子供時代の足跡(NO2)を書き終り
記憶に残っている、写真の一枚の様なものかも知れない
我が家に写真機が存在するのは昭和37年頃か?
今の子供は生まれた時以前から溢れる程写真を持っている
ディスク1枚、何時でも過去に振り返る事が出来るのだろうか?
現存の一瞬を切り取った写真は言葉より勝るのかも…
今では加工もできる、”芸術作品”と云われることも、
読者ブログの写真を勝手に思い目ぐらし観て、楽しんでいるが
どうしても理解出来ない一件がある
同年代の、今は”画家” 元は ”イラストレーター”の作品を注目して見てきたが
10年前、最後に見た、画家の”題材”が、”二つに分かれる道”の風景画であった
外国を含め、各地のもので有ったが、
”写真を撮って来て、見ながらアトリエでキャンバスに描くのだから、
”写真を100号ぐらいに伸ばし、その上に絵具で描いても、良し” と
書き込み付きで展示されていた…
(私的には、”二つに分かれる道”の画家の意味合いを描いて欲しかった)
”パロディー”の意味合いか?この画家の真意は判らないが、
スケッチもして、写真も撮って、一枚の絵を描いている ”絵描き家”には…?
先日の”○○コメント” 「勝ことが出来ないので試合を棄権する」
足の損傷は誰もが知る事だが、応援団に向かって伝えるには
もう少し、補足の言葉があっても良かったかな~
どちらも ”開き直り” ? 良く言えば ”潔さ” ですか…
不本意ながら、ツイッター的に成ってしまった”
長梅雨のせい”にしておこう…