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History, Strategy, Ideology, and Nations

自己否定の彼方

2011年01月18日 | NEWS & TOPICS

 昨日、マスコミ各社によって行なわれた世論調査の結果が発表されて、
 内閣支持率は、大方の予想通り、内閣改造にもかかわらず、30%前後の微増にとどまった。
 まったく新しい内閣が発足するわけではなく、
 改造人事も、4人の閣僚しか交代させなかったのだから、
 劇的に支持率が回復することは、最初から見込まれていなかったであろう。

 しかし、これが単に人事刷新への失望感に起因するものではないことは、
 今回の世論調査での関連質問における回答を見てみると明らかである。
 手元には、本日付の『産経新聞』(朝刊)しかないので、
 そこに示されたデータを引用していくと、
 とりわけ厳しいのは、景気対策と社会保障政策への評価であり、
 80%前後が「評価しない」と回答し、菅首相のリーダーシップに疑問を呈するものとなっている。
 さらに、今月の年頭会見で「不条理を正す政治」という理念を表明し、
 小沢氏をめぐる問題でも、強硬な姿勢を貫いているように見えるが、
 調査の結果では、30%ほどしか評価していない状況が浮き彫りとなった。
 閣僚人事の面では、やはり与謝野氏の入閣が注目すべきポイントだが、
 「期待する」という声が42%に対して、「期待できない」という声が47%であり、
 国内世論としては、冷やかな反応を示しているといえよう。
 
 すでに多くの解説記事で触れられているように、
 今回の改造内閣は、「財務省内閣」といっても過言ではないほど、
 財務省寄りの人事によって固められている。
 これにより、景気対策よりも財政再建を優先させる方針へと完全に舵を切る形となり、
 増税路線は決定的になった。
 当然、その影響は日本経済を直撃し、今以上に景気が悪化することは不可避であろう。
 このことは、バブル経済が崩壊した後、自民党政権が犯した失敗と同じ轍を踏むものであり、
 少し前の記事でも記したが、「失われた10年・第二幕」の始まりになるであろう。

 そこで問われるのは、民主党による政権交代の意味である。
 確かに、政権交代で国民から期待されたのは、
 自民党政権ではできなかった改革を実現することにほかならなかった。
 民主党自体も、その期待に応えるための政策をマニフェストに次々と盛り込み、
 それを「国民との約束」として提示し、政権交代を達成したのである。
 だが、蓋を開けてみると、その約束はことごとく修正せざるを得ないものであった。
 捻出できると公言した財源は、結局、見つけることができないままであり、
 外交面での自主性回復を謳うも、安全保障上の要因をまったく考慮していなかったことが露呈され、
 クリーンな政治を標榜しているにもかかわらず、
 党内の浄化作用が低く、それどころか党内対立まで引き起こしている始末で、
 当初、描いていた理想像から大きく離れたものとなっていることは、
 誰の目から見ても歴然としている。

 与謝野氏の登用は、その点では非常に皮肉なものと言える。
 周知の通り、与謝野氏は、民主党への政権交代が達成される前の麻生政権において、
 財務大臣を務めていた人物である。
 当時、民主党は、与謝野氏をはじめ自民党が進める経済政策を厳しく批判し、
 その代替案として、先のマニフェストが示されたはずであった。
 しかし、いまや再び与謝野氏を入閣させて、
 その主導の下で、財政改革に取り組もうというのだから、元の木阿弥というしかない。
 すなわち、今回の与謝野氏入閣によって、
 菅政権は、民主党への政権交代に何の意味もなかったことを自ら表明したに等しいのであり、
 もはや民主党政権の存在理由は失われたといっても過言ではないのである。

 近々、マニフェスト修正に向けた検討も始まると言われている中、
 やはり「国民との約束」を一方的に反故することは傲慢の誹りを免れないだろう。
 こうした状況になった責任の大半は、民主党自身の見通しの甘さと政策能力の低さにあったのだから、
 今から自民党を含めた野党の責任に言及するといった伏線を張るのではなく、
 民主党政権への中間評価として、改めて国民に信を問うのが筋であろう。
 今こそ野党は国会を政局化し、菅政権を窮地に追い込むべきである。
 自分から無意味な存在となった者を、いつまでも政権に留まらせている理由はないであろう。