「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

宇迦之御魂命(須勢理姫)を祀る鳥取県の神社38社(合併前の神社も含む)

2018-06-10 01:54:38 | 素戔嗚命

1  因幡国(鳥取県東部)22社(合併前の神社も含む)
小羽尾神社 岩美郡東村小羽尾
多居乃上神社(須勢理姫) 岩美郡宇部村
大平神社 岩美郡津ノ井村
虫井神社(以下の2社を合併) 八頭郡山形村大呂
芦津神社 八頭郡山形村芦津河原
八河神社 八頭郡山形村八河谷字宮ノ下
岩神神社 八頭郡富沢村岩神
三輪神社 八頭郡智頭町南方
向田神社 八頭郡土師村穂見
祓谷神社(以下の2社を合併) 八頭郡土師村三田祓谷
井上神社 八頭郡土師村三田湯谷
小谷神社 八頭郡土師村山根荒神谷口井手ノ上
土師神社(以下の3社を合併) 八頭郡土師村埴師宮山
北谷神社 八頭郡土師村埴師香伝地
木原神社 八頭郡土師村木原宮郡家
勝手神社 八頭郡土師村横田本谷
河野神社(以下の4社を合併) 八頭郡土師村三吉檜谷口
広嶺神社 八頭郡土師村三吉山田
宮国神社 八頭郡土師村三吉十日市
檜神社 八頭郡土師村三吉大坪
聖神社 八頭郡土師村慶所宮ノ尾
大屋神社 八頭郡那岐村大屋一ノ谷

2  伯耆国(鳥取県中部)12社
谷田神社(八幡神社) 倉吉市余戸谷町四十二丸
勝宿禰神社 倉吉市下田中
神庭神社 倉吉市円谷
東山神社 倉吉市米田町
村上神社 倉吉市巌城村ノ上
田内神社 倉吉市巌城宮ノ前
小田神社 倉吉市小田宮ノ谷
船内神社 倉吉市下古川
古布庄神社 琴浦町古布庄
下見神社 琴浦町三本杉
諏訪神社 琴浦町八橋
大父神社 琴浦町以西大父

3  伯耆国(鳥取県西部)4社
唐王神社(須勢理姫) 西伯郡所子村唐王
貴布禰神社 西伯郡車尾村車尾
上代神社(須勢理姫) 日野郡石見村上代
板井原神社(須勢理姫)日野郡根雨板井原
※私見
 唐王神社は須勢理姫が亡くなったところであるとする。これをもって鳥取県西伯郡所子村も出雲国に含まれていたのではないかとする説があるが鳥取県西部は出雲国ではない。大国主は鳥取県中部で亡くなっている。鳥取県西部4社のうち3社の祭神を隠さず須勢理姫としているところに藤原氏の何らかの意図が見て取れる。大国主の活動本拠地は鳥取県西部より西であり鳥取県中部は何もないよ、としたかったのである。そうなら、なぜ藤原朝廷は鳥取県中部に伯耆国府を造ったの、ということである。

4  私見
(1) 鳥取県神社誌昭和9年刊に記載されている須勢理姫(宇迦之御魂命)を祭神とする神社は合併前の神社を含めると38社である。そのうち智頭町が18社でありほぼ半数となる。大山祇と神大市姫は岡山県真庭市社にいたのではないかと思われる。その後、大山祇と神大市姫は伊邪那岐と一緒に鳥取県智頭町に来ていた。智頭町には大屋がある。大屋毘古は智頭町の大屋にいたと思われる。木国は紀国でも紀伊国(和歌山県)でもない鳥取県智頭町であった。素戔嗚は櫛名田比賣との間に大国主が出来てから、鳥取県智頭町(木国)の大山祇と神大市姫のもとに行っていた。素戔嗚と神大市姫との間に大年神と須勢理姫が生まれた。伊邪那岐が亡くなって素戔嗚と須勢理姫は最初の約束どおり蒜山経由で鳥取県倉吉市(根堅洲国)の清熊稲荷神社に降りてきた。大国主は中山神が来るまで中山神社(御真木)にいたが、その後、素戔嗚を追って鳥取県倉吉市(根堅洲国)の清熊稲荷神社に降りた。
(2) 倉吉市の八幡神社について
 八幡神社 祭神 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 素戔嗚命 宇迦之御魂命 武内宿禰命
鎮座地 東伯郡倉吉町大字余戸谷町字四十二丸
現在地 倉吉市八幡町3626-3
由緒 大正2年 谷田神社 祭神 素戔嗚命 宇迦之御魂命(須勢理姫) 倉吉町余戸谷町四十二丸(八幡神社の現社地)を合併する。
 谷田神社が大正2年まで倉吉町余戸谷町四十二丸にあった。祭神は素戔嗚命と宇迦之御魂命(須勢理姫)であった。谷田神社は清熊稲荷神社に神社名を変えている。


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