人。実際に知覧の特攻平和会館を訪れ、共感し書き下ろした。
---(出典元サイト ココ)---



開聞岳から鹿児島市内に戻る途中、
指宿有料道路を知覧で降りて「知覧特攻平和記念館」に立ち寄る。
鹿児島に来たら行こうと決めていた場所のひとつだ。
遺品の展示が多く館内は撮影禁止であったたのだが、
却って隊員たちの遺書や遺品、特攻の歴史など当時の人達に対する
思いにどっぷり浸ることができた。

泣いている人を何人も見たが、不思議と自分は涙が出なかった。
その時代や散った人々を思う気持ちもありながら、今の時代に対する
責任感みたいなものをずっと感じていた。




隣接する知覧町の博物館、
薩摩半島の地理、歴史をわかりやすく解説されていた。



鹿児島市内まで指宿有料道路に乗って戻る、
稜線上のスカイラインは、鹿児島湾を見下ろすには絶好だ。
特攻隊員も今とさして変わらぬこの空と海を見ながら、
南の海に散りに逝ったのだろう。






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