最近、何か社会的な事件が起きると、その対応策のひとつとして「そういったこと(つまりそんな事件を起こさないような子どもを育てるための新たな科目?)も学校教育に取り入れるべきだ」つまり「それも学校で教えとくべきだね」なんてことを言い出す人をよくみかけます。まあ道徳教育分野が多い訳ですが…
日本は…先進諸国では不思議なくらいに青少年犯罪件数が減少してきている国だそうですが、ときどき青少年が引き起こす異常な犯罪がニュースに載るたびに上記のような話が出てくることになります。そして…犯罪を犯した青少年の学校での様子は…どれも判を押したように「何も問題がないフツーの子」ということになります。(もちろん最近は「フツーの子」という表現を教育関係者もマスコミも使わなくなりましたが…ここでは学校でも家庭でも特に大きな問題を起こすわけでもなく、それぞれの環境にうまく(?)適応している子という捉えにしておきます)
何故こんなことを言い出すのかというと、我々は一体誰を相手に青少年育成活動をしているのかということを一度捉え直してみることが必要なのかなあと考えたからです。我々が日常的に相手にしている青少年は我々が(特に)相手にしようとしている青少年とイコールなのか?青少年が本当に感じている心の様子と我々が青少年を見て感じている彼らの心の様子はイコールなのか?
いちど(いや何度でも)青少年との話し合いを持ちたいですね!
[do平塚]
日本は…先進諸国では不思議なくらいに青少年犯罪件数が減少してきている国だそうですが、ときどき青少年が引き起こす異常な犯罪がニュースに載るたびに上記のような話が出てくることになります。そして…犯罪を犯した青少年の学校での様子は…どれも判を押したように「何も問題がないフツーの子」ということになります。(もちろん最近は「フツーの子」という表現を教育関係者もマスコミも使わなくなりましたが…ここでは学校でも家庭でも特に大きな問題を起こすわけでもなく、それぞれの環境にうまく(?)適応している子という捉えにしておきます)
何故こんなことを言い出すのかというと、我々は一体誰を相手に青少年育成活動をしているのかということを一度捉え直してみることが必要なのかなあと考えたからです。我々が日常的に相手にしている青少年は我々が(特に)相手にしようとしている青少年とイコールなのか?青少年が本当に感じている心の様子と我々が青少年を見て感じている彼らの心の様子はイコールなのか?
いちど(いや何度でも)青少年との話し合いを持ちたいですね!
[do平塚]