till the promised end

the story from the sudden birth to the compulsory death

今日のつぶやき

2006-02-21 22:32:39 | Weblog
非常に寒いね。しばらく暖かかったから油断してた関係で一段と寒く感じるね こんな日は熱燗でも飲んで暖まりたいといいつつも、この部屋には日本酒がない じゃ、焼酎のお湯割かと思っても、お湯を沸かすのが面倒な上に、俺がお湯割りを飲めず、必然的にロックを飲むというなんとも現状に即していない状況を生み出しそうな感じである。

ところで、ボーっとしてたらもう二月が終わってしまう やばい、マジでフランス語勉強しないと etre動詞の活用忘れた そこから何だけど!! ちょっと焦ってきたよー 明日からマジで再開しよう。

そのためには、勉強する生活にしないと。そうだ、早寝早起きで行こう。
よし、目標七時に目を覚まし、シャワーを浴び、朝御飯を食べて八時半。それから30分くらい休憩の後、勉強を開始。12時にお昼ご飯を食べ、小堺一樹の番組を見終わったら、再開。 うん。なんて完璧なプランなんだ☆

よし、てなわけでまずは明日のご飯を炊くことから始めよう☆

無駄とは

2006-02-20 14:02:25 | Weblog
「有意義な時間」を過ごすべきだ

このような命題を耳に、ないしは目にしたことのある人は少なくないであろう。

では、この「有意義」の指すところは一体どのような概念であろうか。

俺の現段階での答えは「人の過ごす全ての行動」である。なぜならば、 人は何を行ってもそのことを頭に残し、反省すること、つまり学習をすることができるからである。

例えば、一日中自分の部屋に引きこもっていたとする。しかも、布団の中でただ寝ているだけである。そこには一切の生産的行動は存在しない。しかし、そのことに気づき、次の日に行動を起こす。この時、不毛の時間が肥料となり豊穣を産んだことになる。

話が極端であることは百も承知である。しかし、程度の差こそあれ、「有意義」ないしは、その真逆の概念である「無駄」とは所詮その程度のことではないだろうか。

ある一つの概念を捉えるとき、人は第一印象でその概念と自分の感情を結びつける。しかし、ものごとをそのように一義的に捉えるだけでなく、多方面からの視点で考えることも重要であろう。

例えば、俺は英語の授業中に受験をすぐに控えた生徒にモーゼの十戒に関して語ったことがある。
「それ、試験に出るんですか」

その生徒の反応だった。
人が何かを判断するとき、それが二分法的判断であれば、その判断の基準が必要である。しかし、この基準というものを違うものに変えた場合、同じ物事の判断結果が真逆になることがある。当然、その生徒にはこの論理を伝えたが、わかったかどうかは定かではない。
長々と書いたけど、俺の結論は「無駄なことなど世の中にはない」ということね

先天性障害児

2006-02-17 22:36:07 | Weblog
今日、金スペを最初の10分だけ見た。 正確に言えば、最初の10分しかみれなかった。なぜならば、見続けていたら、俺は発狂していただろうからである。

重度の障害児に関して描かれていた。皮膚が鱗のようになっている者、一切の皮膚感覚がない者、多種多様であった。俺は、最初の、皮膚が魚の鱗のようになってしまっている子を見ただけで、もうその番組を見れなくなった。

もし、あなたが同じ障害に悩んでいるのであれば、大変申し訳ない。しかし、俺の正直な感情で話すことを許していただきたい。 俺は、その子のことを「可哀想」と思ってしまった。

この感情は、現在の自分より心的状態を下にみなしていることを意味する。それ故に、「申し訳ない」と言わせていただきました。

その子の病気の名前は数時間前のことなのに忘れてしまったが、その子の発言は生涯忘れることはできないだろう。

曰く「自分は自分でいいと思っている」

涙を流しそうになった。
その子は、朝起きてから学校へ行く準備のために二時間を要するという。皮膚と衣服がすれると激痛が走るため、親に服を着せてもらう。皮膚の保護のために、塗り薬を毎日塗る。歩くときに痛みに襲われないように足にも包帯を巻く。歩くときは、ズボンが皮膚にすれないよう歩くため、ぎこちなさが残る。一ヶ月に一度、片道に時間をかけて病院へ行く。そこで、足にできた水膨れを切る。

暴言であるということを承知で言わせていただくと、そのような「最低な生環境」の中で、それでもなお「自分は自分でいいと思っている」という発言である。しかも、その目は純粋で、何の迷いも無い。それで10才である。

