YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

12月19日

2009年12月19日 | COLD WAR HISTORY
 北京オリンピック開催直前、ギリシャ・アテネで点火された聖火が世界各国をリレーしている頃、
 中国内部の民族弾圧を強く訴えかけるグループが、
 聖火リレーのコースにおいて、懸命にその主張をアピールしていた。
 日本でもチベットから亡命した台湾人の一人が沿道から飛び出し、
 「チベットに自由を!」と叫びながら、警護官に取り押さえられていたことは、まだ記憶に新しいであろう。
 こうした訴えにもかかわらず、北京オリンピックはどの国のボイコットも起こることなく、無事開催された。
 開催直前、北京政府はチベットやウイグルの民族問題について、
 相互に代表者会議をもって協議し合うことを約束したが、
 現時点において、その協議が大きく進展したとは聞いていない。
 おそらくその場しのぎのものでしかなかったのであろう。

 中国がなぜチベット支配に躍起となっているのかは、日本人の感覚からしてなかなか理解しにくいものである。
 レア・メタルへの関心とも囁かれることも多いが、
 少なくとも中国がチベットに侵攻した1950年当時、そうした関心が主な動機だったとは思えない。
 だが、領土拡張が目的だったとするのも短絡的な見方であるような気がする。
 
 ピエール=アントワーヌ・ドネ/山本一郎訳
 『チベット 柔軟と希望 「雪の国」の民族主義』
 岩波現代文庫、2009年

 この中に興味深い指摘がある。
 それは、チベット解放において中国側が主張する自らの正統性に関する部分である。
 中国の認識としては、少なくともチベットは解放される前まで、
 「西側の中世社会以上に残忍な奴隷制度の首枷の下で生きていた」と捉えられており、
 その状況からチベット人民を救い出すために、中国の軍隊と共産党が出向いていって、
 「兄弟的な」支援を提供したと理解する。
 AFP通信社記者である著者は、こうした表現の裏に、
 「中国の漢族は無味蒙昧な蛮族を文明化する使命を課されている」という思想の存在を喝破し、
 それをチベット侵攻の正統化に利用されたと指摘している。

 同じような理屈で他国への侵攻を行なった国は古今東西、いくつも見出すことができる。
 ここで重要なことは、こうした正統化を許さないために、
 自国の文化を発展させておくことがいかに大事かという点であろう。
 安全保障の分野では、文化の問題は無意味かつ無価値なものとして退けられることが多い。
 だが、「解放」と称して始まる武力侵攻の際には、
 このように文化・文明の後進性を理由として断行されるケースが目立っており、
 チベットもまた、そのパターンに丸め込まれてしまった最たる事例と言えるのであろう。