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History, Strategy, Ideology, and Nations

12月20日

2009年12月20日 | THEORY & APPROACH
 ちょうど数年ほど前まで、日本では首相公選論がしばしば主張されることがあった。
 最近だと、中曽根元首相はその有力な論者であったし、
 小泉内閣においては、知識人の側からも、そうした声が上がっていた。

 首相公選論のメリットは、言うまでもなく国民自身の手によって、
 国家のリーダーを決めることができる点にある。
 従来、政党内での協議や選挙、あるいは連立政党同士での話し合いの結果として、
 国家のリーダーを選ぶしかなかった国民の側からすれば、
 そのプロセスにおいて高い透明性が確保できるため、以前のような不満を抱くことは少なくなる。
 また、国民から直接選挙で選ばれるため、リーダーの正統性確保という点でも有利に働く。
 日本の場合、特にリーダーシップの弱さが政治的局面においては強調される傾向が強いため、
 首相公選を採用した場合、そうした弱さが改善されるかもしれないのである。

 ただし、これには一つの前提条件がある。
 それは、同じく直接選挙で選ばれる議会が首相とほぼ同等の権限を持つことである。
 そうでなければ行政権の専横を許す結果となり、議会がただの承認機関に堕してしまうからである。
 逆に、議会が首相よりも強力でありすぎてもいけない。
 こうなると首相が議会の執行機関でしかなくなってしまうからである。
 議会と行政のバランスをどのようにして図るかが、首相公選における一つのポイントとなる。

 現在、民主党が掲げる「政治主導」とは、要するに「政党主導」のことであり、
 決して議会での審議や決定を重視し、それに基づいて政策過程を進めていくものではない。
 以前のブログで、中国やソ連の統治体制と類似していることを指摘したが、
 日本との決定的な相違は、自由選挙制度が維持されているかどうかということである。
 この中で、政治主導のバランスを図るためには、同じく強力な行政府の存在が必要となってくる。
 その存在を確保するには、首相公選も視野に入れておかなければ、
 政党主導の専横を抑止する機能が働かないだろうし、現実に今、その機能は大きく失われている。

 個人的には望ましいこととは思われないが、
 もしもこの統治体制を今後も継続するのであれば、
 議会との対抗関係を図る上で、首相公選を導入することが求められるかもしれない。
 この発想を民主党が持っていれば、彼らの目指している統治体制は共産体制と異なる道を辿る可能性がある。
 だが、持っていなければ、共産体制への道を駆け抜けることになるだろう。