俺が泣かないはずがない。

俺はいわゆる健常者である。五体満足の体も脳も持っている。その俺と比べて、彼の根性や心的強さなどははるかに向こうの方がしっかりしている。

俺が今彼と同じ状況に立たされたら、これからの人生に絶望し、下手をすると自らの手で以て自分の命を絶ってしまうかもしれない。俺はそのくらい弱い人間である。

しかし、彼は違った。これからやってくる「未来」というものに、希望を持ち、開拓さえしていこうという心も持っていた。
一体俺は何なんだ。

その気持ちが俺を押しつぶしそうになった。

俺はそのような障害者達を心から尊敬するようになった。そして、故意の障害者差別をするものを真剣に潰すことを決意した。

シークレットバトン

2006-02-15 16:04:48 | Weblog
【Q1】いるよ~
【Q2】ここでいないって言ったら、Q1と矛盾するな~(汗
【Q3】a:星の数ほど b:ゼロ!! うっさい!!
【Q4】a:2回だな~ b:1回だな~
【Q5】え、具体的には無いよ(笑)俺の主観☆
【Q6】脚だね~ 
【Q7】無いね(笑)
【Q8】飲みに誘う
【Q9】一人でもいたら、マフィアに殺されちゃうよ(汗
【Q10】下だね~
【Q11】あんまりしたことないな~ あ、お台場!!すっごいタイムリーだけどど(笑)
【Q12】次にまわす人5人
ゆっこ、シュン、kane、椿、マミ  

さ、お前ら、回すからガンバ☆

満喫より

2006-02-15 15:52:58 | Weblog
明日あたり、パソコンの修理に関して電話する予定。

ところで、俺がブログを更新していない間に、さまざまなことがあったな~。

まず、トリノ五輪開幕!!

前にも何度か述べてると思うけれども、俺が一番興味あったのは女子モーグルね。

上村愛子のコークスクリュー720。決勝はビデオにとっておいて、そのビデオを見ていたとき、この上村愛子のエアーを見て涙を流してしまった。この技には、夢が秘められていた。

人が夢に関して語るとき、そしてその夢が達成されるかどうかの一番の勝負を見るとき、俺は涙を流してしまう。日本語でどういえばいいかわからないから英語で言うと、I feel a dream is the road or way to the ecstacy.なのだ。

残念ながらメダルは取れなかったけれども、俺は君にはまだ期待しているよ。長野五輪のときからずっと応援しているよ。そしてこれからも応援し続けるよ。

にしても、やっぱり金メダル取った人のモーグルは凄いね。あれは文句無しだよ。

オリンピックは参加することに意義がある。

日本がどうだとかではなくて、せっかく「平和の祭典」とまで呼ばれているこのオリンピック、素直な気持ちで見ましょう。素晴らしい演技は素晴らしい演技として考え、この短い間だけでも、国境なんてものを考えずに、各々の努力の結果を見ましょう。そして、感動しましょう。同じ宇宙船地球号の乗組員として。

Roman holiday

2006-02-06 20:30:51 | Weblog
俺のパソコン、打てないだけだから、携帯でメールを送ればブログ更新できることに今気がついた(笑)

春休みって恐ろしくやることがない 勉強すりゃいいものをやっぱりしない
で、あまりにも暇だから、映画でも見ようかなと思ってTSUTAYAに行ってDVDをレンタルしに行った そしてね、ボケーっと棚を見てたら、そこに飛び込んできた映画のタイトルが「ローマの休日」ね 俺、古くから伝わる名作と呼ばれるものをみるのが凄い好きで、過去にもチャップリンの「黄金狂時代」、ET等を見たことがあるが、やっぱり時を越えて伝えられているだけあるね ローマの休日もなんだけど、よくできてるし、内容もいいね 今回も、なんか心に残るものがあるわ

ところで、オードリーヘップバーンさ、なんまら綺麗。 有り得ん綺麗さだったわ

古今亭志ん輔師匠

2006-02-04 17:07:35 | Weblog
家のパソコンのキーボードの上に、酒をこぼしちゃったら、キーボードがまったく操作不能になった(汗  今は、部室のパソコンから更新中。

今日、俺が入っている落語研究会のイベントで、プロの噺家さんを呼ぶ「鑑賞会」というものをやった。今日は、古今亭志ん輔師匠を呼んだ。(呼んだといっても、俺は全く関わっちゃいないが(汗))

