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History, Strategy, Ideology, and Nations

1月19日

2010年01月19日 | NEWS & TOPICS
 最新の世論調査によると、鳩山内閣の支持率は、いまだに40%台前半を維持しているとのことである。
 まだ半数近くの人が、鳩山内閣に期待を寄せているとは、正直、驚きを通り越して、もはや呆れるばかりだが、
 逆に言えば、一体なぜ支持率が大きく低下しないのか考えてみる必要がある。
 
 一部で囁かれているように、世論調査の方法自体がかなり眉唾だとする見方もあるが、
 ここではその真偽を問うことは止めておこう。
 なぜなら、それは確認する術のない話であるし、万が一、母集団に偏向があったとしても、
 その偏向が日本のマスメディア全体にかかっているとは思えないからである。
 確かに、朝日新聞など、どちらかといえばリベラル色の強いメディアの場合、
 産経新聞といった保守色の強いメディアよりも、内閣支持率の数字が高く出ることは珍しくない。
 だが、朝日新聞の調査結果を時系列的に眺めていくと、やはり徐々に低下していることは間違いない。
 先日、大学入試センター試験が行なわれていたが、
 代ゼミや河合塾、駿台などが算出する大学難易度を示す偏差値が、必ずしも一致しないというのと一緒である。

 ただし、マスメディアの報じ方が、自民党時代と比べて、かなり擁護的であることは否定できないだろう。
 昼に放送されていた情報番組で、
 「この程度の問題で大騒ぎになること自体、おかしい」と述べるコメンテーターがいたが、
 つい半年ほど前、麻生前首相に対して、「庶民感覚を欠いている」と口に糊して批判していたことを思えば、
 きっとそのコメンテーターは重度の健忘症なのであろう。

 一方、さすがに夜の報道番組では、そうした詰まらない検察批判を行なうキャスターやコメンテーターはいない。
 しかし、今回の問題を自民党政治の名残として、
 民主党への批判に手心を加えるような解説を行なう者はよく見かける。
 古い自民党政治からの脱却を謳った民主党が、
 実を言うと、骨の髄まで、自民党体質に漬かり切っていたという事実は皮肉以外の何物でもない。
 だが、もし古い自民党政治こそ問題だとするならば、かつて自民党を批判していたように、
 小沢幹事長をはじめ、民主党に付きまとう様々な不正資金疑惑に対しても、
 厳しく批判しなければ筋が通らないだろう。
 それを逡巡してしまうのは、本当に重要なことは古い自民党政治などではなかったということであり、
 単純に、「強い者が倒れる姿を見たかった」という野次馬根性でしかなかったということになる。
 
 この心理を忖度して、手短に表現するならば、まさしく「嫉妬」の一語に尽きる。
 日本の言語空間が不幸なのは、この「嫉妬」の心理に働きかけることが重要な価値基準となっている点であり、
 それに反したような議論や言説に対しては、押しなべて「傲慢」や「不遜」といった批判を浴びせるところにある。
 判官贔屓といえば聞こえはよいが、弱者を無条件に応援するのは、
 要するに自分の姿をそこに投影するからであろう。
 だからこそ、その弱者が地に堕ちた時、
 本来、守るべき原則やモラルに逸脱していたとしても、それを擁護するのである。

 しかし、「嫉妬」とは、きわめて私的な感情によって発せられるものである。
 この感情によって政治が支えられている限り、いかなる改革も「よりよいもの」を目指すのではなく、
 「より多くのもの」を目指すものとなることは必定である。
 古い自民党政治からの脱却といえば、
 金権政治との決別や官僚支配の否定といった表面的な部分に目を奪われがちだが、
 大きく変えなければならなかったのは、世論全体に滲みている「嫉妬」の心理を克服することであった。
 それによって、公的な問題を取り扱う政治に臨む精神性が、ようやく培われることになるからである。

 現在、民主党がこれだけ失態を演じているにもかかわらず、
 自民党に支持が集まらないのは、その政策が悪いとか間違っているとかいう次元の話ではなく、
 まだ「強者」のイメージを引きずっているからにほかならない。
 そして、民主党への支持が大きく低下しないのは、
 国内世論の中に「嫉妬」の心理が根強く存在するからである。
 おそらくそれを日本人の精神から完全に放逐することは不可能であろうが、
 少なくとも高尚な理念に転換させていくことはできるかもしれない。
 従って、今、自民党に期待されている仕事は、まさしく「言葉による政治改革」であり、 
 かつて板垣退助が全国で自由民権運動を展開したように、
 語って、語って、語りつくす以外に処方箋はないのである。