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市民社会フォーラムに投稿した記事を主として掲載してゆきます

もうひとつの世界へ、「民主主義経済」と「社会主義」の用語

2008-08-03 13:25:58 | Weblog
テーマソングです。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/1babanam.html
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/babanam2.wma

「もう一つの世界へ」の道を支持する立場から
紅林さんの投稿に発言させてもらいます。
こういう考えの人もいるンだなあという程度で
お受けとめください。

(1)
村岡氏の文章には、私が考えていることと共通の面があります。
たとえば、「粉砕」について、
またアルタナティブ(もう一つの道)の
ビジョンの重要性について
先日の私の投稿と同一の趣旨が述べられています。

「しかもその質が、従来の「抗議、粉砕」型ではなく、
〈政策主 張・対案提起〉型になってきたことに注目する必要がある」
とあります。

また私が、資本主義を超えるには、文化革命も必要であり
それは物的欲望という物質主義materialismから
内面の充実やスピリットも視野にいれたQOL(quality of life)の視点が必要だと
述べたことにかかわることに近い記述も見られます。

「そして、私たちは欲望追求や浪費に慣れたライフスタイルの自己変革に取り組 むことである。」

(2)

しかし、村岡氏の文章の中の次の点について私の意見を述べたいと思います。

「『赤旗』は 資本主義の 限界」を引用するようになったが、
限界を突破する方向を〈社会主義〉とは提示 しない
(志位和夫委員長の発言を見よ)」
とあることです。

この点については、「社会主義」をかかげるべきだ
とする村岡氏の意見より
私は、「民主主義経済」「経済民主主義」をかかげる
志位氏の発言の方を支持するものです。

志位氏のスピーチの関連するところを軽く読んだ範囲では、
たしかに資本主義の限界を突破する方向を「社会主義」とは述べず
「経済民主主義」の立場から当面の状況に対応すべきだ
と論じているように読めました。
私は志位氏の方が賢明であると考えています。

そう考える理由をいくつか紹介させてもらいます。

第一に、旧来型社会主義のイメージが払拭され、
リニュアルした社会主義イメージが国民の間で浸透していない
今の段階では「社会主義」をかかげても人々に展望を与えることは
できないと見ています。
第二に、資本主義経済からくる厄災に抗する策として
村岡氏は「民主主義経済」に触れませんが、
志位氏たちが、「民主主義経済」「経済民主主義」を掲げていることは
たいへん価値があることだと見ています。

どの用語を使うはこのコスモスに対して
当事者が考える以上に大きな影響を及ぼすと
この間「粉砕」と「materialism」について述べてきました。

志位氏たちの用いる「民主主義経済」「経済民主主義」の用語は
将来、その言葉を受け継ぐ思想家があらわれて
資本主義経済を超える社会像として深化させる可能性がある
用語だと思っています。

その点をもう少し詳述します。


私は、資本主義と旧来型社会主義は、
どちらも、中央部に所属する人々に
決定権が集中しているために
組織の下部が軽視され、
地方が軽視されるという特質を
もっていると思います。

だから、
現在の局面では、「社会主義」のイメージを
村岡氏のように資本主義のアルタナティブとして
提起するより
志位氏らのように「民主主義経済」を強調している方が
適切なスタンスだと考えるわけです。

もちろん、志位氏の「経済民主主義」は
私が述べているような
「人民の人民による人民のための民主主義経済」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/91minshushugikeizaisengen.html

すなわち企業内部の民主主義構造、
各地域が経済決定権をもって上に登る構造
すなわちホラーキー的な民主主義階層構造
まで徹底した民主主義経済のコンセプトではありませんが

「民主主義経済」という用語をもちいていることは
「民主主義経済」の用語を受け継ぎ、
私が支持するような

資本主義を超える民主主義経済としてとらえる思想家を
生み出すことになる可能性があると思うのです。

だから、私は、志位氏が「社会主義」を使わず
「経済民主主義」を当面のこととして強調していることを
支持します。
そのことは、本人たちが意図したよりも、
今後の歴史に大きな影響を及ぼすとみています。

なぜなら、私は当面ではなく、「民主主義経済」こそ
資本主義を超える経済システムだと考えるからです。

(3)
「社会主義」は、とりわけ旧来型の中央集権経済の社会主義は
もう歴史的に「終わっている」と、私は見ています。
富を一部に集中させる資本主義構造を、「含んで超える」
民主主義経済構造に変革する道こそ、未来への道だと思います。

人々が古いタイプの社会主義というイメージしかもたない現在
「社会主義」をかかげることにどのような意味があるのでしょうか。

サーカーは資本主義を超える社会を構想しました。
(後ろに参考資料をあげておきます)
それをプラウトprogressive utilization theory=進歩的活用理論として
論じました。
数多くのスピーチの中て
私の読んだ範囲では、たった二度だけ、
資本主義を乗り越えたその社会は
「Progresive socialism進歩的社会主義」と
呼ばれるようになるだろう述べていました。
資本主義を超える経済として主に強調しているのは
民主主義経済とDecentralized(非集権、分散、分権) 経済です。

