YS_KOZY_BLOG

History, Strategy, Ideology, and Nations

12月13日

2009年12月13日 | THEORY & APPROACH
 日本を代表する歴史小説家・司馬遼太郎は、敗戦までの昭和史を「魔法にかかった時代」と表現した。
 責任の所在も不明確なまま、ずるずると戦争への道をひた走った挙げ句に、
 二度の原爆投下と無条件降伏という結果に終わったことを指しているのだが、
 その魔法を誰がかけたのかについては、はっきりとした答えを提示しているわけではない。
 
 近代主義者の丸山真男は、無責任体系を生み出してしまう日本独特の文化的特質にその原因を求めた。
 確かに、日本にとって第二次大戦は戦争指導者なき戦争であった。
 予算獲得をめぐり、帝国陸軍と帝国海軍の不仲は歴然としていたし、
 帝国議会では大政翼賛会が組まれ、各政党は個別に政治的責任を負うことから逃避した。
 マスメディアも過激さを求める大衆世論に迎合し、商業主義への傾斜を顧みることはなかった。
 昭和天皇は、国民の決定に違和感や疑問を抱きつつも、
 あくまで立憲君主としての立場を守るため、
 国民の要望もなく、政治的介入に踏み切ることを最後まで望まれなかった。
 
 戦後社会で、丸山真男の論説は大きな反響を呼び、信者とも言うべき多くの支持者を得た。
 彼らは、日本文化が欧米と比較して遅れたものであり、
 そこからの脱却を図ることなしに、日本がそうした国々と肩を並べることはできないと論じた。
 従って、戦後日本は、日本文化の特質をとにかく否定することが近代化への一歩と心得て、
 積極的に欧米文化の輸入に努めたのである。
 元々、好奇心が強い民族性の日本人は、海外から入ってくる多くの西洋文化を喜んで受け入れた。
 今にして思えば、それは、新しい時代の到来に自ら加わることで、
 敗戦という惨めな結末を忘れようとする一種の逃避行動だったのかもしれない。
 
 ところが、そうした逃避行動は、高度経済成長に恵まれたことで、
 成功体験として日本人の中に刷り込まれてしまった。
 もちろん、国が豊かになることは大切なことである。
 しかし、衣食足りて知るべき礼節をここまで捨ててきたのは、日本人自身の選択にほかならなかった。
 衣食に足りて満足するなら、当人以上の社会的責任を全うしようと努めるのは愚かなことである。
 必然的に誰もが責任を取ろうとせず、我が身の保身ばかりに関心が集中することになる。
 そして、無責任体系が次第に醸成されていくのである。

 つまり、日本では過去を強く否定し始めた時、「魔法」にかかりやすい状況が生まれる。
 特に大きな戦争の後は、次の時代への期待感から、その魔力に飲み込まれやすい。
 戦前も戦後もそうであった。
 だが、実を言うと、魔法をかけているのは、日本人自身なのである。
 陰謀逞しい世界各国が、プロパガンダや政治工作などで、その風潮を助長させることはあるにしても、
 最終的に決断を下してきたのは、日本人自身であったことを忘れてはならない。
 
 昨今の鳩山内閣を見ていると、どうやら本格的に「魔法にかけられた」ようである。
 しかし、問題はこの後、日本人がどこまで覚醒できるかにかかっている。
 戦前は結局、魔法を解くことができないまま、敗戦を迎えた。
 果たして戦後は、どのような結末になるのであろうか。