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History, Strategy, Ideology, and Nations

1月20日

2010年01月20日 | THEORY & APPROACH
 オバマ政権が発足した当初、政権が掲げた外交理念は「スマート・パワー(smart power)」であった。
 要するに、「権力を賢く行使する」ということなのだが、
 あまりにも抽象的だったことから、国内のみならず国外からも支持を得ることはできなかったようで、
 その後、オバマ政権はそうしたフレーズを使わなくなってしまった。

 そもそも、この言葉を作った人物は、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授であり、
 「ソフト・パワー(soft power)」という概念を提示したことで有名な研究者である。
 その目的としては、ブッシュ・ジュニア政権で犯したイラク戦争の失敗、
 また、それに伴って失墜した米国の威信を回復するために、
 米国の権力を米国の都合を優先して行使するのではなく、
 米国の威信を向上させ、かつ他国の利益にも貢献する形で権力を行使すべきという発想から、
 新たにオバマ政権が発足するにあたって、
 「スマート・パワー」を一つのスローガンとして、外交アプローチの清新さを演出することにあった。

 もっとも、その動きは、すでに2006年の段階から出ており、
 たとえば、民間シンクタンク・国際戦略研究センター(CSIS)では、
 ナイとリチャード・アーミテージ元国務次官がコーディネーターとなって、
 スマート・パワーに関する報告書をまとめていることから、それを窺い知ることができる。

 Richard L. Armitage and Joseh S. Nye, Jr.
 CSIS Commission on Smart Power: A Smarter, More Secure America
 Washington DC: The CSIS Press, 2007

 ただし、内容としては、「正しいことは良いことだ」という苦味も渋みもないものとなっており、
 米国のリーダーシップへの挑戦に対して、具体的な対策や戦略を提示することはできていなかった。
 結局、現在の米国外交にとって、何が「賢明」なのかは誰にも分からないし、
 万が一、分かったとしても、それを実行できるかどうかは何の保障もない。
 報告書の中で、次期大統領への勧告として、
 「世界的な公共善」の実現に向けて、米国は戦略的な努力を重ねるべきとしているが、
 そうした公共善の実現を目指すこと自体、すでに「賢明」と言えるかどうか疑わしいのである。

 だが、そのことは当の米国自身が一番よく分かっているのではないだろうか。
 リーマン・ショック以降、大幅に低下した政府歳入と議会圧力によって、
 現在もまだ揺るぎない地位を占めているとはいえ、
 米国の軍事的優位は、以前よりも相対的に崩れていることは明らかであろう。
 実際、ゲイツ国防長官は、『Foreign Affairs』2009年1・2月号で、
 「潤沢な軍事予算を通じて安全保障上のリスクを低減することは期待できなくなった」とした上で、
 「国防総省は、優先順位をつけなければならない」とはっきり明言しているのである。

 Robert M. Gates
 ”A Balanced Strategy: Reprogramming the Pentagon for a New Age"
 Foreign Affairs, Vol. 88, No. 1 (Jan/Feb 2009)

 そうなってくると、米国にとって「賢明」な外交を展開するためには、
 その優先順位の付け方こそが重要なファクターになってくるはずである。
 オバマ政権が「スマート・パワー」と言わなくなったのは、
 そこに無慈悲な計算が働くことを悟ったからであろう。
 裏を返せば、当初、リベラルな発想で生み出された「スマート・パワー」であったが、
 そのニュアンスは、いつの間にかリアリズムの文脈に置かれるようになったのである。

 オバマ政権が発足して、ちょうど一年が経過したところだが、
 無為無策のように感じられるのは、レトリックと現実の間でジレンマに立たされているからである。
 残念ながら、そのジレンマを克服することは難しいだろう。
 しかし、米国以外の国々にとって、沈黙する米国ほど不気味なものはない。
 とりわけ米国と同盟関係にある日本は、米国の心理と計算を読み切って、
 自国の安全保障に結びつける努力を重ねなければ、
 米国側から見切りを付けられる可能性さえも捨て切れない。
 その意味で、鳩山政権発足後に悪化した日米の信頼関係の再構築は急務と言わざるを得ないのである。