さまよえる天神さん

てくてく てくてく 風景と

古いアルバムの中で 3

2020-01-17 | 鳥海山

どうも記憶の迷路にはまり込んでるような・・・・。
まあ、どうでもいいことと云えばそれまでですが、気にはなります。
国鉄バスが霊峰まで開通したのが昭和34年、たぶんその後少しずつ上に道路は伸びて、ネット上に残っている1967年発行の『あきた』という冊子?の中の鳥海山の説明にはバスが終点の鉾立まで行っており、その上のマイクロウェイブまで道路が整備され、バスも延長される旨が書かれています。終点近くには町営「せきれい山荘」があることも。

昭和42年ころの賽の河原の道標にはせきれい荘から5.8キロの表示

「せきれい山荘」?そんな呼び名だったか。そういえばその頃の小学校の学校登山で、まだ残っていた旧登山道をしばらく登ってマイクロウェイブまで辿ったような記憶が。