「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

古事記・日本書紀にあるシキ(磯城・師木・志幾・斯鬼)とは鳥取県湯梨浜町の東郷池周辺であった

2018-04-25 04:57:55 | 序章

古事記・日本書紀にあるシキ(磯城・師木・志幾・斯鬼)とは鳥取県湯梨浜町の東郷池周辺であった


1  欠史8代というが、鳥取県中部に実在した。第2代天皇は北栄町曲の蜘ヶ家山(葛城山)の岡神社(葛城高岡宮)に皇居があった。第3代天皇は湯梨浜町橋津観音堂に皇居があった。第4代天皇は倉吉市小田山に皇居があった。第5代天皇は倉吉市穴沢の灘手神社に皇居があった。第6代天皇は北栄町大島(室秋津島)に皇居があったが、朝鮮半島で捕らえた160人の生口(青銅器文化の一族)を中国皇帝に差し出した。第7代天皇は皇子や皇女と一緒に全国の青銅器文化の一族を平定した。第8代・第9代・第10代天皇は第7代天皇の皇子であり、卑弥呼は第7代天皇の皇女である。第7代天皇の黒田庵戸宮は鳥取県湯梨浜町宮内にあった。宮内遺跡で弥生時代後期(倭国大乱の時代)の日本一長い鉄刀が見つかっている。奈良の黒田庵戸宮はシキとされたところにある。鳥取県の東郷池周辺をシキ(磯城・師木・志幾・斯鬼)と言っていた。本当の黒田庵戸宮は鳥取県湯梨浜町宮内にあった。

2  第3代天皇と第5代天皇の諡号と皇居(古事記による)
(1)第3代安寧天皇 
諡号は、師木津日子玉手見命
皇居は、片塩浮穴宮
(2)第5代孝昭天皇
諡号は、御真津日子訶恵志泥命
皇居は、葛城掖上宮

3 古事記の第3代天皇と第5代天皇の帝紀は、旧辞を削除しているので、藤原氏は安心してそれほど改ざんしていないと思われる。  
  日本書紀は原古事記の読みに似た発音の漢字をあてているだけなので日本書紀の漢字の意味を探ろうとすれば、間違いを犯すことになる。例えば第5代天皇の諡号は古事記では「御真津」とするが日本書紀では「観松」とする。「観松」に意味はないのであって「御真津」の発音を「観松」という漢字に置き換えただけである。
 「御真」とは御真木や任那(御真奴)と同じ表現であって「本当の」という意味である。似かよったものがもう一つあることを前提とする。例えば、御真津(葦原中津国)は師木津に対応するし、御真木(津山)は木国(鳥取県智頭町)に対応するし、御真奴(朝鮮半島全羅南道の任那)は倭奴(北九州)に対応する。天孫が降臨して平定した葦原の中津(鳥取県北栄町)のことを指している。
 「御真津」にしろ「師木津」にしろ、船が出入りできる津(湾)であることを意味する。第3代天皇と第5代天皇の時代、海面は今より4mくらい高く、「御真津」「師木津」の比定地は現在の海抜4mくらいの地域で、海岸近くのはずである。御真津は「橘」の形に似ており、師木津は「柏」の形に似ていた。シキ(師木)とは津につく形容詞と思われるから、シキ(師木)の中に津があった。師木津とは鳥取県湯梨浜町の東郷池と思われる。海抜4mに海面があった時代の東郷池は柏葉の形に似ている。
 第3代安寧天皇の皇居は、片塩浮穴宮であり、師木津(東郷池)周辺にあったものと思われる。師木津は海抜4mに海面があった時代の塩分濃度の濃い地域(片塩)であり橋津・南谷地域と思われる。橋津観音堂の石段の登り口の横には穴があり、稗田阿礼は特徴を書き残していた。

4  古事記・雄略・白い犬
  雄略天皇が出かけて国の中を眺望すると、屋根の上に高く鰹木をつけて作った家があった。雄略天皇は「あの鰹木をあげて屋根を作った家は、誰の家か?」と尋ねたので、側に仕えている者が「志幾の大県主の家でございます。」と答えた、とある。

5. 鰹木をあげて屋根を造った家の埴輪が見つかった遺跡・古墳(シキの候補)
(1)長瀬高浜遺跡(鳥取県湯梨浜町) 海抜10m 海まで1km
(2)今城塚古墳(大阪府高槻市) 海抜32m 海まで24km 
(3)赤堀茶臼山古墳(群馬県伊勢崎市) 海抜135m 海まで100km
(4)岡山南遺跡(大阪府四条畷市)  海抜36m 海まで17km
(5)宮山古墳(奈良県御所市)  海抜130m 海まで24km
 鰹木をあげて屋根を造った家の埴輪が見つかった遺跡・古墳(志幾の候補)は長瀬高浜遺跡(鳥取県湯梨浜町)以外にもあるが、いずれも船の出入りできる津(湾)の近くではない。長瀬高浜遺跡(鳥取県湯梨浜町)は東郷池(津)のそばにある。
 志幾(シキ)とは師木・磯城・斯鬼(シキ)と同じであり東郷池周辺のことである。古事記・雄略・白い犬の舞台は東郷池周辺であった。難波・河内の地名は鳥取県中部にあったが、大阪に持っていき、鳥取県中部の難波・河内の地名は消した。
 古事記・日本書紀にあるシキ(磯城・師木・志幾・斯鬼)とは鳥取県湯梨浜町東郷池周辺である。


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