上村悦子の暮らしのつづり

日々の生活のあれやこれやを思いつくままに。

6月 らっきょう漬け

2020-06-27 16:27:00 | エッセイ
梅雨の季節になると、八百屋さんやスーパーに並び始める「らっきょう」。
これを目にするようになると、なぜか心が落ち着かない。
お気に入りのらっきょうを早く手に入れて、年に1度のらっきょう漬けをやりたくなるからだ。

お目当ては、車で20分ばかり走った所にある
岡山県美作市産の常設野菜売り場で売られている島らっきょう。
沖縄の島らっきょうのように細身なものではなく、
漬物用の一般のらっきょうより丸っこい形で、カリカリとした歯ごたえがいい。

毎年、およそ1キロの島らっきょうを手に入れると、
料理研究家・堀江ひろ子さんの「失敗知らずのらっきょう漬け」という方法で浸けるのだ。

まず大きなボールでザクザクと洗いながら土を落とし、つながっている株を剥がしていく。
それを一粒ずつひげ根と目先を切って、ついでに薄皮も丹念にをむく。

続いて、酢と水、砂糖、粗塩、とうがらしを一緒に煮立たせ、
ざるに上げて水気を切り、耐熱性の容器に入れたらっきょうの上に、一気に注いで出来上がり。
これだけで間違いなくカリカリに仕上がるのだ。

失敗しないからこそ、続けられている作業。
らっきょうのひげ根は、切っても切ってもなかなか終わらない作業で、心が折れそうになる時もある。
それでも6月になると毎年必ずやりたくなってしまうらっきょう漬け。

「なぜだろう」と考えてみた。
他でもない。
20年以上前に86歳で亡くなった母と、時間を超えてつながれるような気がするからである。

母はらっきょうばかりか、毎日の葉物のぬか漬けから、沢庵漬け、数種類の梅干し、味噌、ぶどう酒まで、
手作りできるものは何でもつくっていた。

そんな母の足元にも及ばないのだが、
唯一、今の私が失敗することなくできるらっきょう漬けで、同じような作業をしていると、
なぜか元気な頃の母とつながっている気がして、嬉しくなる。
言い換えると、母と同じ時間を共有できているような気分になれるのだ。

母娘の関係というのは、こういうものなのではないだろうか。
幼い頃から毎日、毎日食べた手作りの母の味。
さまざまなおかずやご飯の味を通しての、目に見えないいくつものつながりが、
かつての懐かしい光景や温かい思い出、喜びなどを引き寄せてくれる。

先日、
料理教室で習ったご飯やおかずを、
家に帰ってつくれる、心の強い子どもに育てたいという
「子どもだけの料理教室」を開く、真の強い女性を取材したせいかもしれない。
「食」は、素晴らしく太い糸で親子を、あるいは人生をつないでいくものなのだろう。

いずれは私の娘たちが、
同じように何かの調理をしながら、小さなつながりを見つけ出してくれるのかなと思う。
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