里婆日記

古希にもめげず、里山の暮らしを綴るブログです。

DIY・畑・造園・ますます爺化する婆~の暮らし

足跡録NO2(昭和35年、下町で初めて”もんじや”を食べた)

2015年07月05日 | 足跡録

       「向島」と 云う地名は”お江戸”から視て、向こうの島”だったのか?

   今は「スカイツリー」が在ることで、「向島」の地名は多くの人に知られる様になった

   大人に成って、地図を見ると(昭和35年頃、街の詳細地図は身近には無かった)

   住んでいた「鐘ヶ淵」は、隅田川と荒川の真ん中に在り、千住の方に行くと一つに成るのか、

   当時、近所の年上の子供達と自転車で荒川土手に行ったりしたが、記憶にあるのは

   ”湿っぽい、土手を自転車で走れない道”、川の流れを見る事無く帰ってきた…

   

   今はどちらの川沿いも緑地公園に成り、すごく綺麗に成っている様だ…

   当時、下町には「公園」らしい緑地が無かった、

   住宅に緑を配した庭や鉢植えの花がある事も無かった様に記憶するが…

   路地で縄跳びや石けりをしたり、学校から帰ると、子供達でよく遊んでいた

 

   初めて、「もんじや」を知ったのも、駄菓子屋さんの奥の小さな一部屋

   中学生の姉が帰って来るまで、私は一人で「もんじや」を食べたりしていた

   薄茶の水ぽい中にキヤベツと天かすしか入って無かったかな?、

   鉄板の上にジャーと流し、チョット置いてからかけ回す、

   太ったおばさんが大きなヘラ2本で作ってくれた、

   小さなヘラを持って鉄板にこすり付けて食べるのだ…

   (少し置いて置くと、おせんべいに成るヨー)と おばさん”

 

   他の子供は家に帰り、鍵っ子だった私の面倒をみてくれていたのだ…