リビア・カダフィ大佐は、反政府デモの鎮圧に向けて、傭兵部隊を投入したと報じられている。
また、一部の報道では、天安門事件を引き合いに出しながら、
デモに参加した市民を死刑にすると息巻いて、
実際、自国民に対して空爆を決行したというのだから恐れ入るしかない。
正統性を失った独裁者の末路とは、こんなにも無節操で哀れなものかと思い知らされる。
現在、類稀なる独裁体制を敷いている北朝鮮も、この光景を固唾を飲んで見ていることだろう。
いかに情報統制を厳しいとしても、
中東での出来事がまったく市民の耳に入らないということはないはずである。
すでに今年に入ってからも、地方では五月雨式に反乱や暴動が発生していると報じられており、
いよいよ抑止が利かなくなってきたからかもしれないが、
地方に配置された軍部隊の銃や戦車から弾を没収する措置が採られているそうである。
もちろん、これは反乱や暴動を事前に起こさせないためのものであろう。
しかし、それにしても、なぜ今年になってから、
中東において、唐突に民主化の波が押し寄せてきたのかはよく分からない。
フェイスブックやツイッターといった情報ツールの影響と一般的には論じられているが、
たとえそれで民衆の結束力が大きくなったとしても、
その力が国家の持つ軍事力を圧倒することは、事実上、不可能である。
それゆえに、かつて天安門事件がそうだったように、
また、カダフィ大佐自身が実践しているように、
自国民に対する強制的な鎮圧を行なうために武力を行使するということになれば、
民衆はいとも簡単に押し潰されてしまい、市民革命は成立しないままに終わるのである。
1980年代後半、確かに東欧諸国では西側陣営の情報が浸透し、
そうした情報の影響を受けた数多くの市民が、政府を取り囲んで独裁体制に終止符を打たせたが、
それは必ずしも市民のみによって達成されたわけではなく、
その背後に市民側の主張に同調した軍部や警察の存在があったことを忘れてはならない。
つまり、中東の民主化、言い換えれば独裁体制の終焉は、
結局、市民の結束以上に、軍部や警察といった国家が持つ物理的強制力の動向によって、
その方向性は大きく変わると言えるのである。
今のところ、エジプトでは、軍部が政府側に付いたことで、劇的な政変を回避することに成功し、
ムバラク大統領の辞任という形で、ひとまず区切りをつけたことになった。
市民の不満が十分に収まっているわけではないので、
今後ふたたび同じような政治運動が拡がらないとは限らないが、
政治体制の根本的否定にまで発展する可能性は低そうである。
だが、リビアでは、軍部が市民側に同調する動きを強めているため、
このまま推移すれば、政治体制の転換まで到達するかもしれない。
世界の主要国は、いずれもこうした動きを静観する構えだが、
原油価格の高騰が象徴的であるように、
政変後、石油生産の契約に関して、水面下での攻防が繰り広げられることになるだろう。
日本もまた、出遅れないようにしたいところである。