前にレオニードさんと論じた時
レオニードさんは民主主義経済構想は支持できるか
社会主義のネーミングは支持されませんでした。
私は、民主主義経済構造の社会をレオニードさんがめざす時
それをレオニードさんの立場からネーミングして進めばいいし
さまざまな立場から、民主主義経済構造の社会をめざせばいいと
いう趣旨の投稿をしました。
資本主義を超えたその社会のネーミングとして
「社会主義」の用語に愛着がある村岡氏たちは
一部に富が集中しすぎて
多くの人が苦しむ今の社会システム変革のために
「社会主義」と名付けて運動すれば、それはそれでいいと思うのです。

大切なのは多様なアプローチの多様さがあることが
価値あることだ認め合って進むことだとおもいます。

だから、「赤旗」が、今の国民意識の段階で、
資本主義の限界を突破する方向を〈社会主義〉とは提示 しないと
村岡氏が批判的におっしゃているのは疑問に感じるのです。

(4)
資本主義にかわるビジョンの浸透は
私たち市民グループで議論してゆき
新しいイメージをつくることは意義があると思います。
村岡さんのように、「社会主義」を資本主義にかわるイメージとして
前面に出したい人は、旧来型とは違うリニュアルした社会主義像を
人々の前に提出する必要があります。

(5)
村岡氏も全知の神様でもないし、共産党であれ、何党であれ
全知の神様ではない。
誰もが相対的真理を生きていて、
誰の真理がより深く、より広く、時、場所、人により対応しているかの
違いがあるだけだと思います。

せっかく「もうひとつの世界」をめざす
とてもいい企画をしておられるのだから
統合的立場(多様性における統一)の立場にたって
また他を批判しなくても自分の道を進んで
支持者を増やしてゆけばいいと思うのです。

そんなわけで
私はこの村岡さんたちのグループとも、
資本主義文明を超えるというビジョンを共有してゆきたいと思いますが
資本主義の限界を突破する方向を
「社会主義」という用語であらわさないといけない
というスタンスは賛成できません。

(6)
赤旗が、「社会主義」をかかげないからけしからんと村岡氏が言うなら
私が村岡氏のグループは、
一部の富が集中する資本主義的中央集権経済に対して
「民主主義経済、decentralized経済」と言っていないからけしからんと
言っているのと同じで意味がないことだと思うのです。

市民同士の相互交流の進めてゆく上で、
入り口の部分でそのようなことをいわなくても
交流の中で発言してゆけばいいことだと思うのです。
統合的立場にたって市民社会における意識覚醒に
「もうひとつの世界を」のグループのみなさんには
がっばってほしいと思います。

あわせて、もう一つの論点として私が感じるのは、
賢い知識人のみなさんの多くが
自分の正当性を主張するのに
誰かを批判しないといけないという
学問の世界で身につけたであろう
思考パターンをもっておられる場合が
多々あることです。
それは真理論に問題があると思うのです。
(長くなり、論点が多岐にわたるので、ここでは指摘にとどめておきます)

長くなりますので
投稿をここまでとし、後ろに参考資料として上記の論の補足をさせてもらいます。

ユニヴァーサル・ジャパン、 http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/
吉見道夫


資本主義にかわるビジョンとして旧来型社会主義は
もう終わっていると考えるのは
まず、みなさんの共通理解ではないでしょうか。

ネーミングを社会主義とつけるかつけないかは別として
資本主義と旧型主義の中央集権的経済構造に対して
それを超える下からの民主主義的階層構造をもった
資本主義にかわる社会へのビジョンを提起しているものを紹介します。

(1) アメリカのデヴィッド・コーテンのビジョン
①『ポスト大企業の世界』
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/devidkorten/kaheichushinseimichushin/postdaikigyou
youyaku.htm

(2)インドのサーカーのプラウトのビジョン
①プラウティスト・グループ・ニューヨーク・セクター
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/theory/newpra.htm
②サーカーの言葉を引用して「民主主義経済、分権経済を論じたもの」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/theory/prout/bunkenkeizaiminshushugi2.htm
③P.R.Sarkar ,"Proutist Economics"
サーカーの本は普通の出版社からはでていません。
http://www.pia.org.au/index.php?mp_id=61
で入手したらいいと思います。
私は、サーカーのスピーチをまとめたこの本を強く推薦します。
きっと驚かれると思います。

(3)
吉見(私)も「ホラーキー社会論」としてまったく別の言葉で
資本主義にかわるビジョンを提起しています。
ケン・ウィルバーの『進化の構造』のホロン論を活用したものです。
マルクスがヘーゲルを活用して人類解放理論をつくりあげたように
現代のヘーゲル(自称)たるケン・ウィルバーを摂取するなら
21世紀の人類解放思想につくりあげることが可能だと思います。

私の試論です。
以下の「ホラーキー革命」と「ホラーキー社会論」をご覧ください。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/horaakyshakairon/00hyoushi-mokuji.html


これらは、資本主義を超える旧来型社会主義像にかわる対案です。
この中でもっとも完成度が高いものは、
サーカーのものだと私は考えています。

こうした議論を旧来型社会主義像に
こだわっている人々ととも
論議し、市民の中にまったくリニュアルされた
資本主義を超える社会像を
浸透させることが先行すべきだと思います。
それなしに「社会主義」をかかげても無力だと思うのです。