昔、NHK教育の「おかあさんといっしょ」で「ブタ君ヘビ君」のことをやっていたあの志ん輔さんである。

今日は、「お見立て」と「芝浜」をやってくださった。

芝浜という噺は、三大噺からできたといわれている。

ある腕のいい魚屋の男が、無類の酒好きで、酒のせいで仕事をしなくなった。

ある日、奥さんに嫌々仕事に行くと、芝の浜で50両の入った財布を発見。

家に慌てて帰り、とりあえず酒を一杯というところで、眠ってしまう。

そして、奥さんに起こされ、湯へと行く。

その帰りに、友人知人と家でドンちゃん騒ぎ。

宴会のあと、眠りにつき、朝早くに奥さんに「仕事に行っておくれよ」と起こされる。

「昨日拾った金があるだろ」という旦那に対し、「何言っているんだい。財布なんか持って来ていないじゃない。」と答える奥さん。

その続きは、前回の文七元結のごとく、落語を実際に聞きにいって見てください☆

いや~ よかったね。また感動してしまった。そして、噺のあとの質疑応答のときに志ん輔師匠がいっていた言葉も考えさせられた。

というわけで、皆さん、寄席へ行きましょう。

あ~春休み

2006-02-02 18:56:48 | Weblog
今日で全てのテストが終了~☆というわけで、俺は四月の上旬まで暇な日々を迎えることになります。

金さえあったら、スキーに行きたいな~。しかも、カナダか、オーストリアかスイス。あ、でも、英語が通じそうなのがカナダだけだからカナダに行きたい。

海外旅行ね・・・俺にとっての理想のポイント。①英語が通じる ②日本語は通じない ③綺麗な海(砂浜付) 若しくは、西向きのスキー場 

英語が通じないと怖いから他の地域いけない(汗) これを言ったら、バイト先の同僚に「その辺の日本人海外旅行者よりチキンだよ!!」って言われたけどね。 事実だな・・・(汗) いい加減英文科だから、ある程度の英会話能力はあるから、英語ならそこまで怖くないんだよな・・・ 

 ちなみに、③は、俺の彼女が何か砂浜で一人でサンセットを見たときに、何故か泣いたっていうのを言われて、俺も体験したいって思った上に、松井秀喜のオフシーズンの過ごし方がカリブ海に浮かぶ島で一人でサンセットを見るって言うのだったから、とにかく「サンセット」に憧れる。で、俺らしさっていう観点から考えてみたら、夕陽に向かってスキーで滑り降りていくその感覚を体験したい(笑)

 絶対気持ちいいよ~ 目の前に半分くらいもう顔を隠してしまった太陽の方向に、雪しぶきを上げながら滑っていくその感覚。想像しただけでも、この世の極楽ではないかと錯覚してしまう。

 で、これらは全て俺の妄想の世界。現実問題、金が全くない。どうしよう。株でもやるか?資本金がないな・・・ パチンコ?ビギナーズラックさえないから嫌だ。地道に働くか・・・ 

 というわけで、この春休みは、院試に向けた勉強を頑張ります☆

YOSHIKIについて

2006-02-01 21:48:55 | Weblog
GREE時代から俺の記事を読んでいる人(とっても少ないのは承知です)なら、前に俺がHIDEについて語ったことがあるというのを知っていると思うが、今回は元同じバンドのDrums and PianoのYoshikiについて語ってみようと思う。

このYOSHIKIという人物は、音楽の天才かと思う。

曰く「音楽には、国境もジャンルも、時間の流れも、言葉の壁も、何にもないんです。曲を書く時、僕はそれを信じて書く。メロディーの永遠を信じて書く。素晴らしいメロディは国籍や年齢に関係なく、誰の心にも打てるはずだから」

そんなYOSHIKIは、バリバリのロックを作ってみたり、珠玉のバラードを書いたかと思ったら、クラシックを作ったりもしている。ロックに小フーガト短調の冒頭部分を挿入していることもあった(Rose of pain)。

何度聞いても飽きない。

聞けば聞くほど、考えることが出てきてしまう。

X 時代は、俺の考えでは、作品全ての中に見ることができるのは、「喪失感」「狂気」「内向性」「純真無垢な女の子のような気性」が感じ取ることができる。これが、X JAPANになると、「内向性」と「狂気」は消えてしまったように思える。

YOSHIKIには、クラシックを教えてもらった。彼がいなければ、音楽の時間以外にクラシックなど聞くことはなかっただろう。YOSHIKI SELECTIONというアルバムで、YOSHIKIの愛したクラシックを聞くことができる。それを俺は買って、YOSHIKIの最初に載せた発言に確信を持った。

初めてXに出会ったのは、残念ながらX JAPAN解散後、BSでラストライブの映像を見たときである。あのときの衝撃は忘れることはできない。

「凄い 誰だ、こいつら?」

この言葉以外で表すことが一切できなかった。

次の日に友達にその事を話し、CDを借りることができた。

それからしばらく経った後、STAR BOXを友達から借り、期末テスト勉強中聞きまくり、段々抜け出せなくなってきた。

そして、とどめの一撃はPERFECT BESTだった。特に凄さを感じたのが、ART OF LIFEであった。このアルバムの中では、5分くらいに短縮されているのだが、本来は29分にも及ぶ超大作である。

これが中学2~3年であったが、大学3年になる今でも、まだX以外のバンドのファンにはなれない。なぜならば、Xは俺にとっての青春であり、俺の生き方の模範であるからだ。