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History, Strategy, Ideology, and Nations

1月15日

2010年01月15日 | THEORY & APPROACH
 現在、鳩山政権では、東アジア地域における新しい地域的枠組みとして、
 「東アジア共同体」という構想を掲げて、その実現に向けた動きを推進しつつあることは周知の通りである。
 また、以前から一部で主張されてきた「駐留なき日米同盟」や「日米中の正三角関係」といった言説も、
 「東アジア共同体」の構想を変形して表現したものであって、
 実質的には、米国の関与をできるだけ排除しながら、
 東アジア独自の地域秩序圏を確立したいという意思表明にほかならない。
 こうした主張は、左派だけでなく、一部の右派も取り込んで、一定の支持を集めていることは確かで、
 両者の根底で共有されているのは、おそらく「反米」の一語に尽きるように思われる。

 しかしながら、欧州ではすでに「NATO」といった多国間同盟が成立しているのに対して、
 なぜこれまで東アジアでは、そうした同盟が構築されてこなかったのであろうか。
 この点に関して、ジョージタウン大学のビクター・D・チャ教授が、
 「パワープレイ」という概念を利用しながら説明しているので紹介してみよう。

 そもそも「パワープレイ」とは何かというと、
 「弱小な同盟国を最大限にコントロールすることができるために作られた非対称的同盟」と定義されており、
 冷戦期において、米国はソ連を封じ込める一方で、
 親米的な反共国家が米国の望まない戦争に向かって進んでいくことを抑える戦略によって、
 東アジア政策を構想していたのである。
 
 ここで具体的に取り上げられているのは、韓国、台湾、日本の三ヶ国と米国との関係であるが、
 前二者は、李承晩・蒋介石とも、明確な敵国が存在し、常に好戦的な姿勢を示していた。
 しかし、こうした指導者を抱える韓国や台湾と多国間同盟を形成すれば、
 韓台に対する米国の影響力が低下し、両国へのコントロールが利かなくなる可能性があった。
 一方、日本の場合、欧州のドイツと同じように、米国は東アジアの要石として位置づけ、
 戦後日本の台頭をコントロールするために、強固な二国間関係を望んでおり、
 日本側としても、戦後復興で米国からの支援を強く期待していた。
 だが、韓国と台湾の間には、戦後賠償の問題が横たわっており、
 そのために日本が莫大なコストを抱えなければならなかったため、
 両国との和解はひとまず置いておき、米国との関係強化が進められたのである。
 その結果、韓国、台湾、日本、米国といった国々は、
 米国を軸とした二国間同盟を結びながらも、それを多国間同盟に発展することができないまま、
 現在においても、その残滓が東アジアにとどまった状態となっているのである。
 従って、ジョン・ダレスが述べたように、東アジアの「ハブ&スポークス(hub and spokes)」体制は、
 こうした同盟相手との非対称性こそ、二国間か多国間かの選択に重要な要素であり、
 それがあたかも「パクト・マニア(条約狂)」の方針によって、
 自明の如く定まっていったわけではないことを指摘している。
 
 Victor D. Cha
 "Powerplay: Origins of the U.S. Alliance System in East Asia"
 International Security, Vol. 34, No. 3 (Winter 2009/10), pp. 158-196.

 そうだとすると、では、いまや韓国や台湾に好戦的な独裁者の姿はなく、
 日本においてもすでに経済復興と戦後補償を果たしている中で、多国間同盟の可能性は存在するのだろうか。
 残念ながら、それは今も低いと言わざるを得ないだろう。
 特に中国との経済的相互依存の深化は、
 日韓台のいずれにおいても、中国の影響から免れることを難しくさせているため、
 米国は現状通り、二国間同盟による影響力確保を志向して、多国間同盟への動きに慎重となるはずである。
 一方、中国もまた、遠い将来、多国間同盟への移行に反対しないとしても、
 当面の間は、二国間関係の強化を重視し、日韓台における米国の影響力低下を画策するであろう。
 すなわち、日韓台は今後、米中による「パワープレイ」の戦場となる可能性が高いということである。

 そう考えると、「東アジア共同体」論は、まったく現実を顧みない議論にほかならない。
 一つの理想として語ることに罪はないかもしれないが、
 国家の外交方針として掲げるには、あまりにも空虚で、国際政治の実態について関心が乏し過ぎる。
 「気持ちいいこと」は必ずしも「正しいこと」に結びつかないということに気づくべきであろう。