「夏には並木がこの遊歩道の路面に、くっきりとした涼しい影を落とす。ボストンの夏はだれがなんと言おうとすばらしい季節だ。ハーヴァードやBU(ボストン大学)の学生たちが必死にレガッタの練習をしている。女の子たちは芝生の上にタオルを敷いて、iPodを聴きながら、すごく気前のいいビキニ姿で日光浴をしている。」
偶然にもカバンに入れてきた、『チャールズ河畔の小径』という村上春樹のエッセイの最初の方の一節、すごく気前のいいビキニといった語り口が、村上らしさでもあります。
「誰かがギターを弾いて歌を歌っている。犬がフリスビーを追いかけている。でもやがてニューイングランド独特の、短く美しい秋がそれにとってかわる。」と、村上は、われわれの行ったこともないニューイングランドの河畔、夏から秋へのかわりゆく情景を短い文章の中で想起させてくれます。
さて、水辺、県境にあるこの湖の畔に立つのは何年振りなんだろう。いや、もう何十年と来ていないかもしれない。
十和田湖の日の出、正確には日の出から10分ばかり後
湖面に一艘の小舟、何をしているのでしょう
湖畔に沿った遊歩道を少し歩きます
朝の光が反射します
鉛山聖救主礼拝堂 大川岱桟橋から約15分ほど、とても簡素な建物です。昭和36年にはライシャワー駐日米大使夫妻も訪問されたそうです。
休屋の駐車場に車を置いて、まだ人影の少ない砂浜を『乙女の像』へと歩いてみます。
たぶん、20数年ぶりの『乙女の像』、なにか早朝の幻影のように、かつての乙女たち若者たちが台座の中に立ち尽くしています。
※『チャールズ河畔の小径』村上春樹 文春文庫『ラオスにいったい何があるというんですか』に収録
※『乙女の像』高村光太郎最後の作品 昭和28年(1958)