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History, Strategy, Ideology, and Nations

社会的有用性とは?

2011年01月16日 | NEWS & TOPICS

 普段、インターネットをつないでいるパソコンは、リビングルームにあり、
 家族共用として使っている。
 しかし、自室のパソコンはインターネットにつないでいないので、
 ブログの記事を書く時は、一度、自室で文章を作った後、
 メディアに移してから、家族共用のパソコンでアップデートする作業を行なっている。
 作業というほど大袈裟なことではないが、
 諸々の事情から、こうした形を採っているのである。
 時々、2~3日分をまとめてアップデートする時があるけれども、
 決してまとめて書いているのではなく、
 自室で別の作業を続けていたり、何となく更新を忘れていたりするため、
 すぐにアップデートしていない時があるというだけのことであって、
 その日のうちに、ちゃんと記事は書いているのである。
 誤解があるといけないので、一応、念のため。

 さて、世間的には、センター試験真っ只中ということもあって、
 各種メディアにおいても、受験生を励ますメッセージが紹介されることもしばしばだが、
 今朝来た新聞をバサバサと広げて眺めていると、
 最近の受験生における専門選択の傾向は、「文低理高」になっているそうである。
 昔から「不況に強い理系」と言われてきたが、
 日本人の相次ぐノーベル賞受賞や宇宙開発への関心などとも相まって、
 理系志望者の増加が目立ってきたとされている
 
 しかし、現在、文系に身を置いている立場からすると、
 日本の大学というのは、結局、理系にしか価値が認められていないのだなと改めて思わされる。
 不況になると、文系が顧みられないというのは、
 それが社会的に何の役にも立たないと考えられていることが大きい。
 つまり、言い換えれば、文系の学問など単なる道楽にすぎないということである。
 誰もそこまで言っていないのかもしれないが、
 何だかちょっと淋しい気もするのである。

 文系の学問において社会的有用性は認められるか。
 もちろん、文系と一口に言っても、様々な学問分野があるため、一概には言えない。
 経済学や法学などは、まさに社会そのものを扱っているのだから、
 本来、社会的有用性があってしかるべきだし、
 そうした部分を学術的に追求することが求められている分野である。
 だが、文学や考古学はどうであろうか。
 実際、各地の大学で、こうした講座が相次いで廃止されていると聞いているし、
 一昔前まで、「バカの代名詞」とまで言われたことも災いしたのかもしれないが、
 英文学をはじめ、文学専攻の学生が大きく減っていることは、
 疑うべくもない事実である。
 おそらくこの傾向は今後も変わらないであろう。
 
 社会的有用性という面において、文系が理系よりも劣る部分があることは否定できないと思う。
 しかし、即応的な有用性は乏しいとしても、
 社会を構成するものは、今も昔も人間であることに変わりはない。
 時代や環境が違っても、そこに介在するものが同じである限り、
 直面する苦悩やディレンマといったものは、どこか似ている部分があるはずである。
 文系の学問に社会的有用性を見出せるとすれば、
 その苦悩やディレンマについて、即座に答えや結論を導くのではなく、
 どのように悩めばよいのか教え諭すことであろう。
 
 生き馬の目を抜くような時代であるから、
 そんな悠長なことを言っていられないという人もいるかもしれない。
 だが、そうした人でも、いつか自分の生き方に迷いを覚える時が来るものである。
 その時、耳元で囁ける言葉を持っていることが、
 文系の学問における社会的有用性につながっていくような気がする。
 ちょっと曖昧すぎるかな?